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Episode 667 気付きの数が足りません。

東日本大震災から12年の月日が流れた2023年3月…震災後、私は初めて石巻を訪れました。

実は私、宮城県内に子ども時代と就職後の計2回、合わせて4年半ほど住んでいました。
初めは1978年の宮城県沖地震の後から3年間、2回目は1997年から仕事の都合で1年半ほど。
その後は本州日本海側の政令指定都市に本社を置く中堅食品メーカーに移り、関西圏から現住地に…という流れになり、どちらかというと西を向くことが多くなって、東北方面にはなかなか足が向かなくなったように思います。
その他に大学生時代も東北地方の某市に住んでいたので、東北在住期間は8年半…今の会社に移るまでは「北回り」の人生だったのですけどね、転職を機に潮目が変わったのだろうなどと思います。

「関西圏から宮城」…は言うに及ばず、いま私が住んでいる本州日本海側の政令指定都市から宮城(仙台)への距離感も、クルマで東京に行くのと比較しても掛かる時間はあまり変わらないですし、「電車の最短時間で」とか考えると、新幹線で南下して、大宮駅で乗り換えてV字型に北上するのが一番速いとかになってしまいますからね。
特別な足掛かりや用事などがない限り、「東京に行く」ではなく「仙台に行く」ってならないのですよね。

そうは言っても、宮城が気になってなかった…ワケではありません。
住んだことのある地域が被災したのは事実なのですから。
「意を決して重い腰を上げた」みたいな重たいハナシではありませんが、ひとつ区切りを付けるように、ズルズルとあれから干支がひと回りしてしまったこの春に、漸く「訪れてみよう」と思ったたのだ…と言うことでしょう。

石巻南浜津波復興祈念公園

石巻南浜津波復興祈念公園」は石巻市沿岸部の南浜地区にあって、東日本大震災による津波で壊滅した住宅街跡地に、犠牲者の追悼や復興祈念を目的に造られた公園です。

写真は公園内「一丁目の丘」から西側にある「日本製紙石巻工場」を見ています。
写真内に映るパネルは、震災前の景色…「奥に製紙工場」は変わらず、手前一面に広がる住宅地に人々の生活があったことを見て取れます。
それが、何でこんなキレイに更地の公園になっている?

衝撃的でした。
本当は公園に隣接する震災遺構「旧門脇小学校校舎」をメインの訪問先にしていたのですが、それ以上のインパクトだったのです。

震災遺構 旧門脇小学校

もちろん、門脇小学校校舎が見せる「震災の爪痕」も、「見える」からこそ訴えるものがあると言うのはわかるのです。
そうではなく、この広い公園の「何もない」が訴える津波の破壊力は、私の想像を遥かに超えるものでした。

石巻南浜津波復興祈念公園の中には「みやぎ東日本大震災津波伝承館」があり、津波の恐ろしさを後世に伝える努力もあるのだと思います。
(※ 津波伝承館への否定的意見(見解)は多くあるようですが、ここではその点には触れません)
そのような、見て、聞いて、触って、「伝えようとする明確な努力(意思)」に触れることの大切さがあって、この公園(施設)は成り立っているのでしょう。

私には、あの「一丁目の丘」から見た平らな大地が、この「伝える意思」にいちばん共鳴した部分だったのでしょう。

前回の私のnote記事は「映像を浴びる」ということだったのですが、実は今回のハナシもその続きなのです。
私がなぜ「映像を浴びる」になってしまうのか…ということ。

今回訪れれた石巻南浜津波復興祈念公園は、見て、聞いて、触って、「伝えようとする明確な努力(意思)」が公園の意義なので、そのコアな部分を感じることは出来たのだろうと思うのですよ。
そのコアな明確な意思があったとしても、もしも私がその意思を感じられないとすれば、公園はただの公園だし、遺構は過去の事実でしかないワケです。
そこに何かを伝えようとする「力(Power)」が加わることで初めて「伝わる」になるのかな…と。

私はきっと、この「何かを伝えようとする『力(Power)』」を感じ取る能力が弱いのです。
それは恐らく、視点切り替えの苦手が、あなたが伝えようとしていることを理解してすり合わせていくことが難しいからなのでしょう。
これだけの施設があって、見に行く(受け取ろうとする)意思があって、やっと伝わっているのかも知れません。

こう考えると、私に不足する能力が明確になってきます。
視点切り替えの苦手がもたらす、視野の狭さ。
あなたが視点を切り替えることで 10 感じことがあるとして、持ち得る視点の数の少なさで感じる数(量)が、半分とか、それ以下だとしたら…。
それが適切な判断に支障をきたす原因だとしたら…。

残念ながら、持ち得る視点をフルに使っても拾いきれない気付きが有れば、あなたからは映像を見ても「浴びる」になるし、話が聞こえていても「聞いていない」になっているように感じるワケですよね。

私は石巻の公園で、私なりに震災に想いを馳せることはできたつもりです。
ただ…「私の気付き」がどれだけの視点を持ち得ていたかは、わかりません。
ここに拾いきれなかった大きな気付きがなかったか、不安になる気持ちがない…とは言い切れない私がいます。

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