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「自分は知らない」と思ってる人の方が、知っている人になれる

どんな人が知識・知恵を手に入れるのかについて考えてみました。まずは知識・知恵を手に入れられない人の特徴から。

パターン1: 「あ、これ前にも聞いたわ」

何かを学んでいる時、以前も聞いたことがあるトピックに遭遇した時に、すぐに「ああ、これ前にも聞いたことあるやつだ。知ってるわ」といって、軽く流しがちな人がいます。このタイプの人は、そのトピックについていつまでも「最初に学んだときの理解のレベル」で留まります。

それに対して「これ前にも聞いたことあるけど、まだ知らないことがあるはずだ」という前提を持っている人は、そのことについて再度考察するため、知識はより定着しますし、同じトピックについて以前は気がつかなかった物事に気がついたりします。

パターン2:「この人、こういう人だな」

②初めて会った人と、少し話しただけで「ああ、この人はこういうタイプの人だな」と、自分のもってるパターンに当てはめて、早々に「自分は相手のことがわかっている」と認定する人がいます。この手の人は、相手の話を真剣に聴いて、相手を知ろうという努力をしない場合が多いです。そのため、結果として相手のことを正しく理解することはできません。

それに対して「自分は相手のことを知らない。自分の知っているパターンに当てはまらない人などたくさんい」という前提を持っている人は、相手の話をしっかり聴くので、結果として相手について深く理解をすることができます。

情報過多の時代にあって「パターン化」は必要なスキルではありますが、濫用には注意が必要です。

知識・知恵を得るために大切なこと①:謙虚さ

聖書においても「自分は知らない(=知識を求める必要がある)」という謙虚な心を持っている人こそが、知識と、知識を正しく使うための知恵を手にすると約束されています。逆に「自分は知っている(=知識を求める必要などない)」と驕る人は、それらを得ることができません。

知識・知恵を得るために大切なこと②:きよい動機

また、動機も非常に重要です。すなわち「何のためにその知識と知恵を求めるのか」ということです。

仮に謙虚な心を持って知識と知恵を求めても、その動機が「大金持ちになりたいから」や、「敵対者を陥れたいから」といった、自分の欲望を満たすためのものであれば、それらは与えられません。知識と知恵は、それをもって正義・愛・平和を実現したいと願う人に、豊かに与えられるのです。


色々インプットする前に、まずは自分の心を見直す必要があるんですね。謙虚できよい心がほしい。

知識と知恵の源である存在が「いい心!たっぷり与えちゃう!」と思ってくれるような人になりたい。そんなことを思いました

聖書の言葉

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古代中東世界の英雄であるダビデの息子ソロモンは、父親の財産と名声を引き継ぎ、絶大な権力を手にしました。その彼は、神に「なんでも欲しいものを求めなさい」と言われた時に、「私にはこの民を治めることはできない」と言い、それを可能にする知恵と知識を求めました。当時の王の多くは、「自分は特別で、優れた存在だ」と考えている人物が多数派でした。しかしソロモンは、財産と名声と権力を手にしてなお、自分が未熟な人間であることを認識していたのです。さらにソロモンがこれを願ったのは、自分のためではなく、国民のためでした。

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その願いを神は大いに喜ばれ、望み通りに知識と知恵にを与えられました。それに加えて、望んではいなかった財産と名誉も与えられました。彼は人類史上最高の知識と知恵を持った賢人、人類史上最大の富を有する資産家となったのです。ソロモンは残念ながらその晩年に堕落していきましたが、この時点においてのその人格と霊性は、全ての知識と知恵を求める人のロールモデルです。

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イエス・キリストの言葉です。驕る者(自分を高くする者)は低くされ、謙虚な者(自分を低くする者)は高くされると言うことが、はっきりと宣言されています。逆転の法則です。

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知恵を与える存在である存在に知恵を求める人には、それが与えられるということが約束されています。

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先ほどのソロモン王が、その英知を後代の人々に残すために書いたと言われる格言集「箴言」の冒頭に記されている言葉です。主、すなわち神への畏敬の念が、全ての知識に先立ちます。なぜなら神への畏敬の念こそが、傲慢な人の心を変え、謙虚で神に頼る者へと変革するからです。



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