耳が聞こえなくなり、代わりに愛を聴いた。

私は22歳のとき、慣れないクラブに行き、慣れないノリ方で慣れない音楽を聞いていたら左耳が難聴になったことがある。ばかでかい音を短時間聞くことで内耳が傷つく”音響外傷”というもので、一時的に難聴になってしまったのだ。

一時的とはいったものの、中には元に戻らない例もある。私も耳鼻科で診断してもらったとき、「残念ながら完全に元には戻らないと思うよ」と言われ絶望した記憶がある。

そのころ、私はパニック障害も発症したてで、かなり精神が弱っていた。そこに追い打ちで耳が聞こえなくなったものだから、もうこの人生は終わってしまうのだと極端に悲観に暮れていた。

まぎれもなく、人生で一番どん底にいた時期といって過言ではないだろう。そんな状態の人間がすることといえば、他人を一切傷つけないよゐこのお笑い番組を見たり、和気あいあいとしているアイドル番組を見たり、そして芸術に触れたりすることだった。

もともと芸術というものに興味はあったものの、ゴッホとかピカソとか有名な画家ぐらいしか知らなかったのだが、どん底に転がり落ちたことで急に芸術に関心を寄せるようになった。

なぜかある日突然芸術について学びたいと思い立ち、ラスコー洞窟の壁画から始まり、近年のポップアートに至るまで芸術史について貪るように読み漁った。

あまりにハイペースに学んだものだから、今となってはほとんど覚えていない。歩いて見る景色よりも新幹線で見る景色のほうが忘れやすいのと同じようなものだ。なんとなく覚えているのは、「芸術って既存のスタイルに対する反発によって進化してきたよね」ということぐらいである。

そんな私でも、一つだけ鮮明におぼえている出来事がある。

難聴になった私は、自分の耳の具合を確かめる意味合いも含め、音楽を聞くようにしていた。私が難聴になったとき、運悪く(あるいは運良く)両親は海外旅行に2週間ほど出かけており、その間家に一人でいた。

薄暗い部屋の中で、私はいろんなジャンルの音楽を聞いた。他の人がどうかは知らないが、難聴になると常に強烈な耳鳴りがするようになる。だから、騒がしいロックやヒップホップなどはとてもじゃないけど聞けなかった。

いろいろ聞いていくうちに、どうやらクラシック音楽がちょうどいいのだと思い至った。ベートーヴェンやショパン、サティなどを聞き、そしてドビュッシーに遭遇した。

恥ずかしながら、私は23歳になるまでドビュッシーという存在を知らなかった。初めてその名を聞いた時、なんとなく卑猥だなぁと感じていたぐらいである。

そんな卑猥なドビュッシーが作曲したという「月の光」を聞いてみた。これまで聞いてきた曲とは一味違った美しい音の羅列。そしてピアノの音越しに見えてくる圧倒的な幻想世界に、私は驚愕して涙した。

難聴でかすかにしか聞こえない旋律が、どんな強大な音よりも鋭く心に突き刺さってくる。目を閉じると、私は穏やかな夜の草原にねそべり、顔も知らない生娘と一緒に月の光を眺めている情景が浮かんだ。

このとき、私ははじめて芸術というものを理解した気がした。おそらく普段どおりの元気な生活を送っているときには気づかなかっただろう。同じように月の光を聞いたとしても、なんの感情も抱かなかったかもしれない。

しかし、真っ暗などん底の中で、さまざまなしがらみで身動きが取れなくなっていたあの時期は、芸術という不可解なものを受け入れるには十分な素地ができていた。

暗闇の中で一層敏感になっていた心は、人間が生み出した芸術の優しさを感じ取ったのかもしれない。芸術は不確かなものだ。見る人によってその印象はたちまち姿を変える。それでも芸術というのは何千年も人類に受け継がれてきた。それはもしかしたら、人間の奥底から湧き出てくる”愛”というものを形に落とし込んだものかもしれなかった。

ドビュッシーの”愛”に触れ、それを抱きしめることで私は少しずつ生きる気力を取り戻していった。気づけば難聴もどんどん回復していった。

あれから8年の月日が経ったが、私は今でも時々月の光を聞いている。どん底の中で聞き触れていたあの頃のような驚嘆はないが、それでも聞くたびにその美しさに体が震える。

芸術とは本来目にすることができない、あるいは実在しないかもしれない”愛”というものを、無謀にも形に残したものの名称なのかもしれない。




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