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【閑話】詩の振り返り

いつもありがとうございます。星時雨です。
ここ3週間ぐらい投稿した記事を抜粋しながら振り返ってみます。
詩の投稿を再開してちょうど1ヶ月経ち、だいぶ頭が“書くモード”になってきた気がします。
それに伴って五感のアンテナも立ち始め、スマホのメモ帳(深く考えずGoogle Keepを使っています)が降ってきたフレーズや題材を書き留めるためぐちゃぐちゃし始めてきました。

書き手が自分の詩について触れるのは読み手の自由を阻害してしまうので、野暮だと思いますがよろしければお付き合いください。
何でこんなこと書いたんだろうという備忘録的な側面もあります。


私生活や仕事や趣味等で人にぐさっと刺さること言われることもありますが、スパッとスルーして目指すべき場所に自分を向かわせる。
力むと斬れないから正しい軌道で滑らかに。


小さい頃の夢って単純だったのに、歳を重ねるにつれ将来の夢ってとても険しい道のように感じるし、過程がいっぱい、自分より才能ある人いっぱい、怠惰も邪魔する。でも、難しく考えてしまっている私が悪い。道は今も昔も一本道で自分の努力で開くもの。自分の生き方に地図は無く、自分の歩んだ道が地図になる。とりあえず進もう。


花言葉って言うとりますけども花はただ咲いているだけで、人が勝手につけた都合の良い人の言葉でしかないんよね。って思ったら花になってましたっていう。記念日に花を贈るなんて、花からしたらいい迷惑。じゃあ、花は何が言いたいんだろうって、人側ではなく花側の言葉を探して花言葉。


だいぶカヌレな3行だと思う。


嫌いって感じたものはすぐに捨てたくなるよね、痛いし、臭いし、不快。
すぐに捨ててしまったら、それ以降はなかなか触れなくなってしまう。
でも、食わず嫌いで実際食べてみたら案外イケたものあるよね。最初は嫌いだったけど食べ続けたら好きになったものあるよね。暫く経ってから食べたら好きになったものあるよね。
嫌いは一時的な感情でコインの裏表のように簡単にひっくり返ることもある。世の中、色んな対になるようなものがあるけど、裏表は一つのコインをどちらから見るかでしかないように元々は一つのものなのかもしれない。
そう思うと、言葉で仕分けないで、色々ひっくり返してみるもの悪くないかもしれないよね。


理由も知らずに当たり前に行っている行為。なんでこんなことしてるんだろ。そう思ったときに、昔は生き物だったんじゃないかって頭をよぎったら喰ってた。
もちろん、ちゃんとした理由があるんだろうけど。


感動的な演奏を聴くと、人がピアノを弾くんじゃなくて、ピアノから人が生えてきてるんじゃないかと思えてきて。
鍵盤の一本一本が神聖な玉座で、そこに座る何かがピアノから生えてきたものを再びピアノと一体化させる。結局、そこにはピアノしか存在しない。
私も八十八の玉座に何がいるのか尋ねてみたい。


恩師マーリン、僕アーサー。
誰もが何かしらの原体験から成る己の哲学や行動原理を持っていて、自分の深いどこかに刺さっている。それは正当な持ち主にしか引き抜けない聖剣。
己の聖剣が何かを理解し、引き抜いたとき、めちゃくちゃ強くなれると思う。エクスカリバーってゲームだと最強クラスの武器だったりするし。
自分の哲学や行動原理がないと感じたら、きっとどこかに刺さってるから探して引っこ抜いて最強装備を手に入れよう。


以上。
引き続き、読んだ方が私の言葉で何かプラスになったと感じていただけるものが書けるよう精進します。
よろしくお願いいたします。

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