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【ダスカロスの教えに学ぶ5】失敗は成功のもと/ダスカロスとモンロー氏の思想を比較する

まずは、前回の記事の補足から。

人間は、神によって創造されたと信じているひとはけっこう多いと思う……が、わたしは「ダスカロスの教え」の内容が真実と考える。

すべての生命現象は 絶対存在 の言葉のみによって創造されていますが、人間と、その他の永遠なる存在は例外とされています。人間は創造されたものでなく、絶対存在によって投射されたものです。

聖書には、神がご自身の唾液によってこねた土から人間の物質的な形態をつくったとありますが、彼は魂を持たない土の型にただ生きるように言ったのではありません。彼は、ご自身の命の息吹をその鼻に吹き入れられたのです。(旧約、創世記2‐7)

ゆえに人間は創造物というより、むしろ神の御子と言わなくてはなりません。人間は神ご自身の最愛の子どもであり、善悪を経験し、そうすることで「物事を受け入れるべきか拒否すべきか」みずから判断できるように、あらかじめによって定められているのです。

ミクロコスモスとしての人間はマクロコスモスといわば完璧にそっくりな、絶対存在と相似・同質のものです。それは、ヘルメス文書(ヘルメス・トリスメギストスのエメラルド書冊)にも「天にあるように、地の上にも」と著されています。

一人の人間は無限の 聖なるモナド の一つであり、多重性 の構成分子として絶対存在の中に存在しています。また 神聖なる意志の喜び からみずからを投影し、表現しています。なぜなら神の意志の喜びは、また私たちの意志の喜びでもあるからです。

一つの聖なるモナドとして、また一つの エゴ存在 としての自己において、人間は 大天使 とほとんど変わりなく、「大天使的人間」と、呼ばれています。しかし、その自己は 人間のイデア を通過し、その瞬間から絶対存在の中でそれ自身、個別の光を放ち始めます。これは  エゴ存在自己認識 となって、全なる愛全なる智恵全なる力 により、別の領域に入ったことを意味しています。

「エソテリック・ティーチング」49ページ

が自身の中に自身を表した 聖なるモナド の投射が人間であり、創造されたものではないというのは、見落としてはいけないところ……にもかかわらず、この記事を書いたとき は意識できていなかった (;´Д`A …

ニュートン氏の著書に、「自我のない世界」(後述)というのが出てくる。そこでは新しい魂たちが誕生しているらしい。が、魂の「誕生の仕組み」については詳しく説明されていない。

推察するに、まずは大天使マスター6次元から5次元の「魂-自己」を創造し、5次元思考的な個性(魂の光線の固有振動数)を、地球4次元で地球に即した感情的な個性を与え、それぞれの「魂-自己」に固有のアイデンティティを持たせる。そこから後の「魂-自己」はガイドのフォローを受けつつ、地球3次元で体験したい人生と肉体を自主的に選ぶ、という仕組みではなかろうか。

「非物質界の探索」に役立つ本(3)より

よって、謹んでお詫びし、下記のように訂正いたしマス m(__)m

ダスカロスの教え」に倣って推測すると、絶対存在多重性の中で一体化している 聖なるモナドエゴ存在)が、大天使 あるいは人間になることを意図して7次元に降り、大天使を選んだ 霊-エゴー存在大天使となり、人間を選んだ 霊-エゴー存在 は 大天使的人間 となる。

大天使的人間が 人間のイデア を通過すると、6次元に降りて人間エゴ となり、自己認識 は 永遠のパーソナリティー という形態を持つ。そこからさらに下位次元(5次元)に自己を投影することで転生のサイクルがはじまり、そこで人間は 3つの身体(ノエティカル体、サイキカル体、肉体)を持ち、さまざまな 現在のパーソナリティー としての自己を、時間・空間・場所の中で表現するようになる。

ここで注意していただきたいのは、人間には 聖なるモナドとしての自己 と、聖なるモナドの投影である 自己認識 としての自己 という2つの側面があるということ。聖なるモナドが 人間のイデア を通ることで形づくられるのが 永遠のパーソナリティー で、この段階が 自己認識魂としての自己 である。

そして、自己認識 はと同様に自己を 分離の次元 に投影し、一時的パーソナリティーノエティカル体サイキカル体肉体 などを創造する。その際に重要なのがエーテル・ハートにつくられる 永遠の原子 であるが……これについては後の回で詳しく説明することにして、今回は人間転生の仕組みについて、「ダスカロスの教え」と「ロバート・モンロー氏の探究結果」を比較しつつ、考察してみようと思う。

下記からもわかる通り、わたしはダスカロスだけではなく、ロバートモンロー 氏やブルースモーエン氏などの影響もかなり受けている。

それによって……というか、巷に溢れるさまざまな情報や先入観などによって、わたしは「(6次元の自己、トータルセルフ)が5次元に降下する際に2つ分裂し、それが『あなたとわたし』『陰陽』『善悪』などの二元性を持たせる原因」という エレメンタル(想念形態)をつくっていたのであるが……これは間違いであった。

高次から低次への移行は分裂ではなく、ひとつの聖なるモナドの放つ光量が段階的に絞られてゆくイメージで捉えるのが正しいと気づいた。

この件に関し、ダスカロスは「光」と「窓枠」を使った例えをしばしば使う。それを拝借してアレンジしてみた。

絶対存在が「太陽」で、聖なるモナドが「太陽から放射される光」……で、その「光」が大天使的人間のイデアという「窓枠」を通ると大天使的人間になり、さらに人間のイデアという「プリズム」を通ると、「床の上に映った窓枠型の光」という 自己認識 の上に「虹の7色」という永遠のパーソナリティーが投射される。そして、自己認識 が「虹の7色」の中からいくつかの色を選び、「床に開いた穴」を通して「床下」という分離の次元(3~5次元)に、一時的パーソナリティーを投影する……というふうにイメージしている。

ともあれ、基礎となる思想知識不整合があるとカオスになる。それで、「現段階におけるじぶんの認識」をチェックしようと思ったのだ……というわけで、人間とはどういう存在か?について図示してみた。

「ダスカロスの教え」と「モンロー氏の教え」を併記すると、ほとんど同じことを別の言葉でいってるだけのようにみえる……が、モンロー氏のいう I/There(IT、トータルセルフ)やクラスターの概念は、ダスカロス永遠のパーソナリティーの概念とは異なっている。

この点は、考えていた以上に重要なポイント!

ダスカロスの教えにある 自己認識魂 および 永遠のパーソナリティー については 復習済み ゆえ、モンロー氏の I/There(IT、トータルセルフ)、クラスターの概念について、違いがわかるよう今井泰一郎氏の「ヘミシンク探究大全」から引用したい。

さて、 ここでヘミシンクの考え方に関して、とても重要な概念についてお話したいと思います。

それは、「I/There(アイ・ゼアー)」(文中は IT と表記)といわれるものについてです。別名、「トータル・セルフ」ともいいます。「こちら側(物質世界)の自分、I/Here」に対する、「向こう(非物質界)の自分、I/There」ということです。より大きな自己のことで、モンローは「誰もが持っている前世と現世を含めたあらゆる自分」と表現しました。つまり、全自我といえるものです。

簡単にいうと、一つの過去世は一人の独立したパーソナリティーをもつ「自分」であり、数え切れないほどの過去の「自分」がいます。その一人ひとりの「自分」は、それぞれ人格や意識、記憶をしっかりと持っているのです。その彼らと、現世の自分がすべて集合しているものが、ITなのです。その一人ひとりをITメンバーと呼びます。そのITメンバーには今の自分自身だけでなく、同じ現世のなかで別の地域に生きている自分もいるとモンローは言っています。さらにそのなかには、地球生命系を体験したことのない存在、つまり宇宙人のメンバーもいる可能性もあるのです。
ーーー(中略)ーーー
さて、モンロー研究所では、ITにおけるそれぞれの人格のことを、ほかの生やほかの人格(Personalities)、生命表現(Life Expressions)と呼んでいます。またモンローは、このITメンバーの代表格的存在たちのことを「エクスコム:EXCOM」(代表委員会 Executive Committee)と呼びました。そしてこのエクスコムたちが、いわゆるガイドといわれる存在たちなのではないかと言われています。つまり、ITメンバーのなかで、先に進化した数名がエクスコム=ガイドと考えてよいと思います。

ITのなかには、そういった進化したメンバーのほかにも多くのさまざまなメンバーがいます。輪廻という形でその「探索」を繰り返しているメンバーたちもいますし、輪廻を卒業してITに帰還し、ほかのものが帰還するのを待っているメンバーもいます。また、F23や24~26の信念体系領域で「探索」を行なっているため、自力ではなかなか戻ってこられないものたちもい ます。そうしたメンバーたちをF27に引き上げ、さらなる次の「探索」を可能にし、やがてはさまざまな「お土産」を持ってITへ帰還できるように手助けするための作業が「救出活動」です。このメンバーたちが、出たり戻ったりを繰り返し、大きな自分であるITに対し、経験や知識、愛などのあらゆる体験をもたらすことが、ITの成長にとって大きな貢献となっているのです。モンローは、ITに対して行なった探索で、次のような体験を得たと『究極の旅』で語っています。

内側を目指して『向こうの自分』に分け入っていくと、まずは今の自分の人生におけるポイントとなった『記憶の層』に当たりました。ここでモンローは、幼少期からのさまざまな記憶を思い出します。次に当たったのは、『恐怖の層』。ここで、いかに自分が多くの恐怖をまだ解放できていないか再確認するとともに、ITの存在たちが、いかにその解放作業のプロセスを提供してくれてきたかを理解しました。次の『感情の層』では、今までモンローが過去・現在を通して一つひとつ味わい、大切にしてきた感情たちを確認します。モンローはそれぞれのITメンバーの人格と、今の自分とのつながりを確認し、自分がそこに至ったのは、自身のなかにある信念体系という名の障壁を少しずつ崩し抜けてきたからであることに、はじめて気がつくのです。さらにモンローが名づけたエクスコムというITメンバーのなかの代表格の存在たちとの会話で、そこにはさまざまなメンバーがいることや、その存在たちが今まで自分をどのように手助けしてくれてきたのかも知ることができたのです。

モンローはその体験の意義を、「長いこと空白だらけだった《知識》のファイルの穴がようやく埋まった」と表現しました。(以上、要約)また、このIT同士がたくさんつながって一つの集合体を作っているものを、「ITクラスター」といい、それはF42に存在していると言われています。そしてさらに、このITクラスター同士が無数につながったものを、「ITスーパークラスター」と呼び、そのエネルギーはF49で体験することができます。

さて、ITメンバーたちがそれぞれの体験を持ち帰ることを行なっているのは、あるときに向けての準備のためです。そのあるときとは、全メンバーが帰還集結し、数限りない経験と愛を十分に集めたひとつの存在として、「彼方」へ旅立つ時です。さらなる次の成長へのステップのために、グループ全体がひとつになり旅立つのです。「彼方」とは、モンローが「孔(アパーチャー)」と呼んだその場所を通り抜けたさらに先にある、われわれの住む物質世界を形づくった創造的な力の源といわれるところです。

F49のところでもお話しましたが、モンローは、《名前の分からない大きな存在》との会話から、「孔(アパーチャー)」を抜け「彼方」へと旅立てるのは、すべてのメンバーを集め終わり、統合し、メンバーたちの数限りない経験と愛という贈り物を携え、「完全になった(真に一つとなった)」ものだけであることを理解したのです。部分を集め統合し、真に「ひとつ」となり次のステップに旅立つことが、その目的だったのです。

今井 泰一郎 著「ヘミシンク探求大全」 (Kindle の位置 No.1396-1451)

モンロー氏のいう「信念体系」とは 悪魔(欲望-思考型エレメンタル)で、「それらを崩し抜ける」というのは 人-悪魔 の 非活性化 のこと……で、その作業を経て「それぞれのITメンバーの人格と今の自分とのつながりを確認できた」というのは、永遠のパーソナリティー一時的パーソナリティーとのつながりが自覚できたということである。

永遠のパーソナリティー一時的パーソナリティーとの関係性ついて、ダスカロスの「エソテリック・ティーチング」に優れた解説がある。

神の恩寵によって 3つの体 の中に住む、この一時的パーソナリティーを、聖霊永遠のパーソナリティー守護大天使と共に見守っています。このパーソナリティーは聖なるものであり、より偉大な 自己性 の一部であって、いつか絶対存在一体化する運命にあります。

永遠のパーソナリティーを “愛情深い母親” に例えるとすれば、現在のパーソナリティーは “成長過程にある子ども” のようなものです。その子が良い子であろうと悪い子であろうと、成長して自分の能力を発達させるまで、永遠のパーソナリティーは母親として面倒を見続けます。

永遠のパーソナリティーは常に3つの体の中にあって、主にそれらの監督者としての役割を担っています。多くの場合、永遠のパーソナリティーは 潜在意識 を介して現在のパーソナリティーに良心の呵責を起こす、という方法で干渉します。

それでは私たちは、この2つのパーソナリティーのどちらなのでしょう? 私たちは一時的パーソナリティーなのでしょうか? それとも永遠のパーソナリティーなのでしょうか? 私たちの日々の理解力は、いつ一時的パーソナリティーの中にいて、いつ永遠のパーソナリティーの中にいるのでしょう?

人間であることには、常に葛藤がつきまとうものです。特に現在のパーソナリティー霊的進化が低いレベルに留まっている間は、エゴイズム、不条理、貧欲さといった物質界の誘惑に強く影響されます。人間に物質を所有するという考えがある限り、そこに争いが絶えず、それは変わることもありません。

私たちの永遠のパーソナリティー現在のパーソナリティーの中で常に戦場にいるかのように、物質界の「場所・時間」的な対立にまつわる奮闘に明け暮れています。しかし、こうした争いのプレッシャーの中でも、自己(現在のパーソナリティー)は、真の自己である永遠のパーソナリティーの中で休みたいと避難すれば、いつでもしばらくの間、平和と静けさの中で過ごすことができるのです。

よって、正しい思考の持ち主は、対立でなく調和を選択しなくてはなりません。現在のパーソナリティーはくだらないことを話したり、反抗的な行動をとることが少なくありません。しかし、遅かれ早かれそうしたことに疲れて永遠のパーソナリティーに身をゆだね、その助言に耳を傾ける傾向があります。

たとえ怒りや感情をぶちまけてしまったような時でも、私たちはそうしたパーソナリティーが自分の一部にすぎないということを理解しています。だから私たちは自分のそういう部分と戦うのではなく、むしろそれを正し吸収していく必要があるのです。

このように、私たちは「経験や情報を集め、それらの意味を解釈しようとする自己」と「それを指導し、正そうとする自己」という、2つの自己を持っているように見えます。しかし、実際は、ただ一つの自己性なのです。そのため、偉大なる智恵をもって行動している永遠のパーソナリティーは、適時、肉体から一時的パーソナリティーを(潜在意識型の体外離脱という方法で)追い出す時間をつくっています。これは、永遠のパーソナリティーと聖霊、聖なる大天使たちに、損なわれた肉体を癒す時間を与えるためです。この作業は通常、睡眠中の意識下で行われています。

知識は、私たちが自分たちに必要な意志の力を生み出す原動力となるものです。私たちは意志の力正しい思考によって、小さく形のないサイキカル体ノエティカル体永遠のパーソナリティーに同化するまで、それを成長させていくことでしょう。そしていつかそうなった時、永遠のパーソナリティー現在のパーソナリティーと一体となり、統一体となるのです。

こうした調和の状態に到達すると、私たちの自己は簡単に意識的な 体外離脱 を行えるようになり、新たに浄化され一体化されたサイキカル体ノエティカル体を、サイキカル界ノエティカル界への独立した投影として活用できるようになります。このような “存在” となった私たちは、さらなる智恵の世界へと入り、「時間と場所」という制約を超え、全なる力によって物質を操作できるようになるのです。

「エソテリック・ティーチング」166‐168ページ、一部の太字化はNoelが実施

もっかの目標がズバリ書いてある (*^^)v

ダスカロスのいう永遠のパーソナリティーは、一時的パーソナリティーとして数知れない転生を繰り返してきた自己の経験のすべてを反映し、かつ聖なるモナド(神)との繋がりが明確に保たれている統合的パーソナリティー個別化された自己性)である。一方、モンロー氏の I/There(IT、トータルセルフ)はじぶんだでけでなく、さまざまな人格を持つ他者も含まれており、同時に地球3次元に転生することもあるという。

で、この相違だけでなく、モンロー氏がいうところのフォーカス27(輪廻の中継地点)を高次4次元としてきた件 なども、かなり怪しくなってきた、、、ダスカロスは6次元を「転生と転生の間に休みにくる場所」だという。つまり、「死後は4次元→5次元→6次元にシフトし、必要に応じて再び分離の次元へ転生する」のが通常の転生サイクル……にもかかわらず、「3次元4次元の間でグルグル輪廻転生する」と考えたのは、信念体系領域(低次4次元)に吹き溜まったエレメンタルに引っ掻き回されていたからかもしれない ( ノД`)シクシク…

この違いは、想像以上に深刻なのだ。

「ダスカロスの教えがわたしのスピリチュアルな学びの基礎」といいつつ、肝心なところで思考が分裂し、それが進歩阻む要因となっていた、、、と、失敗原因がわかれば修正すればよい。

モンロー氏の考え方とのすり合わせや、じぶんの過去記事の修正などはひとまず保留するが(復習が一通り終わったら補正の予定)、わたしはダスカロス教えに倣い、分離の次元に魂を分け合った他者がいる というエレメンタルは非活性化する……と明言しておきたい。