Knight and Mist第十章-8鴨鍋と魔導師ライセンス
そこでカンカンカンカーンとグラスを叩く音がする。それまで思い思いに喋っていたみんなが静まり、グツグツと鍋が煮える音だけが聞こえる。
知る人ぞ知るバー《キタフィー亭》にて。
でかいテーブルにスループレイナの姫とその婚約者、スループレイナの大貴族3人、勇者、レティシアとスコッティ、デシールの女将軍イーディス、そしてセシルとハルカが座っている。
全員がなんだろう、とグラスを鳴らした宮廷楽師イスカゼーレ家の姫、アザナルをみた。
「えっとね」
彼女はグルッとまわりを見回して言った。
「話し合わなきゃならないことがたくさんあるわ。でも一個だけ、さっき温泉で決めたことがあるのよ。セシル、そしてハルカ、二人に特に聞いて欲しいんだけど」
出汁のいい匂い。カモとネギの香りのハーモニーに気を取られていたハルカは、名前を呼ばれてハッとなった。
アザナルは少し窺うようにこちらを見たあと、切り出した。
「あのね、ハルカに魔導士ライセンスをあげることに決定したわ。異論ないわね」
「ふぁっ!?」
「異論あります!!」
椅子を蹴っ飛ばして立ち上がったのはセシル。
「僕のいないところで何決めてるんですか!」
ハルカは何が起きたのか分からずキョドキョドしている。
魔導師ライセンス、だと!?
「なにあんた、保護者かなんかなわけ」
機嫌悪そうにアザナルに言われ、
「保護者でしょう!」
即答するセシル。横合いから遠慮気味に、
「あの、後見人はわたし、レティシアなのですが……」
「そんなこと知ったこっちゃないですよ!」
かなりブチギレ気味のセシルに対し、まあまあ、となだめるキアラ。
「レティシアは承諾してくれたんだ。セシルが反対するのは分かってたけど、ちょっと話を聞いてくれよ」
一瞬おりる、ピリピリした沈黙。
「えっと、セシルはなんでわたしが魔導師ライセンス持つの? なんでセシルは反対なの?」
緊迫した雰囲気のなか、おずおず尋ねるハルカ。
「絶対ダメです!!」
セシルが大声で言う。ちょっとびっくりするハルカ。
「魔導師ライセンスなんて何考えてんですかっ! まさか、ちゃんと魔導院には入れるんですよね!?」
アザナルが首を横に振る。
「そのまま試験受けさせるわ」
「うちの魔道協会所属にはちゃんとなるよ」
慌てたように付け加えるモンド。ギッと睨まれすくみ上がる。
「そういう問題ではありません」
「でもセシルだって魔導院入ったりどっか弟子入りしたりってしてねえんだろ?」
キアラが尋ねる。セシルが手を首の後ろにやって、眉間に皺を寄せる。
「そりゃ、僕は物心ついたときからつかってましたから。これは普通の人じゃ起こりえないでしょう。神によるテストがありますし、その前に適性を調べてどの神に対面するかも決めないと」
「何か問題があるのですか? ハルカなら大丈夫だと思うのですが……」
レティシアが困り顔で尋ねる。
セシルは一瞬レティシアを見つめたあと、アザナルのほうを見た。アザナルが無言でモンドを見る。
「…………なんだよ」
「いや、これに答えるのは魔導学院のリーダーの役目かなって」
アザナルが言う。モンドが涙目で妹の顔を見る。
「お兄様、ハッキリとお言いなさいよ」
「……ビールが必要だと思わないかい? この状況?」
「それはありえない選択肢ですわ。烏龍茶で我慢なさい」
なぜか懇願するモンド。ピシャリと答えるアンディ。
(いったい、なにがそんなに問題なんだっけ……?)
ハルカは考え、唐突に思い出した。ちゅうがくにねんせいの自分が考えた"設定"を。
「ま、まさか……」
「ハルカちゃん、ボクは反対したんだよ」
残念そうにモンドが言う。ハルカは目の前がくらくらし出した。本当にあのとおりならーー
「魔導師になるのに魔導院の勉強をする必要はない。制度上では必要だが、本当のところは必要ない。だが、神によりその資格なし、と判断された場合、命を取られる」
「あ、うん」
ハルカはこわばった声でうなずいた。
「魔導師ライセンスの制度はそもそも、魔導師の卵を守るためなんだ。相応しい器にしてから送り出し、少しでも優秀な魔導師を増やすこと。そのために座学をしたりするのさ。今じゃ官僚制度の土台みたくなってるけどね」
「う、うん。だから、つまりーー」
「大丈夫です! ハルカならスループレイナの神もお認めになるでしょう!」
レティシアの声が空しく響く。
「何をそんなお考えですの。つまり、魔導の力を得るか、死ぬか。四割六割ですわよ。いえ、三割くらいかしら?」
「70%の確率で死!!!!」
「だからダメって言ったでしょう! 僕が! 許しません!!!!」
ハルカが絶望して叫び、セシルが怒鳴る。それに対して、無言で立ち上がるイーディス。
「ーーーーハルカ」
いつになく静かな声でイーディスが言う。生唾をのみこみ、はい、と返事するハルカ。
「お前が望むものは、命を賭ける価値もないものなのか。何者かになりたいと嘆いて、リスクも取らない奴はもちろん何者にもなれず野垂れ死ぬ。口だけならさっさと死ね」
ドサッと座り、足を組むイーディス。
「ーーと、俺は思うけどね」
「何者かになりたいのなら……」
ーーいや、自分は頑張っているじゃないか。よく分からない世界に放り込まれて、なんとか順応して、なんとか生きてきたじゃないか。それでもまだたりないのか?
理不尽な、という思いが喉でつかえて声にならない。
「何かを望むなら、どこかで何かを失う覚悟で望まなければならない、それはそういうものだ」
イーディスの言葉に、セシルがため息をついた。
「スループレイナ側はなぜハルカに魔導の力を与える気ですか。一応確認しときますが」
「単純よ。死なれたら困るから。保護するつもりでの話だし、そうでなきゃ正式な後見人さんが同意してくれるわきゃないでしょ」
アザナルが憮然と言う。
「スループレイナの管理下に置かれるのはいいことかは分からないが、この手の知識の豊富なところに頼むのが正しいと僕は感じる」
スコッティが言った。
「うーん」
のんびりと声をあげたのはスループレイナの王位継承者、ミルフィ姫だ。
「魔導師はたくさんいるわ。でもエルフと出会い、エルフの支持を得た人は初めて見たわ。可能ならば私の国はエルフと同盟を結びたいけれど、そのためにその子を利用しようっていう話でもないのよ」
「魔導師ライセンスの話はミルフィが言い出したんだ」
リキが付け加える。
「あのね、あなたのまわりに歪みが見えるの。歪みがあなたを捕らえたら、よくないことが起こる。聖王はあなたを保護するでしょう。魔族との戦いの中心にいるのよ、あなた」
「はあ……?」
「エルフも認めれば聖王すらも認めるとミルフィさんは考えてるわけですね」
ミルフィは肩をすくめた。
ーー分かった。
ハルカはようやく事態が飲み込めた。
レティシアの姉、パラディンのリルさんの最初の会話と同じだ。ハルカは災害か救済かのどちらかで、その判断を上に仰いで、災害ならば死を、救済ならば加護を、そういう極端な状況にいるわけだ。
(つまりはとにかく私は世界の異物ってことね……)
それぞれが信じるものの加護を得たのならば、その世界の異物ではなくなる、そういうある種の儀式なのだ。
一方でイーディスはあくまでハルカ目線で話しをしてくれている。イーディスは魔導に複雑な思いがあるようだ。戦場にあればよかったのに、と悔やむ気持ちも強いだろう。その力を得るかわりに賭けに出るなら、イーディスは賭けに出る、彼女はそう言っている。
そしてハルカ自身の望みが『何者か』になることならば、今はそのチャンスである、ということだ。
力が欲しいだけなら、オーセンティックの言うとおりに魔族の権能を持つこともできる。
『何者か』になりたいだけならすぐにそのオファーを受ければいいのである。
『何に』なりたくて『どのように』生きたいのか、それを問われている、ということだ。
(今ならエルフの裁断からも逃げないと思う……)
それならば、エルフのあの裁判からやり直すべきだと感じる。だが、森が焼けてしまった以上それは無理だし、自分のためにグレートマザーが犠牲となったのなら、それは今更のはなしーーつまり、自分には責任があるということだ。
その点が、リルとの会話のときと違う。ハルカはすでに何人もの犠牲のうえで"存在"している。
わかった、そうハルカが言おうとした矢先、セシルがハルカの腕を掴んだ。
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