ホシノ メグミ

踊るひと。日々の生活と踊ることは繋がっている。その日々を記録していきます。一瞬一瞬変化…

ホシノ メグミ

踊るひと。日々の生活と踊ることは繋がっている。その日々を記録していきます。一瞬一瞬変化していくことに身体を通して出会い続けています。

最近の記事

朝の味

朝起きて動きたくない時、気持ちがどんよりしている時に、朝8時から開いているコーヒーのお店に行くことで起きようとする。 そのお店は他の店舗のなかにあり、他の店舗がまだOPENしていない時間は、鳥の声が流れている。そのコーヒーのお店に行くときは、出来るだけその時間帯に間に合うように足を運ぶ。 コーヒーを飲みながら、お店の方と話したり、ぼんやり外を眺めたりする。朝、忙しくなる前にちょっとしたひと時を過ごしたい。 朝の味、という実験。 何気なくお話したやりたいことを、今回こころ

    • 2023年に思う

      年が明けて、冬から春へ、冷たい風のなかに春の気配が少しずつ色づいてきている。まだ寒いけど、春の気配、春をふくんできている。 今年は、この4年間ほどずっと探り続けて寄り道ときどき迷子になりつつも、ようやく見えてきた踊りのかたちを上演しようと思います。 ”メル(Mer)”という名前から”ホシノメグミ”へ。 もう前の名前では納まらず、新しくも自分の身体により近しくなった名前に移行するまで、4年ほど。 変化するごとに、自身の身体の感覚に近しくなってきている。 私の身体というより

      • 狐の神様

        【出演情報】 お久しぶりです。 来月こちらの舞台で一緒に踊らせていただきます。 八百万の神のごとく多種多様なキャスト、琵琶奏者と共に。狐の神として、踊りつくします。 様々な身体を体感出来る舞台に。   ぜひ、足を運んでみてくださいませ。 ご予約される場合は、直接私にメッセージでご予約ください。 よろしくお願いいたします。   * 『梟の神』 アイヌに口伝として伝わる神話「アイヌ神謡」をモチーフとした物語を、60年代より日本発の前衛芸術として世界で愛される「舞

        • 残る気配へ

          観たかった玉蔵院の桜は間に合わず、門を挟んで眺めていた。 細川麻実子さんによる「気配」の一部になり、無事に楽しく戸惑い、スリリングを味わえたひと時になりました。 関わってくださった皆さんに感謝です。 本番で流れと違う流れをつくり弄ぶ茶目っ気たっぷりな麻実子さんと、一緒にそれを楽しむメンバーで、気配を楽しみました。良い具合に崩れていく…でも、ひとつひとつ反応していく、身体の判断や戸惑いも含めて、受け止めていくことを味わいました。 戸惑いや移ろいつつも、何かを信じて突っ切

          気配のひと

          3月に誕生日を迎えて、誕生日というものを考える。 生まれてきて良かったとか、産んでくれてありがとうという想いから外れてしまっている身としては、誕生日は憂鬱な気持ちによりなりやすい日。(生まれなかったら、と、生まれてから、は比較出来ないという個人的な考えです。) だったけど、今年は、この年齢まで巡り会った様々な出逢いにありがとう。ということがしっくり来た。色々な感情を見つめつつ、出逢ったすべての人に感謝出来るほど心は広くないけれども、出逢いには感謝出来る気がした。 その出

          心をつくる

          踊りは、踊り手の身体と観ている人のあいだに生まれる。そのあいだにつくられていく。 しばらく舞台から離れ、ひょっこり現れたり、映像や写真のなかで踊っている。日々のなかで、繰り返し過ぎていく景色や記憶の積み重ねで、いまも過去もちょっと先のことも同じ場にあり続ける。 * 人に伝えたい話、説明の意欲がなぜか低く、伝えたいと思うほどに、身体に圧力がかかる。その圧力は何か分からないけど、その圧力をゆるめてあげたい。 楽しかったことや気づいたこと、つらい悲しい、なんでも、誰かに話すこ

          2022年2月1日

          1日過ぎてしまいましたが、 旧暦の謹賀新年。 昨年から旧暦を生活に取り入れてみると、身体の感覚に合う流れだったので続けてみることに。 始める前は年々季節が乱れていると感じていたけど、旧暦を意識して過ごすと、感じる季節の変化と重なっていることに驚く。 旧正月は年によって日が異なり、私は今年の旧正月日を昨年の日付と間違えてしまって…。 気を取り直し、 もうひとつ気づいたことは、旧正月のほうが、身体は一年の始まる準備がしやすい。現代の正月はうまく身体が迎えず、ちょうど、今が

          うつくしい始まり

          ふっと表情を変えたような冬の冷たさに身をくるませてしまう。 ふと、原宿に足をのばし、10分ほどのダンスをいくつか観る。 しばらくダンスを観たい意欲がなくなり、予約したいと思っても、もし当日まったく行く気がなくなってしまったらと思うと怖くなり、ふらっと当日観ることが可能なものだったので、安心して足を運ぶことが出来た。 ここずっとしばらく踊る身体を観ていても、その身体の実感というものが持てなかった。 身体の実感とは何かと疑問に思い、そして身体の実感が持てなくても持ててもどちら

          うつくしい始まり

          秋、白露

          日々頭のなかで誰かに手紙をつづる。 最近はしばらく文字に残すまで至らずに消える、忘れることにもどかしく。 コロナ期に入ってから読んだ本も紹介したいなと思いつつも。 身体に私自身が追いついていないような感覚がつづく。もっと先に向かっているのに、私は追いつけていない。 朝、お粥が食べたくなる。中華味の500円程度で軽く食べられるもの。午前中しか開いていないそんなお店があったら、足繁く足が向かってしまうだろう。

          春の土用

          10時頃に公園へ。 向かう前に起きてから身体を動かすように意識する。習慣として根付いていた一日の始まりから変えていく。家事から始めずに、身体を動かすことから始める。身体の状態をみるように、伸ばしながら動かしながら身体を確認する。 動かして、触れて確認することは、身体を認識すること。 触れられた動かされていく身体は、認識されることで実体をもつ。認識されないと、不在している状態のまま。認識されることで、存在することが出来る。実感をもつ。自意識と身体が繋がる。身体の反応が変わ

          椿の庭

          久しぶりに映画館へ。 タイトルと写真の佇まいに惹かれた。 知らない監督の作品を観ることは久しく、何も情報に触れることなく、出会うことをしたかった。 ふと見かけて、耳にして、出会いたい。 映画や本、音楽だけでなく。調べることで”リスク”は回避しやすくなるかもしれない。 でも知らない何かに身体を放りたい。 そのものがまとう雰囲気を、誰かの情報の手前にある空気を感じたい。 でも、その作品を紹介する何かに触れる楽しみも知っている。 どちらも、思考で探ることも、手放しで

          春から一年を

          先月、2月11日を一年の始まりとして、今年を過ごしてみることにした。 最近は数年前に撮った植物の写真をよく思い出す。 壁沿いに曲がりくねった一筋の線。 日の当たりが変われば、伸ばす方向を変えてどんどん変わって うまれた線の流れが美しかった。 そのバランスの取り方、バランスを取り続け選択している植物の跡。 どんなバランスをつくっていくのか。 その匙加減を味わう。味わっていきたい。

          あめつちのうた

          あの日に踊る予定だったことを想う。 映像が公演の代わりにならないけれども、でも麻実子さんの言葉通り”始動している作品と身体を途中で止める行動が耐えられない”という感覚に共感する。 公演予定だった「あめつちのうた」の映像作品に出演者として関わらせていただいて、思っていることを言葉で交わしたわけではないけれども、その言葉通り、形にすることが関わる人達にとっても必要に感じていました。 上演時に立ち上がるものだけが作品ではなく、作品の種が撒かれて人が集まり、身体のやり取りが交わ

          あめつちのうた

          ひとつの窓

          親愛なる Ewelina Skowrońska が声をかけてくれて、こちらの企画「Tokyo Quarantine」に参加、”ひとつの窓”を載せました。 私が載せた今回のトピックは「VOL:4:DESPAIR」です。covid19の時期に、それぞれのトピックを設けて、毎回異なる様々な作り手の現在思っていることが、毎週更新されているようです。 それぞれの異なる窓を通して考える、感じること。それは分かるものも分からないものも知ること。 このささやかな企画が今後とも繋がって成長

          20200323_

          33歳、姉が迎えられなかったひとつめの年に踏み出した。 ことごとく仕事はなくなり、人と何かを約束することがなくなり、次のスケジュールへと急き立てられていたものがなくなり、人と会うこと、遠くへ移動することがなくなってきた。はじめは使っていたSNSをスマホからアプリを消す。 仕事はなくなれど、やらなければならないこと、それはやりたいことでもある物事に取り組みつつ、自分にノックをする。そして読書をする。 実用書は別としても、小説と向き合う時、今までは読書しながらスマホが気にな

          お知らせ

          今月、下記ふたつの出演する予定でした公演の中止をお知らせします。 当然のことかもしれませんが、”いつどんなことがあるか分からない”と、今回のコロナのことに限らず日々感じております。 人間の思いもよらない出来事はいくらでも起こりうることだと思いますので、どの公演も、ひとつひとつ”その時”のご縁のもと、関わる方や場も含めて成立出来ていると考えています。またどこかで、どんな形であれ、改演出来る時が”上演されるべき時”だと思いますので、それぞれが”今”ではなかった、”その時”を待