Episode 670 地球を回す知識です。
社会の現状を「天動説」、新たな概念を「地動説」と見立てて、多数派の社会的安定が全ての人の安定をカバーするワケではないことをお話しした…ここまでが前回のあらすじです。
(ニューロ)ダイバーシティは、定型/非定型を問わず、全ての人を対象にする概念ですから、定型側が天動説で非定型側が地動説である…と断定するハナシではありません。
私の過去を振り返っても、非定型のASDでありながら、現代社会に対して何の疑問を持たずに生活して来た「ASDに未自覚な時代」があったワケで、当然のことながらその当時の私は「天動説を全肯定」していたワケでして…。
但し、自分が少数派だと認識すれば、「なぜ上手くいかないのか」の理由を探るうちに、多数派社会と自らの特質のアンマッチの発見を通じて、少数派ゆえにその修正努力を求められる理不尽さを経験することから、必然的に多数派よりも「天動説の問題点」を把握し易い状況に置かれることになるワケです。
現に私がそうだったようにね。
ですから、地動説を唱える人には、全体のバランスよりも多くの少数派を含むことになるのだと思います。
結果的に地動説は少数派の気質を多く帯び、「少数派革新勢力×多数派保守勢力」のような様相に見えてしまうのでしょう。
さてさて、この「天動説×地動説」の例え話には他者視点の有無という別バージョンが存在します。
前回の記事で引用させていただいた、すぷりんと(@External_WM)さんのツイートに対して、さいこどくたーK(@psydrk)先生の引用リツイートを読んで、私は「視点が変わることによる立場の天地が逆転する」こと…を感じるのです。
K先生の説明はこのようなものです。
ASD性質の本質には他者視点の持ちにくさによる視点切り替えの苦手があって、それ故にどうしても気付きの数(量)に見劣りが発生してしまう現象が起こるのです。
このツイートでK先生は…
…と言うようなことを指しているのだと私は理解しています。
他者視点と言う第2第3の視点位置がものごとを立体的に捉えることで、あなたの思うところを推察して自分の行動をコントロールすることが可能な「ニューロティピカル(Nurotypical =定型発達者)」な人から見れば、単視点になりがちなASDのような「エイティピカル(Atypical =非定型発達者)」の人は「あなたの視点」を思考に取り入れることが難しいから、どうしても身勝手でワガママな自己中なヤツ…と、思われがちになってしまうワケです。
この「定型(典型)×非定型」の対比を「天動説×地動説」の構図に置き換えた時、相対的な視点を持ち自らの立ち位置を把握する地動説的な立場に定型側が立ち、自己視点単体からのものごとの見え方によって理解を進めようとする天動説的な立ち位置に非定型ASDが立つことになる…と。
そうすると…このハナシは前回のハナシとは違い、多数派が地動説で、少数派が天動説の立場になると言う「逆転現象」が起こることになるワケです。
このふたつの地動説を眺めていて、私は天動説を導くカギになるのは「気付き」なのだなぁ…という思いに至ったのです。
つまりね、自分の思考に新たな視点からのインスピレーションを加えて、思考のバージョンアップが図れるのか…というハナシ。
ここが停滞することによって思考は進化を止め、今いる世界で社会が回る天動説が顔を出すのだ…ということです。
ASDの私は、その特質上、他者視点を常に取り入れる能力が足りません。
その特質に気が付くことは、私も私以外の方にも重要なのだということです。
それは気が付かないことで発生していた、相手に対する天動説的なアクション…つまりお互いに自らを正義とする「矯正/排除」があったことに気が付くことに繋がるのだろうと思うのです。
定型側からすれば、「医療モデル」と呼ばれる医療/福祉の方向性の問題などがあろうと思うし、非定型側からすれば、視点切り替えの難しさが作り上げる「意図しないモラハラ」などの問題があるのでしょう。
天文学としての地動説は、地球が回っているという物理的な現象を動かない地面に立って如何に理解するのか…というハナシなのだと思います。
一方で人間の理解という意味での地動説は、ものごとの気付きによって自らの手で地球を回すのだろうと感じます。
知り、気付く…が社会を進化させるのだろう…などと、大きなことを言ってみたくなるのです。
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