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対人関係が辛いと感じるあなたへ。人に会うと疲れる、初対面の人に会うのが憂鬱な人への処方箋

どうもこんにちは。

今回は全人類の悩み人間関係に関してのお話です。

ズバリ、対人関係がしんどいとか辛いとか感じている人への、その原因と具体的な対処方法をお話ししたいと思います。


人に会うのが嫌だと感じる

何を隠そう僕自身が、タイトルにあるような人間でした。

よほど付き合いが長い友達とか仲良い人みたいな人じゃないと、とにかくちょっと会うだけで異常に疲れたり、初対面の人と会う予定があるともう前日くらいからめちゃくちゃ憂鬱でもうキャンセルしたい欲がすごくなってきて、まともに対人関係を作ったり維持することも困難。

だから新しい友達もなかなかできないし、人間関係も深まらない。

特に目上の人とか異性と会う場合が顕著で、まともにコミュニケーション取るのができないレベルでした。

あまりにも疲れたり、人と会うのが怖いものだから仕事とかにも支障が出てきて、なんか病気なんではないかと思い診察を受けたら、社交不安障害なる病気もあるとのことで、それなんじゃね?とか言われてしまいました。

実際その後、僕はうつ病にまでなってしまいました。

まさに病的なレベルで、僕は対人関係というものに苦手意識としんどさを感じていたんです。

他人に相談しても無意味

身近な人に相談したりもしましたが、返ってくる言葉は大概同じです。

「誰だって初対面の人と会うのは緊張するよ」

「疲れるのは当たり前じゃない?」

「慣れの問題だよ」

・・・・・

こんな感じ。

もちろんこれらの答えも間違いじゃないんです。

実際慣れればどうってことないし、初対面の人と会うのはどんだけ陽キャのパリピでもある程度は緊張したりはするものです。

ですがそうじゃないんだよな感があるわけですよね。

この手の悩みは基本他人に相談しても無駄だということを僕は学習しました。

それは他人がダメだとか無能だからとか知識がないからとかじゃありません。

いかなる他者も、僕が感じているように感じることはできないし、自分の体験や経験というフィルターを通してしか答えることはできないからです。

そう感じた僕は、専門家とか、過去の偉人たちの知恵を頼ることにしました。

アドラー心理学との出会い

いろんな心理学とかコミュニケーションの本とかを読み漁り出会ったのは、アドラー心理学でした。

この出会いで、これまでの人生で自分が感じていたあらゆる辛さや対人関係における疲れの原因がほぼ全て分かったのです。


辛さ、疲れの原因は"自己中心性"と"嘘"

僕の人生のストーリーなんて語ってもこの記事を読んでくれているあなたの役にはあまり立たないと思うので、ちゃちゃっと僕がアドラー心理学と出会ってわかった対人関係の辛さの理由をお話ししたいと思います。

人と会うのが怖い、人と接すると疲れてしまう。

その原因はシンプルです。

それは自己中心性と嘘の二つ。

自己中だって!?こんなに他人に気を遣って一生懸命生きてる私を自己チューな上に嘘つき呼ばわりするのかこの底辺野郎!

まあいきなりこんなこと言われたら頭にくると思いますが、ちゃんと屁理屈も捏ねてご説明するので落ち着いてください。

まず自己中心性とは、一般的な意味での自己チューみたいなものとは違います。

一般的な自己チューのイメージって、多分ですが、周りの意見とか空気を顧みず、自分のしたいこと、自分の欲望とかリクエストだけを優先させたりやりたいようにしかしないで、調和とか歩調を見出すような人ですよね?

それに対してここでいう自己中心性は、そういう表面的な行動部分ではなく、内面の関心のベクトルが自分を守ることに向きすぎてることを言います。

わかりやすく言うなら、傷つきたくないとか恥をかきたくたいとか、もしくは嫌われたくないという意識が過剰な状態。

そういう意識が強すぎると人の行動は、一般的な自己チューな人とは正反対で、おとなしかったり空気を読んだり、周りに合わせるということが多くなります。

いわゆる真面目でちゃんとした優しい人に見えるわけですね。

ですがその行動の目的は前述したように、嫌われないため、恥をかかないため、傷つかないためという、"自分を守る"ということのためにされています。

自分がどう見られているか?ということばかりに目が向いていて、他者から嫌われないことだけが最大の関心事になってしまっているんです。

自分自身が関心の中心になっているという意味で、自己中心的なんです。

次が"嘘"です。

嘘というと、他人を騙しているとか詐欺とか経歴詐称とか、そんなことをイメージするかもしれませんが、そういうんじゃありません。

そういう相手から奪ってやろうという悪意というよりは、前述した自分がどう見られているか?という自己中心的関心からの嘘です。

もうちょっと分かりやすくいうならば、自分をよく見せようとしてしていることですね。

人から好かれるために、したくないことをする。

人から嫌われないために、したいことをしない。

嫌われたくないから、言いたいことを言わない。

いい印象を持たれたくて、思ってもないようなことを言う。

本当は自信がないのに、虚勢を張ってすごい人間風に振る舞う。

まあ言い出せば具体例は山ほどあるんですが、キリがないのでやめときましょう。

これやってると当たり前ですが、本来の自分と他人に見せてる自分に不一致とかズレが発生します。

自己認識と他者認識のズレ。

それが対人関係におけるストレスになるわけですね。


ほとんどの場合は自分を実力以上に見せようとすることでこのズレは発生するんですが、人によっては実力以下に見せようとすることでも発生します。

本当はもっとできるし能力もあるのに、ダメな人間として振る舞うことも、実は結構ストレスになります。

なんでそんなことするかって?

嫌われないためです。

抜きん出た結果を出してしまうとか、何かで卓越した人物になることで、今の人間関係とかでなんらかの摩擦が生まれることを恐れているんです。

自分をよく見せそうとするのも、ダメに見せようとするのも、目的は同じ。

結果それが嘘となり不一致となり人といるとリラックスできないでどんどん疲れる。

そうなれば人と会うのはしんどいという思いが募り対人関係を避けるという方向へと向かってしまうのは当然ですよね。

人と社会に関心を向ける

ざっくりと対人関係で疲れてしまうメカニズムはわかったと思います。

ただメカニズムとか仕組みとか、今感じるしんどさの"原因"がいくらわかったところで、じゃあどうすりゃいいねんって話ですよね。

ここまで解説してきたことを踏まえれば、やるべきことはシンプルです。

自分に向いている関心を、他者とか社会という外側に向けること。

そして嘘をやめること。

これだけです。

いやそんな簡単に言うなよこの野郎!できるもんなら苦労はしてないんだよこの負け組が!

と憤慨されてしまうと思いますので、まずは関心を外に向けるということに関してもっと具体的にしていこうと思います。

ポイントは一つです。

それは"繋がりを思い出す"

繋がりとは?

つまり僕らは決して1人ではなく、どう頑張ってもどんな生き方をしていても、仮に引きこもりのニートであっても、今ここに生きているということは、必ず社会に一員であるという一つの事実を思い出すということです。

なんだよ綺麗事かよって思うかもしれませんが、これは綺麗事でもお説教でもなく事実です。

今この記事を読むために使っているスマホやタブレット、またはPCは一体誰が作りましたか?それを作るために一体どれだけの人が関わっているでしょう?そしてそれがあなたの手元に届くまでにどれだけの膨大な人がそこに存在したか想像したことはありますか?

毎日電気が通っていてスイッチ一つで明かりが灯るのはなぜでしょうか?

自販機にいつでも商品が補充されているのはどうしてでしょうか?

考え出せばキリがないくらいに、そこには他者の存在があり、彼らの仕事や行動のつながりの中に自分がいることを当たり前の事実として認識できるはずです。

今部屋に引きこもって物理的には一人ぼっちであっても、身の回りを見れば、誰かが作って運んできたもので溢れているはずです。

今生きているということは、あなたがどれだけ否定しようが無視しようが、あなたが社会との繋がりを持って生きていることの証拠です。

今あなたがここにいて生きているということを成立させるために、関わってきた人の数は100や200じゃすまないはずです。

ああ、自分は社会の一員なんだ。繋がりの中でいろんな人に影響されて影響を与えて生きているんだ。

今生きている僕らは、繋がりと積み重ねの最先端にいるんだ。

その事実を思い出すこと。

そうすれば、社会で起こることに対して、自分には関係ないという態度を取るのは難しくなるのではないでしょうか?

過去の起こった歴史的な出来事に対しても、無関心でいられるでしょうか?

例えば一部の業界が不況で大変だとニュースを聞いても、その業界にいない人からすれば対して興味はひかれないでしょう。

でも全てが繋がっていると理解しているなら、業界での不況が決して他人事ではなく、社会全体にどう影響するかを気にしてしまうようになります。

これまで他人事として感じていた多くのことを、自分事として捉えていく事ができるようになります。

この習慣を身につけられれば、必然的に自分のことばかり考えてしまう癖も薄れます。

限られた意志力やエネルギーを、社会や他者に振り分けるわけですから自分に向けられていたものが減るのは当たり前ですよね。

社会や他人に関心を持ちましょうというのは、道徳や綺麗事ではなく、無理にでもそうすることで自分にばかり注がれていた関心やエネルギー配分を強制的に変えるって事なんです。

不一致という嘘を減らすために


次に嘘をやめるって話になります。

まあ前述の人や社会へ関心を持つことをすれば、必然的に自分についてる嘘も減るんですが、その辺をもうちょっと深掘りしたいと思います。

嘘や不一致したものがある理由は、結局嫌われたくないという目的に基づいています。

だから本来の自分からはズレている演出された嘘っぱちの自分で他人と関わってしまって、疲れてしまうわけです。

嫌われたくないってのも突き詰めれば自分のことしか考えてないからそうなるわけで、だからこそ自己中心をやめましょうって話でしたよね。

ただそれだけだとインパクトがまた少ないので、さらに具体的に嘘をやめてく方法を紹介します。

欲望を隠さない


それは、欲望に正直になること。

正確に言うなら、欲望を隠さないことですかね。

どすけべなこととか場合によっては反社会的なことまで、人は皆他人には言えないような欲望を持っているものです。

でもそんなことバレたら嫌われるとか、キモがられるとか、そもそも欲望を持つこと自体ダメだって思っている人は現代にはかなりいます。

欲望を我慢するんではなく、持つこと自体を禁じるという"抑圧"が社会に蔓延しているんです。

そしてそういう人ほど、無意識レベルでのあらゆる感情への抑圧がひどいので、人生も対人関係もうまくいきません。

ぶっちゃけ神経症的になり不幸になります。

ちょっとおっぱいの大きい女の子がポスターに使われてるだけでブチ切れてしまうんです。

どう考えても欲求不満でいつもイライラしてて不幸そうでしょ?そういう人たち。

自分1人で勝手に欲求不満になって不幸になってればいいんですが、大抵そういう欲望を隠して抑圧してる人は他人を攻撃せずにはいられないので、ぴーぎゃーと騒ぎ立ててとにかく攻撃できる対象を探していちゃもんをつけたがります。

そしてそうすればするほど人から煙たがられて嫌われてどんどん孤独になるんですが・・・

まあそういう可哀想な人たちは置いといて、そこまで極端じゃなくても僕ら現代人は欲望を隠しがちです。

だからまず隠すことをやめる。

隠すのやめるっていっても別に公衆の面前で発表する必要はありませんよ?僕はよくやって友達をドン引きさせるのが好きですが・・・

時間とって紙に書き出してみるのをまずはやってみてください。

5分でもいいので書き出す。

そして書き出した欲望がどれだけ馬鹿馬鹿しくてくだらなくて非倫理的で反社会的でも決して否定せずに認めること。

仮に友達の嫁さんをエロい目で見てしまっていておっぱい揉みたいなって思ってるならそれも書き出して認めてください。

透明人間になって女子大の寮に侵入して深夜に廊下を駆け抜けたいって思ったらもちろんそれも書き出してください。

札束いっぱいの浴槽に入って美女を侍らせたいと思ったらそれも書いてください。

お金持ちになって周りの人に総資産額マウンティングかまして優越感で絶頂したいならそれも追加で書き出しましょう。

カッコつけちゃダメですよ?

勘違いして欲しくないのは、その欲望を満たすことを肯定はしてません。

やったら普通に犯罪のこともたくさんあるでしょうし、即実行はダメですよ?

あくまで欲望を認めるところまでです。

そしてできれば、認めて許すこと。

笑って、しょーもねえな全く。と自分を受容してください。

恐怖を認める


欲望を隠さないでちゃんと認めて受容することをしたら、一緒にしてほしいのは、恐怖に関しても同じようにするってことです。

欲望を持つ裏側には確実に恐怖もあるので、是非同時にやることをお薦めします。

例えば、お金が欲しいという欲望は、貧乏になって飢えて死んでしまうのではないかという恐怖があります。

モテモテになって毎日美女を抱きまくりたいみたいは欲望の裏には、孤独になって誰からも愛されないのではないかという恐怖があります。

表現の仕方はそれぞれ違うと思いますが、欲望と恐怖は表裏一体です。

そしてこの恐怖を隠してしまうと、欲望を隠していた時と同じような現象が起こりります。

つまり自己防衛的になって攻撃的になって、怒りっぽくなって人間関係に支障も出てしまうんです。

人と会う時も、隠している恐怖を指摘されるんじゃないかって不安感でずっと消耗する羽目になります。

だから欲望と同じように恐怖を感じていることを認める。

手順は同じように紙でもなんでもいいので書き出すことです。

最初はあんまり出ないかもしれませんが、それは長年抑圧してきたからで、とにかく時間をとって向き合ってみることを何度もやるうちにびっくりするほどいっぱい出てきます。

僕の場合は、このまま貧乏なままひとりぼっちで死ぬんじゃないかとか、他人に馬鹿にされるんじゃないかとか、結構そんな感じのがいっぱい出てきました。

欲望と恐怖を定期的に書き出して向き合う習慣を持つと、心が軽くなるのを感じると思います。

内面にエネルギーがあるのを感じられるんですね。

結果的に他者や社会へ関心を持つエネルギーも湧いてきます。

まとめると・・・

・自分に向いていた関心を他者や社会へ向けるために、より大きなものとのつながりを思い出す。

・自分は1人ではなく、今ここにいるのは過去から現在に至るまでの多くの人たちとのつながりと積み重ねであるからだという認識を持つ。

・欲望と恐怖を隠さない。徹底的に書き出して、それらを感じている自分を受容する。許してあげる。笑い飛ばす。

こんなところでしょうかね。


友達はいなくていいわけない

ここまでいろいろ書いてきましたが、最後に僕からの個人的メッセージを。

最近友達がいない方がいいみたいな情報をよく見かけます。

孤独な方が成功するとか、ボッチの方が人生は快適だとか。

友達をどう定義するかにもよるんで一概に否定するつもりはありませんが、この記事をここまで読んでくれたあなたなら、きっとこの風潮に違和感を感じているんじゃないかと思います。

対人関係を苦手として、そこに疲れて、解決策を求めているのは、決して友達0人でもいいから成功者になりたいからではないはずです。

人間関係を成功のためのツールにしないでください。

人間関係は幸福の源泉であり、道具じゃありません。

別のたくさん友達がいた方がいいとは思いませんが、1人か2人くらいは真性な人間関係を結べている友人がいた方が、間違いなく人生は豊かです。

そういう豊かな人間関係を作るために、ここまで長々と書いてきたことをやってほしいんです。

経済的なもののために効率とかコスパとかを追求して孤独になるなんて馬鹿らしいことしないでください。

孤独は死に至る病です。

どんなに頭のいい人も簡単に狂わせてしまうほど強烈な毒です。

今感じている人間関係へのつらさ、しんどさは、決して無視して孤独になって、対人関係を避ける理由ではなく、向き合うべき課題を教えてくれているものです。

その課題とは、ここまでつらつらと話してきた自己中心性からの脱却と不一致という嘘の解消です。

やるべきことは明らかになったのですから、あとはやるかどうかはあなた次第。

ぜひあなたの人間関係が豊かなものになることを祈っています。





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