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「私の死体を探してください。」   第15話

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池上沙織【2】

 正隆氏は本当に最悪だった。

 正直に言うと、森林先生のブログがなかったら、正隆氏が森林先生を殺したんじゃないかと疑いたくなるほど、正隆氏は森林先生に対して、少しも愛情を抱いていない。

 けれど、私が知っている限り、正隆氏が森林先生を殺す動機が見当たらない。森林先生が死んで一番得をするのが正隆氏とは言いがたいのだ。

「山中湖の別荘に貯金はぜーんぶ使っちゃったしがっつりローンも組んだから、仕事頑張らないとね」

 一年前、あの別荘を建てた時に森林先生は.そう言っていた。この出版不況の時代に、そんなことは危なっかしいからやめて欲しかったけれど、先生は別荘にかなり強いこだわりを持っていた。 

 作品に反映するためだろう。建築士や作業関係者にもほとんど取材のようなことをやっていた。

 この人はすべてを肥やしにして小説を書くのだなと思ったものだ。

 貯金を全部はたいたばかりの森林先生に動かせる現金はそんなにないはずだ。森林先生が死ねば確かにその財産は正隆氏のものになるだろう。でも、生きている森林先生から、少しずつ搾り取る方がイージーでリッチに、さらに、面倒なことは一切考えずに生きていられるのだから正隆氏なら間違いなくそちらをとるだろう。現にこれから困ったことになりそうなのは目に見えている。

 正隆氏は最初から森林先生に愛情を抱いていなかったとしたら、どうして森林先生は正隆氏と結婚してしまったのだろう?

 大学の創作サークルで知り合ったと言っていた。少しそのあたりから調べた方がいいかもしれない。

 私は編集部のデスクで、森林先生のブログのコメント欄をチェックしていた。コメント欄は炎上していた。

 最初の病気と自殺をほのめかすブログには千件近くも、先生のファンの死体を探す。とか死体を探させないでとか、アンチの炎上商法だとか人騒がせだとか死んだふり乙だとかのコメントがミルフィーユのように重なっていた。

 都市伝説やミステリー系のユーチューバーがこぞってああでもないこうで
もないと言っている動画をアップしていて、その拡散は止まらない。

 検索ワードに森林麻美 誰? と浮かんできて変な汗が大量に出てくる。

 森林先生は自作やブログの朗読は文章を変えなければフリー。ブログ上の自分の写真や動画は悪質でない程度の加工なら許可なしで使用可と注意書きをしていた。

 ユーチューバーや朗読アカウント、読書ブロガーなどがバズらせてくれた作品も森林先生には何作かあったので、私は注意書きはやめた方がいいと思っていたけれど、なんにも言えなくなってしまった。

 それが今はこんなに裏目に出てしまっている。

 正隆氏の母親宛のブログが更新されてから、もう、手を付けられないくらいの炎上ぶりだった。身内をマルチに沈めるなんて酷い! というコメントが圧倒的で、こんな告解めいた告白は読みたくなかったとか、でも姑もひどすぎる、旦那は何をしてたんだ。だとかが、何周も繰り返されて、今も件数が伸び続けていた。

 森林先生の動画も様々に加工されて流されていた。早送りや誤解を生みやすい切り抜き動画がどんどん拡散されていた。

 こうなることを予想できなかったはずがない。

 森林先生はコメントが炎上することを狙っていたとしか思えない。

 森林先生のブログにはコメント欄に制限をかけていた。コメント数の上限は百件までだった。

 それは、ブログを開設した時に先生と話し合って決めた。百件にしようと言いだしたのは私だった。

「百件しか書き込めないと思ったら、逆に百件くらい早く埋まるかもしれません」

「なるほどね。いいかもしれない」

 そう言って決めた。そして、書き込めるアカウントも、本人確認が取れているアカウント限定にした。小説家にとってのホームページやブログはあくまでも小説を売るための宣伝と小説以外の息抜きに過ぎない。ブログで知りたくもない辛辣な感想や、聞きたくもない見当違いな中傷を受けて、それが私生活や作品に影響がでてしまっては本末転倒だ。

 だからこその条件と限定だったのに、それが外されている。

 すると、一つの疑惑が浮かび上がる。

「森林先生は、炎上を期待しているということ?」

 コメント欄を無制限にしたのはそういうことと考えるのが妥当だろう。いったい、森林先生はどうしたいのだろう?

「池上!」

 私がブログを眺めながらそんなことを考えていると、神永編集長から呼ばれた。頭痛がするのか、トレードマークの黒縁メガネを外してこめかみを揉んでいる。もう十分良くないことが起きているのに、まだ何かあるのだろうか?

「池上、これは出版できないかもしれない」

 神永編集長はメガネをかけ直してから私にそう言った。

 森林先生の山中湖の別荘から編集部に帰ると、森林先生の原稿を編集長と共有した。私は電話対応とメール対応で追われていて、まだ一行も読めていない。

「出版できないって、今はということですよね? それは私にも分かってます」

「そういうことじゃない。これはフィクションじゃない可能性がある」

「え? ノンフィクションですか?」

「詳しいことを調べないとまだはっきりしたことは分からないが……。池上、十六年前に起きた『白い鳥籠事件』を覚えてないか?」

「『白い鳥籠事件』覚えてます! 当時私は中学生だったので余計に印象に残ってます。女子校の仲良しの生徒五人が集団自殺をした事件ですよね?」

「詳細は覚えているか?」

「夏休みの教室で五人の女生徒が毒を飲んで死んだ事件だったと思うんですけど」

「集団自殺で生き残った生徒がいたことを覚えてないか?」

「なんとなく。確か生き残ったせいで、集団自殺じゃなくて、その子が全員を殺した疑惑が持ち上がっていませんでしたっけ?」

「そうだ。週刊誌で独自取材なんかもあった。特に死亡した生徒の父親の一人が彼女を殺人犯だと決めつけていたんだ。でも、証拠不十分で結局は不起訴になった」

「森林先生はその事件のノンフィクション小説を書かれたということですか? どうしてでしょう? あの事件のノンフィクションは事件から数年後何冊かでているはずですし、目新しさが一つもないのに、どうしてこれを最後の題材に選んだんでしょう?」 

「俺もまだ一章しか読んでないが、森林先生が白い鳥籠事件を題材に選んだ理由は明確に分かった」

「え? 理由はなんですか?」

「森林先生は……あの事件で生き残った生徒だったんだ」

「まさか!」

「俺もまさかと思った。でも一章を読む限り、そうとしか思えない。とにかく裏を取りたいから、過去のノンフィクションを書いた作家に問い合わせているところだ」

 白い鳥籠事件が世間を騒がせたことは鮮明に覚えている。仲良しの生徒五人が教室で輪になって座って一人ずつ毒を飲んだ。

 多感な中学生だった当時はどこかロマンティックに思えたものだ。
 一緒に死ぬことができるほどの友情と、若くして死を選択するほどの絶望とはいかほどのものかと彼女たちの気持ちを想像してみたものだ。

 あの事件の生き残りが森林先生だった。

 そんなことがあるだろうか。

「とにかく私も読みます」

「池上、森林先生のブログをどうにか閉じることはできないのか?」

「色々やってみたんですができません」

「そうか。困ったな」

 神永編集長が頭を抱えはじめた瞬間だった。私のスマートフォンのアラートが鳴った。嫌な予感がして、画面を開くとその予感が的中したことが分かった。

「神永編集長、大変です」

「なんだ? どうした?」

「森林先生のブログがまた更新されました」

「なんだって? 内容は?」

「『白い鳥籠の五羽の鳥たち』神永編集長が今読んでいるノンフィクション
の第一章が掲載されています」

 神永編集長は膝がくずれたかのように、椅子からずるずるとずり下がる。

「もうお手上げだな。こうなってくると、森林先生の手の中で俺たちは踊るしかないのかもしれない」

「どういうことですか?」

「森林先生が本当に死んでいるとしたら、大した死人だよ。死人に口なし。の逆をいっている。死人に口ありだな。死んでいるからこそ、もう何でも言えるってことだ。自分にとってネガティブなことも隠しておきたいことも、誰かの秘密も自分の秘密も、死んでしまったらそんなことはどうだっていいと森林先生は考えたんじゃないか? 黙って死ぬつもりはないから、こうして、時間差でブログが掲載されるように準備をした。一度にすべてを暴露するのじゃあ、話題にならないから、炎上させてから、少しずつ……まるでページをめくらされているようだよ」

「そんな……。そんなことって……」

「俺たちは今森林麻美の小説の世界に入れられているのかもしれないな……登場人物の一人にされているのかもしれない」

 神永編集長は大きくため息をついた。

「売れるかどうかだって気にせずに世間を騒がせることに集中して、自分の死をかけて書いたもの。これを読者がどう思うかだな……池上は森林先生に書かれたくないことはないのか?」

 ぎくりとした。
 書かれたくないことだらけだ。
 私と正隆氏の関係は森林先生には、ずいぶん前からばれていたようなのだ



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