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政治家を批判する者より、政治家のために祈る者でありたい

やもするとすぐに批判の矢面に立たされがちな政治家ですが、これほど難しく、責任が重い仕事も珍しいのではないか、と常々思います。

政治家の仕事は大変

政治家が取り扱う問題というのは、大抵規模がとても大きく、長期的な取り組みが求められ、あらゆる要因によってその結果が左右されるといった類のものです。その組織は複雑極まりなく、さらに国民が政治家に何を期待するかも、人によってまちまちです。「うまくやる」ことの難易度が非常に高いと思います。

また、政治家の仕事は、絶えず自分の一挙手一投足が監視されるものです。さらに自分の決断が何千、何万といった人に影響を与えるものです。プレッシャーや精神的なストレスも相当大きいはずです。

批判そのものは悪いことではないけど

もちろん、政党にも政治家にも様々な問題があります。それを取り上げて批判すること自体は悪いことではありませんが、愛のない批判は悪いことです。ストレスを発散することや、問題を単純化して責任を政治家に押し付けることを目的とした批判などには、良い意味は1つもありません(自戒を込めて)。

政党や政治家に問題があるのは、会社や会社員に問題があり、家族やその構成員に問題があり、国や国民に問題があるのと同じです。問題がない人などいません。だからこそ、励まし、ゆるし、祈る必要があると考えます。

政治家のための祈り

いま、全ての政治家のために祈ります。

主よ、あなたが与えてくださった政治家たちを感謝します。あなたが政治家の一人ひとりに、その職務を全うすることのできる知恵と能力を与えてくださいますように。彼ら/彼女らが、真実の愛と正義をもって、その職務を全うすることを願い求めるようになりますように。あなたが政治家とその家族の体・心・霊を、いつも守ってくださいますように。また、国民の心から政治家を憎む心を取り除き、愛する思いを与えてください。イエス・キリストの名前によって祈ります。アーメン。

政治家は敵ではありません。彼ら/彼女らのために祈ってみませんか。そうすれば、自分の心にも変化が起きます。具体的には、政治家に対する苦々しい気持ちは消え、優しい気持ちにます。そして、彼らの仕事の質の向上を心から願うようになります。

そして私たちの祈りは、ただの私たちの心の思いではない。この祈りは、必ず聞かれていると信じます。

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本文の祈りは全ての政治家のためへの祈りですが、近くこの国のリーダーになる人のために、特に祈ります。


聖書の言葉

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この聖書箇所が私たちに命じるのは、願い、祈り、とりなし、感謝するという4つです。願いは、欠乏の満たしを願うこと。祈りは、政治家に対するあらゆる感情を、他人や政治家自身に対してはなく神にぶつけること。とりなしは、政治家の代わりに神に祈ること。感謝は、与えられた状況で神に感謝することです。このような姿こそまさに品位であり、平安で落ち着いた生活を私たちに与えてくれるものです。このような姿を追い求めていきたいです。
参考:Youtube「ゆうき牧師のバイブルライフコーチング

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政治家を過剰に批判したり、その権威を否定する人は、全ての政治家の権威は神が立てたものであるということを理解するべきです。人はその事実を軽んじるべきではありません。

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もし知恵が不足していれば、それを与える人に祈れば良いのです。もし当人がそれを祈らないのであれば、周りの人々がそれを祈れば良いのです。先ほどの聖書箇所(テモテへの手紙Ⅰ)にある通り、それは神に喜ばれることです。


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