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椿の庭

久しぶりに映画館へ。

タイトルと写真の佇まいに惹かれた。

知らない監督の作品を観ることは久しく、何も情報に触れることなく、出会うことをしたかった。

ふと見かけて、耳にして、出会いたい。

映画や本、音楽だけでなく。調べることで”リスク”は回避しやすくなるかもしれない。

でも知らない何かに身体を放りたい。

そのものがまとう雰囲気を、誰かの情報の手前にある空気を感じたい。

でも、その作品を紹介する何かに触れる楽しみも知っている。

どちらも、思考で探ることも、手放しで身体任せにすることも、

そのあいだを行き来しつづける。

水音や風、動いてひびく気配。

「椿の庭」に映る光や音、植物や風景にあつかわれている物、身体と…等しく合わさった息づかいを感じる。響きあう。

生活すること、日々その暮らしを、かたちづくる人の心が宿る。その暮らしがその人の心をつくる。

その暮らしをつくるため、育むために必要な物たち。その物を大切に使っていく人の手、振る舞い。

お互いに呼応するように馴染んでいく気配。

ずっと聴こえている波の音。

家で車の音が絶えず聴こえ続けている耳に優しい。

いずれ失うかもしれないけど、必要としなくなるかもしれないけど、いまその時々を大切にする心の積み重ねが、生きていくことに必要なのかもしれない。

いずれは壊れてしまうことよりも、勿体なさよりも、その日々をつくっていくこと。愛でるように。所有する心とも違う。

変化し続けることは自然のこと。

その日々を過ごし、その物たちと共に、椿の庭に家に宿っていた心の感触が残る。

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