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心に「デカい犬」を住まわせて、自分をもうちょい可愛がってみることにした。

私はあまり自分に自信がないタイプで、すぐに卑屈になるし、気を抜くと自虐的な発言をしそうになるので、普段から結構気をつけながら生きている。

それでも、たまに疲れてしまって、「私なんて…」とか言いながら、周りからの評価も自分への愛も全部はねのけてしまいそうになるのが悩みだった。

ところが最近、そんな「私なんて…」的な思考がちょっとマシになってきた。それは、知人が何気なく発した一言のおかげだったと思う。

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知人とお茶をしているとき、私はいつものように、「自分のダメさに吐き気がする」モードに入っていて、「どうすれば、ダメなところを変えられるのか」というような質問を投げてみた。

すると、その知人が、「そう?ダメなところも含めて、自分って可愛くない?なんかこう、ダメだなぁお前って言って、頭をワシャワシャ撫でたくなる可愛さがない?」と言うのだ。

私は目からウロコが落ちる気分だった。ダメな自分を可愛がるという手があるなんて。私には思いつきもしない発想だった。

たしかに、改善していかなきゃいけないこともたくさんあるけれど、それは自分なりに少しずつ工夫して変えていけばいいわけで、別に責め立てつづける必要はなかったのかも。やるべきことは改善であって、自責ではなかったのだ。

知人が言うように、目の前(?)にいる自分を可愛がれたら、どんなに生きるのが楽だろう。

私は知人の言うことを実践してみたくなったのだが、最初から自分を可愛がるのは難しそうな気がしたので、その日から心の中で自分自身を投影した「デカい犬」を住まわせてみることにした。

自分は可愛がれないかもしれないが、デカい犬ならいけそうな気がした。ゴールデンレトリバーみたいな、毛の長い優しい犬である。

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そのデカい犬は、日々さまざまな失敗をする。

例えば、今日は早く起きて読書がしたかったのに、低気圧で体調が悪くて動けなかったらしい。

今までだったら、「どうして体調が悪いくらいで動けなくなるんだろう、もっと頑張れよ」と責めていた。

でも、心の中でデカい犬がしょぼくれた顔をしていると、「まあまあ、とりあえず体調を回復させて、また晴れたときに頑張ればいいじゃん」と頭をワシャワシャしてやれた。うんうん、いい感じかもしれない。

「初対面の人と上手に喋れなかった」とか「我慢してたお菓子を食べちゃった」とか「また自虐的なことを言っちゃった」とか「ネガティブな自分が嫌いで仕方がない」とか、そういう小さくも心をちょっとずつ疲弊させていくタイプの悩みを、ワシャワシャと撫で回していく。

「いいよいいよ、そういうの可愛いよ」
「いろんなことが上手くできないし、生きるの下手くそだし、疲れると立ち止まっちゃうよね」
「でも、君は可愛いよ。情けないかもしれないけど、悩んでいるかもしれあいけど、それでも一生懸命生きてる。そんな君は可愛いよ」

そうやって、心の中のデカい犬をワシャワシャしているうちに、いつの間にか自分自身もワシャワシャできるようになってきた。これが最近、結構救いになっているのだ。

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もしも、どうしようもない悩みや自己嫌悪に襲われそうになったら、心に大きな犬を宿してみてほしい。猫でもいいし、ハムスターでもいいし、オウムでもいいかも。とにかく、ワシャワシャしやすい生き物を。

そして、悩みを抱える生き物を精一杯抱きしめて、大事に育てよう。気がつけば、きっと自分も抱きしめられるようになる。

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