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『1940年体制』 ー 働きかたのアップデートは、戦時体制からの脱却

『1940年体制』は1995年出版。2010年に最後の11章が加筆された。1995年時点での金融制度、経済官庁の体制や税制、企業の仕組みは、どれも1940年前後につくられた戦時体制をそのまま踏襲していることを、シンプルかつ丁寧に論じた本だ。

増補版の前書きに、こうある。

刊行時から日本社会は大きく変貌した。経済体制についても、大きな変化が生じた。したがって、これらについて述べた本文中の記述は、すでに古くなってしまっている。(しかし)現在の日本における最大の問題は、金融機関や経済官庁というよりは、むしろ民間企業(とくに、大企業)にあると考えられる。金融制度や経済官庁の面で戦時経済体制的性格が消滅し、あるいは薄れてゆくなかで、日本企業が持つ戦時経済的な体質は、むしろ強化されていると見ることができるのである。

企業の戦時経済的な体質とは、どういうことか。本書の指摘をいくつか見てみよう。

前提として、1940年体制より前の日本は、経済制度も企業の価値観も、現在とはだいぶ違った、という認識がある。戦後の体制や価値観は、戦中を飛び越えて戦前と結びついているのではない。戦中に新たに形成された体制や価値観が、戦後に引き継がれたのだ。例えば、太平洋戦争前の企業は、利益を最大化し株主ががっつり配当を得る、というのが経済界の基本スタンスだった。1940年、戦時体制を構築するため統制を強めようとする政府に対し、財界から「新経済体制ニ関スル意見書」が提出された。その中にこんな一文がある。

企業経営の目標が国家目的に背馳せざる正当の利潤にあるにおいては、いかなる高率の利潤ならんも、国家としてはむしろこれを奨励すべきものにあらずやと信ず

2005年、ライブドアがニッポン放送に買収を仕掛けた件では、堀江貴文さんや村上世彰さんが「儲けようとしてる」的な文脈で叩かれていたが、戦前の財界から政府への意見書は、むしろ堀江さんらと話が合いそうだ。

こうした経済界の姿勢は、政府の統制で一気に変質させられた。

国民生活が圧迫される中で、それまでのような高い配当性向は、所得分配の観点から望ましくないとの考えが強まった。このため、一九三九年に「国家総動員法」に基づいて施行された「会社利益配当及資金融通令」によって、企業の配当に規制が加えられることとなった。(Location: 601)

配当が制限され、また株主の権利が制約されて、従業員中心の組織に作り替えられた。これによって、従業員の共同体としての企業が形成されていった。(Location: 405)

1. 終身雇用や年功序列
終身雇用や年功序列型の賃金は、1920年代から重化学工業など一部の業種で徐々に導入されていた。それが1939年、初任給が公定されることになった。さらにその年の後半からは賃金統制が行われ、従業員全員を対象にして一斉に昇給させる場合を除き、賃金は上げてはならないとされた。これによって、定期昇給の仕組みが定着した。(Location: 618)

2. 職場の一体感、企業別組合
また、日本企業の労働組合は現在、企業別になっているが、その原型は1937年に事業所別に作られた「産業報国会」にある。「この背後には、従業員を企業の正規のメンバーとして位置づけるという、新しい企業理念があった。従来は職員と職工の身分格差が非常に大きかったため、両者を職員として一括すること自体が、大きな変化であった。これにより、それまでの労働運動は分裂し、組合は解散させられた。」(Location 631)

欧米では企業別よりも業界や職能別の組合が主だった。例えば全米自動車労働組合は、組合員なら勤務先に関わらず、同一賃金を企業に要求していた。それと比較すると事業所別の組合は、勤務先への愛着を強め、経営側と社員の一体感を高める効果があると考えられる。(ちょっと脱線するが、現在、欧米のような「同一労働、同一賃金」を導入すべき、という議論がある。欧米で同一労働同一賃金が実現したのは、業界や職能別の組合が確立していたことも背景にある。)

3. 業界団体と官僚統制
業界団体の原型は、1940年の「重要産業団体令」をもとに作られた「統制会」だ。「これらの業界団体、営団、金庫などは、形を変えながら現在も生き残り、また、分野によってはその数を増やし、経済活動に対する官僚統制や行政指導の道具として、あるいは官僚の天下り先として、重要な役割を果たしている。 」(Location 422)

4. 競争や利潤追求の否定
戦時体制を形作る価値観を先導したのは、当時「革新官僚」と呼ばれた一派だった。「企業は利潤を追求するのではなく、国家目的のために生産性をあげるべきだ」が基本思想だ。また、戦争という単一目的に全員を向けるため、成果の平等配分や脱落者を出さないことが重視された。

戦後、GHQの占領下で軍部と財閥は解体されたが、戦時体制のもう一つの柱だった官僚組織はほぼ無傷で生き残った。そのため、戦時体制の価値観がそのまま戦後の経済政策に引き継がれた。結果的に「太平洋戦争という総力戦を遂行するために作られた戦時経済体制が、経済成長という別の目的にも、大きな効果を発揮した。」高度成長期が実現した背景に、戦時経済体制の継続がある。

企業、あるいは業界を共同体とみなし、その生存を第一目的とする価値観は、現在も根強い。この価値観のもとでは、競争より共存が尊ばれ、利潤追求より(社内)共同体の維持を大事にする。「救済合併」とか「過当競争」という概念に、あまり意義が唱えられないのは、そのあらわれだ。こうした価値観は日本古来のものでもなければ明治以降の日本に育まれたものでもない。戦時という非常時体制のメンタリティーを転換するきっかけを、80年も掴めずにここまで来ただけだ。

日本に限らず、第二次大戦に参戦した欧米諸国はどこも、こうした戦時体制を導入していた。そしてどの国でも、その体制は、戦後もある程度引き継がれたようだ。例えばアメリカの状況は、こちらのポール・グレアムのエッセイでよく分かる。

日本と欧米諸国の分かれ目は、どうやらオイルショックの時だったらしい。日本に形作られた戦時体制は、オイルショックを乗り越えるのにプラスに働いた。欧米諸国ではまさに「ショック」で、それまで構築したさまざまな仕組みが壊れ、大きく変化するきっかけとなった。

現在、若い世代が作る新しい会社も、実はけっこう1940年体制の影響下にある。日本の学校システムはもろ「1940年体制」だし、大企業に勤めてから起業・入社するとどうしても保守的な企業のやり方に影響される。さらに、税制やさまざまな法規制など、新しい企業を取り巻く環境にも1940年体制が色濃く残っている。

現在取りざたされている、会社と人の関係の課題、働きかたの課題の多くは、元をたどれば1940年体制なのだ。戦争を直接経験した世代だけでなく、その子どもにあたる世代までは、つまり団塊ジュニアより上の世代までは、「1940年体制」的な価値観を内在化して育った。戦後経済の成功体験45年分が、この価値観を強化した。いま、そうした価値観から自由な世代が働き盛りになって、やっと異論が表面化してきたのかも。

「敵を知る」「己を知る」観点で、特に若いかたに一読推奨であります。

…なーんて思ってたら、Amazonさんがこちらの本をオススメしてくれた。最近執筆された本で、働きかたに焦点をあてているようだ。次はこちらを見てみようと思う。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(Photo by Paul Pod)

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