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Netflix『浅草キッド』最高で完璧な映画

 完膚なきまでにやられた。Netflix映画『浅草キッド』は隙のない完璧な映画だった。文句のつけようがない!
 ネタバレ満載で書くので、これから見る人は読まないで欲しい。
 また、見終えてすぐの余韻のままに書いているので、荒れているがご容赦いただきたい。

 本稿を書いたところ、浅草キッドの水道橋博士にリツイートいただいた。身に余る光栄とはこのことである。

 まず、いきなりだが、凄く良かった点を3箇所挙げる。
 冒頭だ。
 柳楽優弥に施された特殊メイクによる、今のたけしさん。そこで掴まれた。テレビ番組のスタジオ収録で、自身の登場直前に踏むタップ。これがじわじわ効いてくる。
 そして映画ラスト。
 やはり今のたけしさん。墓参りからの、フランス座。背中越しに、駆け抜ける青春の走馬灯。素晴らしすぎた。
 劇団ひとり監督、ありがとう。こんな映像を見せてくれて。
 嗚咽するほど泣いた。
 もし僕がビートたけしなら、これを見て成仏できる!とすら思った。
 いや、確信犯かもしれない。劇団ひとり監督は、ビートたけしを殺しに行った。そんなことは絶対に広言しないだろうけど、作りながら思ったはずである。このシーンに監督の狂気と天才を見た。
 当のたけしさん本人はどんな感想を持つのだろう。今、それに物凄く興味がある。
 そして3つ目はストリップ劇場の客が、トイレで自慰行為をするシーンだ。
 ドアの外でそれを聞き、人生の絶望を、どん底を、深淵を覗いた柳楽たけし。
 現状を打破しなければと決意させる、重要な場面。ここが良かった。僕でも嫌だ、あんな状況!
 ちょうどそこが、この映画の折り返し地点に当たる。そこで気付いた。脚本が見事な「対称構造」になっている。
 北野武監督は数学好きで知られ、『アウトレイジ』シリーズは因数分解的に構成したと本人が語っているのは有名な話だが、それを想起させる。ひとり監督、意識しないはずがない。
 シーン、シークエンス、キーワードとなる台詞、主題歌「浅草キッド」、花束、小鳥などの細かいアイテムまで、線対称を描いて回収されていく。図形的な構築を行なったはずである。
 素晴らしい脚本だ。
 シナリオが発売されたら読んでみたい。
 例えば、たけしがタップを練習するシーン。脚本にはどう書かれているのだろう?
 映画では時系列を前後させつつ、巧みなカットバックでたけしの成長が描かれた。そうした箇所が他にもあるが、本当に見ていて気持ちがいい。編集の技も相当なものである。
 ああいったシーンは映像の妙技であり、脚本文章ではどう表現されるのか。興味は尽きない。読んで学びたい。
 この映画、ストリップ劇場が舞台だが、ストリップ嬢が脱がないのがとても良かった。本筋と違う、余計な興味を排除してくれている。その、ほどが良い。
 タップ、歌、踊り、漫才、モノマネ。俳優部の身体性を伴う演技の素晴らしさは、一目瞭然。あえて語る必要がないほどだ。
 2度も実写ドラマ化されている原作ゆえ、「劇団ひとりオリジナル」をいかに演出するかが自らへの枷、重すぎる課題だったはず。
 そんな中、やはり「今のたけし」を描いた点が出色と言える。
 そんなの、思い付いても普通やらない!
 ゴッドタン「マジ歌選手権」で培った特殊メイクの経験。その賜物だろう。マジ歌選手権では回数を重ねる度に劇団ひとりの特殊メイクが進化して行った。片岡鶴太郎や田原俊彦に扮したのを覚えている。
 今回の映画にはあれと同じ匂いが漂う。「キス我慢」の豪華なスピンオフの感がある。
 マジ歌の第1回は、選手権ではなく発表会と題していた。そこで劇団ひとりが披露した歌を今思い出した。「浅草ぼうや」だ。完全に「浅草キッド」をオマージュした歌で、シンプルなギター弾き語りだったはず。浅草出身でもないくせに、と突っ込まれていた。(てれびのスキマさんのブログを見ると、2007年放送のようだ。)
 そして2022年。
 劇団ひとり監督の長年にわたる「浅草キッド」への怨念と業が、最も素晴らしい形で昇華された。潤沢な資金を誇るNetflixによって。
 かつて同名のドラマ化でたけしを演じた水道橋博士も、手放しで監督の偉業を誉め称えているのが嬉しい。
 視聴後感は『ラ・ラ・ランド』を見て映画館を出た時に似ていた。美しい、素晴らしい余韻を残してくれた。
 印象的なのが「人生、切ってきた。」という、たけしの台詞だ。
 人生を「切る」なんて表現は、あまり聞かない。予告編でも、ちょっと浮いていたように思う。そこに引っかかっていた。
 大学を辞め、足立区の梅島から飛び出して、浅草にいる。柳楽たけしの背中に、深い影が滲み出る。考えてみれば、乱暴な身の振り方だ。やくざな男である。
 師匠に憧れ、リスペクトし、芸を学び、恩義を感じている。しかし、新しいものに挑戦するしか、自分が這い上がれる気がしない。漫才は芸ではないと師匠は言う。そこを越えなければならない。
 普通の人は、そこを越えない。でも、たけしは越えたのだ。
 そこにドラマがあるし、僕のような凡人は、何か人生訓のようなものを与えられた気になる。
 人生は、なかなか切れない。

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