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あやとり家族四十七〜一人暮らしを始めて〜

母の本当の気持ちとは

入院費でお金を使ってしまったが、毎月貯金してやっと念願の一人暮らしを始めたのは22歳の時だった

カーテンを買ったり、調味料を入れる入れ物や部屋の配置
とにかく全てが自由にできる喜びでいっぱいだった

一人暮らしに反対だった母を説得し、やっと手に入れた自分の場所

、、、だったのだが

実際に始めてみると

寂しい

大人数の家で育っていたから、人気のないことに慣れるのも難しかった

何より難しかったのは、母と会話しないことだと思った

愚痴を聞いていたこと、たかが愚痴でも私にとってはコミュニケーションだった

そのコミュニケーションがたたれた時、自分に目をやるしかない

だけど自分のことを大事にすることを学んでいなかった
教えてもらえていなかった私は
何が自分にとって喜びや楽しみになるのかわかっていなかった

むしろ、母の愚痴を聞いていることで自分が役に立っていると
自己肯定していた

毎日、仕事には行って会話はするものの
家に帰れば一人で、何をして良いかわからない

ひたすら友達に連絡をして夜遊びする

どうしても友達が捕まらない時は、ただただ寂しさに耐える試練が待っている

”おかしい”

私が思っていた自由が実現できるのに
自分のことがわからない

今書いていても自分が何がしたかったのかわからない

ただただ、寂しさを埋める活動をしていたと思う

ある日、寂しさに耐えられず実家に帰ったことがある

「疲れちゃったから夕飯食べに行ってもいい?」
とかそんなたわいもない理由づけをして

実家に行くと夕飯が用意されていて、普通に食べる

母からの電話は時々あったが、私の心配をしているような素振りは最初だけで
結局は愚痴をこぼしたいんだなっということはわかっていた

だから実家でご飯を食べている時も、張本人の祖母がいる前では話せない
自然と、「一人暮らしはどう?」なんていう言葉が出る

言葉巧みに言われるものだから
私にとっては、どの気持ちが母の本当の気持ちなのかわからない
これは今でも続いている

私の心配?自分の心配?愚痴を聞いてもらいたいの?
全部正解?

自炊を始めて、料理のことが全くわからなかったから母に電話するが
「たら〜っとひと回しするくらい」とADHDの私にわからない言い方をする
「わからないよ、大さじだとどのくらいなのかな?」
「えー、目分量だからわからないわよ」

これで終了だ

一人暮らしを始めた子どものために、何かしてあげよう
っという気持ちがないことが手に取るようにわかった

友達のお母さんってとても優しいなって感じていた

なんでうちのお母さんは優しくないんだろうって
一人暮らしを始めて実感した




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