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徳川家康さま☘️をたどる#15☘️家康さまの桶狭間#7

初筆 20210902 / 加筆修正 未

この記事は有料ですが、今とこは実質最後まで無料で読めます🤗
有料部分の文章は「ご覧いただきありがとうございました。」
のみですよ🤪✋

またこの記事の前半と同じ内容を音声で聞けます。
スタエフ配信:徳川家康さま☘️をたどる#15

⬇️
https://stand.fm/episodes/63a8594ff998230a387ff542

1 コンセプト

いちおー書物や文献も引くのですが
徳川家康さまはちょっと気の利く
フツーの人やってんやと仮定し
家康さまやその周囲の方々が
こんときはこー
こんときはあー思ったんちゃうやろか、と、
勝手に思いを巡らす
家康さまファンの思いを皆さまに届けます。


2 前回

今回で桶狭間の戦のお話7回目。
いよいよ桶狭間編の最終回です。

前回は
桶狭間時に大高城という織田領内に
1番深く入り込んでいた元康さまが大高城を脱出し
岡崎の大樹寺まで帰還したときの
大樹寺でのドラマストーリをお話ししました。

そうそうこれまで
大高城をおおたかじょうと読んでました。
ただしくは「おおだかじょう」だそうです。
また大樹寺をだいじゅじと読んでました。
それでもいいが地元の皆さまは
「だいじゅうじ」だそうです。
すーさん教えていただき
ありがとうございます😀で桶狭間の戦のお話6回目。

⬇️

前回記事はコチラ

3 今回

元康さま桶狭間から岡崎への帰還時に
大樹寺にて織田軍に取り囲まれ
もはやこれまで❗️と自害しようとしたときに
大樹寺13代住職登誉上人が元康さまを
諭すように言葉をおかけになられた。

そして元康さまは感銘を受け一念発起してもーて
自分の役割は
・戦乱で乱れた世の中を救い
・平和の時代を作ること
「厭離穢土、欣求浄土」
と思い込み😂、いや、悟って
そしていっときは自害しようとしていた
考えを改めて、再起を決意、
大樹寺の僧兵とともに織田軍をふりほどき
岡崎城へと帰還した。

その登誉上人いったいぜんたい
何言うたん❓

4 岡崎商工会議所保存の現代の大樹寺住職さま説話PDF

実際のお言葉が
漢文あるいは漢文の古語への翻訳として
大樹寺に残っている模様で
その文章をもとに
大樹寺責任役員の成田敏圀さまがお話しなさった説話PDFが
岡崎商工会議所サイトに保存されています。
「厭離穢土 欣求浄土〜家康公の平和思想〜」
前回に引き続き今回もこちらから引用いたします。
⬇️
http://www.okazakicci.or.jp/konwakai/18okazakigaku/18-6.pdf


ほな
登誉上人が元康さまとのやりとりいきますよ😀
現代語訳はかなり意訳してること
りょーかいしてね🙇‍♂️🤪🤪

5 登誉上人🆚元康さま@大樹寺

「師曰く檀主の危難あるは法門の厄に係れり」

師というのは登誉上人の事。
檀家さんが危険な目に遭うたり
檀家さんに災難が降りかかったりしたときは
大樹寺としても放かっておくわけにはいかん。

「公慮り(おもんぱかり)を爲さヾれ
 吾身命を捨て公を護衛せん」

公は元康さまの事です
心配しなくても良い。
我身命を捨て公をお守りします。

「即ち緇素(しそ)若干衆に命じて、寺門を固めしむ」

緇素ってーのは黒と白という意味
黒が僧侶を、白は世間の人を表す。
緇素、つまり僧侶と世間の若干衆に命じて寺に警護をしきますよ。

公大に異しむ(あやしむ)時に
師白布を以って旗を製し
之に題して厭離穢土欣求浄土と
是に於て師公に問ふて曰く
「君弱冠より戦場に向ふ其心
 唯だ敵を殺害するに在るか」

元康さまがなんでそんなんしてくれるのと不思議がってるときに
登誉上人は質問にスルー
白布で旗を作り厭離穢土欣求浄土と書き、それを見せて
おまはんは若い時から戦場に向かっておるけれども
その心はただ敵を殺すだけにあるのかと質問。

公の曰く「武人の心、実に唯然り」

元康さま武家ゆうんは
そーいうもんちゃいまっか❓

「師曰く殺害なんの爲ぞ」
 曰く
「是れ他に非ず」
「勇を振ひ功を樹て城を抜き國を奪はんとなり何ぞ」

殺害を何の為にするのか
これはこういうことやろ、
自分で勇気 を振い起こして、功をたてて、城を落として、国を奪う。
しやけど、なんでそーすんねん。

「止だ(ただ)其をしも云んや
 尚を竟に(つひに)天下を領せん者なり」
 曰く
「竟に天下を領して是れ亦た何するものぞ」

最後は天下を取るんが目的やろ。
アットラースト天下を取って
ほいでどないすんねん。
質問責めや😂

「武權を執るが如きは
 則門葉を興隆し子孫を榮耀し
 名を後世に挙げて父母を顕さん而己(のみ)」

要するに
武家として政権を執るということは
自分の家を興隆して子孫を繁栄させて
名を後世に挙げて父母の名を歴史に残そうと。

登誉上人は

「天に得ざるの國を劫奪(おくだつ)するは
 之れ奸盜之所爲(せい)なり」

本来、天のものである国を
強奪するというのは、泥棒ちゃうんかえ

「たとひ運を啓き一たび天下を領すとも
 非道にして得ば則ち何ぞ子孫に傳ふる事を得ん
 己れ獨り榮華に傲る(おごる)とも
 猶を一陽の春夢の如し
 命終(みょうじゅう)の後には
 必ず地獄楚毒の苦みを受けて
 何の益か之れあらん」

例え運よく天下を取ったといっても
汚い手口や気持ちやったら
おまえ1代で天下は終わるぞ、
だーれもついてきいひん、
死んだら地獄に落ちるぞ、と。

登譽上人は質問攻めです😂

最終的には万民のために天下の父母となって
万民の苦しみを無くするというような事を
していかなければいけないという事を
説いていく。

そういうことを懇々と諭されて
元康さまは、その大慈大悲の心、つまり、
仏教の心というものを初めて悟った気に
なりました😂
19歳でとりあえずその気になったんです。

6 で、どーなった❓

そうして将来安定した日本の国を作るために
今の自分ははどうあるべきか、そして
今は死ぬときではない、生きる時なんだ
という事を、感激をもって悟った。


登譽上人はこのように禅問答的な問いかけを
自害直前の元康さまに向かってやらはった。
こいつどーせ自害する言うてるから
ダメ元で説得してみた、
いやいやモノは言いよう
人を見てうまく話しやったんですねぇ😀
そしたら、元康さまむっちゃ盛り上がってしもた😀


そうして住職から十念
つまり「南無阿弥陀仏」を授かり
そうして敵の織田軍に対処していく。

織田の軍勢が大樹寺を取り囲んでいる中
登誉上人は既に約500名の僧侶を集めて武器を取らせて
白布に「厭離穢土欣求浄土」と大書した旗を立てて敵に対処した。

元康さまはその後旗指物(はたさしもの)
〜例えば武田の場合は「風林火山」〜
戦陣には必ず「厭離穢土 欣求浄土」を使った。

それ以来家康公は仏道に寄依されました。
戦いのある毎に暇さえあれば
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と
いつも写経し
亡くなるまでの日課は念仏六万遍
将来「念仏将軍」とまで言われた

この「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」メモ😂は
1枚大樹寺に残っていて「南無阿弥家康」という1行もある
とのこと😂
だいじょーぶか元康さん


総門の閂(かんぬき)を抜いて
打って出て敵勢を打ち払った。
総門の閂、総門といいますのは今の大樹寺小学校の南門。

総門の閂を開門と言って
元康さまが刀で二太刀閂を切った、
その閂も大樹寺でお祀りだそうです。

以下の記述は三河物語からですが、
その時の岡崎城はもう既に今川方が逃げ帰ってもぬけの殻。
空いた城なら拾おうという事で、
23日の日に自分の古巣であります 岡崎城へ入城、
自立の第一歩を踏み出されたという事であります。


なお後年、家康さまは元号が元和になったとき
織田信長さまが推奨した「天下布武」ではなく
「元和偃武(武器を伏せて用いないということ)」を
推奨しました。

これが
・謀反を起こさせず徳川幕府を守るためのものか
それとも
・築けた平和な時代を守っていこうという気持ちからなのかは
想像にお任せします😀

余談ですが
現在、かつての大樹寺領にある
大樹寺小学校 は校訓が自立だそうです。

7 次回

さて無事岡崎へ帰還した元康さまは
少しずつですが、再出発・松平家自立独立方向に
動いていきます。
しかしかつて元康さまのじいさまの清康さまの時世に
松平家と心を一つにしていた三河の小さな城主たちはは
今は織田方と今川方に別れてしまっている。

元康さまはどのようにして
三河統一をするのか❓
またそれはすんなり仕上がったのか❓
そのへんを話していきますっ

お楽しみにっ❗️❗



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