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心をつくる

踊りは、踊り手の身体と観ている人のあいだに生まれる。そのあいだにつくられていく。
しばらく舞台から離れ、ひょっこり現れたり、映像や写真のなかで踊っている。日々のなかで、繰り返し過ぎていく景色や記憶の積み重ねで、いまも過去もちょっと先のことも同じ場にあり続ける。

人に伝えたい話、説明の意欲がなぜか低く、伝えたいと思うほどに、身体に圧力がかかる。その圧力は何か分からないけど、その圧力をゆるめてあげたい。

楽しかったことや気づいたこと、つらい悲しい、なんでも、誰かに話すことで物語がうまれる。その人の物語が。記憶というものが、その人が所有する物語なんだと気付かされたのは、"メモリア"という映画から。

記憶を失うこと、否定されることは、その物語を奪われるようだった。その物語たちがその人を形づくる。物語も、語る人と聴く人のあいだに生まれると感じている。
発する言葉によってその人の身体はつくられる。繰り返し。繰り返し。
日々の生活のなかで、ふと踊る。

身体が踊りをみつける。私はその踊りにつうじる『石』に耳を傾ける。

身体に身体を預ける時、ゆだねる時、身体はその時反応しつづけている身体の動きを表出する。コントロールしていると思っている描いている身体から離れて。身体を感じる身体は、実物でみえるものよりもずっと形づくられていないようなものに感じる、
踊りにつながる身体づくりを、日々の生活のなかで、パン生地をつくるように、繰り返し形を変えて育んでいる。
日々を大事に育てることが遠い誰かに繋がり、平和になれない世界のなかを踊り紡いでいきたいと願う。

つれづれ。

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