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その女は「ゴゼン0ジ」と告げた


※この記事は【ちょっと一息物語】というコンセプトの創作です。その名の通りコーヒータイムや仕事の合間、眠る前のちょっとした時間に読んでいただけるような短い物語として書きました。今夜は、突然の来訪者がやってくるところから始まる物語です。それでは、ゆるりとお楽しみください。

なんとも蒸し暑い朝だった。目覚ましが鳴る前に自然と目を覚ました私は、全身が汗だくなことに気がついた。外では蝉たちが暴走族のように爆音を撒き散らしている。いや、むしろ暴走族なら道路を通過していく間だけの騒音で済むが、蝉たちの鳴き声は一日中続くから更にやっかいだ。


私はベッドから離れ、リビングへと向かった。洗った食器を乾かしているカゴからコップを一つ手に取り、麦茶を注ぐ。片手に麦茶が入ったボトルを持ったままコップを飲み干す。すかさずコップにもう一杯注ぐ。乱雑にものが置かれたテーブルの前に座り、テレビをつける。ニュースは相変わらず新型肺炎の話題でひしめき合っていた。


もう一眠りしようか迷っていたころ、チャイムが鳴った。今は朝の6時半だ。こんな時間に誰だろう、と私は疑問に思ったが、とりあえず出ることにした。


ドアの向こうに立っていたのは、顔見知りの女だった。彼女(ガネコという名前の女である)は、私と目が合うと肩をすくめてみせた。「意外と早めに再会しちゃったわね。」そう言うと、ガネコは私の許可を得ずに家の中へズカズカと入り込んできた。


私はムッとしたが、とりあえず礼儀として彼女にお茶を出すことにした。ガネコは「ありがと」と小さく言って遠慮なくコップを飲み干した。


「あなた、こないだ会ったときよりずいぶん顔色がいいわね」


「そりゃそうよ。前回会ったときは私は深い苦悩の中にいたんだから。半分死んだも同然だったもの」


「そうね。でも元気そうでよかったわ」


「それ、皮肉?」


私の言葉に、ガネコはふふふっと笑ってそれを返事代わりにした。


「それで・・・」


私はそこでいいよどみ、少し間をあけた。ガネコは私が何を言おうとしたのか察したらしく、ロボットのような平坦な声で「ゴゼン0ジ」と言った。そしてポケットからハンカチを取り出して私に差し出したが、私はそれを丁寧に断った。


「用件はわかったから、もう帰ってもいいわよ」


私がそう言うと、ガネコは「そんな冷たいこと言わないでよ。せっかくの再会なんだから、もう少しお話しましょうよ」とすねた。どうやらこの女には人の気持ちというものが分からないらしい。まぁ、そうでなければ彼女のような仕事は務まらないのだろうけど。


「何を話すの?」私はなるべくそっけなく言った。「えーとね、初めて私たちが会った日のこと覚えてる?」とガネコは明るい声で尋ねた。「まあね。一応忘れられない記憶のひとつよね」

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ガネコと初めて会ったのは、2年前の同じように蒸し暑い日だった。当時高校生だった私は部活の帰り道に、偶然彼女に出くわしたのだった。ガネコいわく、それは「偶然なんかじゃない」とのことだった。明らかに怪訝な態度で接していた私に、ガネコは一切怯むことなく話しかけてきた。そして、唐突に「ゴゴ10ジ」と言った。私は意味が分からず聞き返したが、ガネコは二度は言わなかった。私はこの意味不明な女から逃げるように家路を急いだ。


家に帰ると、いつものように両親は不在だった。私は両親と3人家族だが、一緒に御飯を食べた記憶がほとんどない。父も母も、子育てには無頓着なようだった。私は家の電気をつけると、なれたてつきでお湯を沸かし、食器棚の下からカップラーメンを取り出した。「ほえー、そんなのでお腹一杯になるの?」と後ろで声がした。驚いて後ろを振り向くと、そこにはガネコがいた。底しれぬ恐怖を感じた私は慌てて警察を呼ぼうとしたが、やめた。これから自分が行うことを考えれば、なるべく警察を家に呼ぶのは控えたかった。それに、最期に不審な女と過ごすというのも悪くないように思えた。


私とガネコはしばらくお互いの人生について語り合った(ガネコにもカップラーメンを作ってあげた)。ガネコはとても特殊な職業についていて、その仕事内容は非常に興味深いものだった。ひとしきり会話を終えると、ガネコは帰っていった(というか私が強引に帰した)。


その後、私はお風呂の中に入り、これまでの人生について思いを馳せ、一応形式として涙を流してからカミソリで手首を切った。時刻は午後10時だった。

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「私はあなたのことが好きなのよ」


ガネコはお茶のおかわりを要求しながら言った。


「なんせ、私にカップラーメンとはいえ、ご飯をごちそうしてくれた人なんてこれまで一人もいなかったんだから」


「ふーん。そんなもんかな」


「そうよ。人間なんて薄情者ばかりよ。私たちに向かって人でなし!悪魔!とか罵詈雑言を浴びせてくるくせに、自分は平気に他人を傷つけるんだもの」


軒先から風鈴のチリンという音が風に乗って流れてきた。ガネコはひとつ伸びをして、「今日、私とデートしない?」といった。「どうせなんの予定もないんでしょ?」

ーーーーーー

気がつけば辺りは暗くなり、公園は人でごった返していた。昼間はまばらだった人が、屋台が始まると同時にどっと増えてきた。今日は地元の祭りの日だ。私はガネコのわがままに付き合い、いろんな屋台の食べ物を買った。りんご飴、チョコバナナ、唐揚げ、フランクフルト、焼きそば・・・・。何か食べ物を買うたびに、ガネコの目は少女のように輝いた。私はガネコが喜ぶ様子を見るのがまんざらでもなく嬉しかったので、ついつい色々買い与えた。


しばらく歩いたあと、少し公園から外れたところにある神社に二人で腰掛けた。ガネコは不意に、神妙な面持ちで「ねぇ、私たちの仲間にならない?」と言った。私は驚いたが、静かに首を振った。


「どうせ断るだろうと思ったけど、一応ね。私、本当にあなたのことが好きなのよ。あなたのためだったら、上のほうに推薦してあげられる 」


「結構よ。私は自分の運命にただしたがって生きていくわ」


「どうしても?」


「どうしても。」


ガネコはそれ以上勧誘をしてこなかった。私の意思が固く変わらないことを悟ったのだろう。


私はふと、気になったことを尋ねようと思った。しかし、知らないままのほうが良いと判断に黙った。


「実を言うと、私もあなたのこと、嫌いじゃないよ」


私の言葉に、ガネコは驚いた表情を見せた。そして、何かを隠すように顔をそむけた。その瞬間、辺りが一気に明るくなった。空を見上げると、夜空に立派な花火が咲いていた。「きれいだね」とガネコのほうを振り向くと、花火に照らされたガネコの顔には涙のようなものが見えた気がした。しかし、そんなわけはない。だって、彼女は死神なのだから。彼女に人間の気持ちなんてわからない。もう一度花火が上がる。それは今まで見た中で、一番キレイな花火だった。


私は静かにガネコの手を取り、夜空のなかに消えゆく花火のように儚い二人の友情について想った。

大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。