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台湾に残る日本建築① - 台中州庁

今日の中国語◆歴史
意味 歴史
発音 リー スー

台中駅から徒歩15分ほどの距離にある見るからに歴史がありそうな白い建物。2021年に台中に住んでいた時から、ずっと工事中の柵に囲まれていて、気になり続けていた場所。
2023年の秋からやっと内部の観覧が週に1回、ガイドツアーで解禁されたと聞いて、ずっとチャンスを伺いつつも、なかなか行けず。
2024年3月初旬のもはや夏が始まったんじゃないかと思うくらいに暑かった日曜日、ツアーのスタート場所へと向かった。

ボランティアガイドの阮郁元(ルァン ユーユェン)さん

阮郁元さん

今回ガイドをしてくれたのは、台中出身の阮さん。
建物の歴史や、台中の歴史を本当に詳しく教えてくださり、すごく熱意を感じる女性。
ガイドになった理由を聞いてみたところ、
「自分が学生のころは歴史の授業といえば中国大陸側の歴史を教えられていた。大人になって海外旅行に行ったりして、外国の歴史はいっぱい知った。
だけど、ふと自分の国である台湾の歴史は何も知らないんじゃないか?と気づき自分で趣味として勉強し始めるようになった。
勉強していくうちに、台湾にも外国に負けない歴史があって、それを台湾人を含めたくさんの人たちにも知ってほしいと思うようになった。」と教えてくださった。

台湾の歴史は、民族という面で見ると日本よりも複雑なところがある。
星のやグーグァンの近くに古くから住んでいるタイヤル族などの原住民族、その後中国大陸から漢民族が入ってくるが、それも客家族とホーライ族に分かれる。さらに、日本の敗戦後に蒋介石と共にやってきた人は、外省人として分けられる。
小さな島国へ移民してきた人々の歴史、そして、時代によってヨーロッパであったり、日本であったり文化と歴史に影響を与えた国々がある。
東京から飛行機でたった3時間(沖縄からなら1時間)こんなに近いお隣の国を、日本人はあまり知らない。

なんと部屋の中に作られた防空壕

台中州庁は、日本統治時代に建てられため、説明の中で日本による統治の話は避けられない。日本人からするとなんだか申し訳ない気持ちにもなるし、ガイドの方も若干話しづらいんじゃないかと思うところもある。

阮さんに言われて勝手ながら心が軽くなったのは、日本の統治時代には悪い面もあったけれど、良い面もたくさんあった、例えばこの建物や他のたくさんの公共の建物、上下水道などのインフラは、当時の台湾の生活や技術を大きく進めた、ということ。

阮さんが、いい面も悪い面も、フェアに説明してくれた今回のツアーは、建物のことだけでなく、もっと台湾のことを知りたいと思わせてくれる時間になった。

台中州庁の歴史

今はツアー参加しないと見れない正門

台中州庁は、日本が台湾を統治していた1913年に建築が始まり、1934年に完成した台中周辺の管理をする、県庁のような役割をしていた場所。
日本の敗戦後は、中国からやってきた国民党政府が利用し、その後も台中市役所として2020年まで実際に実務に使われていたが、老朽化もあり、現在は別の場所に機能を移している。

台中駅からも近い好立地な建物は市役所移転後には、壊される予定だった。しかし歴史的価値が認められて、国定古跡に指定され、1930年代当時の姿に復建することを目指す改修が始まった。

長い廊下が学校風

私がツアーに訪れた現在は第1期目の工事が終わり、第2期目の工事が始まるまでの間、期間限定で観覧が可能になっている。
改修の途中だからこそ見れる、天井に残る昔の梁や修繕のためのキャットウォーク、昔の姿に戻すためにペンキの色を試している箇所など、興味深いところが盛りだくさんのツアーになっている。

天井に裏に作られている木製のキャットウォーク
昔のフローリングは釘のようなものに板を一枚ずつ固定していた

下の写真の部屋は、昭和天皇が皇太子時代に台中を訪れた際に使われた部屋。他の部屋は基本的に石や木の床となっているが、この部屋だけは皇太子のため畳敷になっていたそう。
そして、皇太子が座った視線の先に、東アジアで一番高い山、玉山(3952メートル)が真っ直ぐに見えるように、窓が設置されている。

昔は周りに建物がなく一直線に玉山が見えた

最終的な工事が終わるのは2025年の予定で、最終的にどのように活用されていくのかは、まだ未定という台中州庁。1930年当時の姿に甦った姿を見るのが楽しみ。

1930年代の色探し中

活躍した日本人建築家

設計をしたのは、森山松之助さんという大阪出身の建築家で、東京駅や日本銀行など数々の日本の近代建築を設計した辰野金吾さんの弟子でもある。
実はこの方、当時の台湾のありとあらゆる公共の建物を建てたんじゃないかという勢いで活動している。
台中州庁だけでなく、台北、台南の州庁、台湾総督府、裁判所や水道局、郵便局など。そして多くの建物が台湾の国定古跡に指定されて保存されている。

西洋風ホール風でもあり体育館風にも見える
あえて完全な三角形にしなかった屋根飾り

阮さんいわく、当時の日本ではヨーロッパに建築などの技術を学ぶため留学していた優秀な若者がたくさんいたが、日本に帰ってきても、なかなか新しい建物を建てるチャンスがなかったり、保守的な先輩たちのもとでは、新たに学んできた先端技術を試しづらかった。

そんな時代に台湾という土地は、日本政府が台湾の人々に威信を見せるため新たに建築をたくさん行う必要があり、そして自由度も高かった。そんな新天地で意欲的に先進技術を試した跡が、台中州庁の屋根などいたるところから見て取れる。

森山さんが台北に最初に水道関連施設を建築した年齢は、ほぼ今の私と同い年。台湾で挑戦する仲間意識が突然芽生えた気がした。

私のプロフィール

2012年、星野リゾートに入社し、星のや軽井沢で2年サービスチームとして働く。軽井沢ライフの楽しみはトンボの湯とピッキオの生態アクティビティ。ムササビについて謎に詳しい。
その後、マーケティングチームに異動をし、リゾナーレ小浜島、西表島ホテル、リゾナーレ八ヶ岳、リゾナーレ熱海、星のやバリ、星のや東京、星のやグーグァンのマーケティングなどを担当。
飛ぶように過ぎた7年後、海外施設運営をサポートするチームへの異動を経て、星のやグーグァン現地へ異動。台湾のおいしいものに囲まれて、この1年半で大きく成長中。





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