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【日本神話⑩】山の神と磐長姫

 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)に結婚を申し込んだ邇邇芸命(ニニギノミコト)でしたが、父親である大山祇命(オオヤマツミノカミ)は、コノハナと同時に姉の磐長姫(イワナガヒメ)も差し出しました。しかし、その容姿が良くないと思ったニニギは、イワナガヒメを送り返してしまいました・・・なんとも・・・。

磐長姫を祀る京都市の貴船神社・結いの社(中宮)(2018年8月9日撮影)

 京都の貴船神社に行った際、たまたま「磐長姫を祀る」と書いてある社を見つけました。イワナガはニニギに帰らされたことを恥じ、「我はここで良縁を授けよう」と鎮座したとのことです。「縁結びの神様」として信仰を集めているそうです。

貴船神社・奥宮の御船形石(同日撮影)

 貴船神社自体は水の神様、竜神様などを祀っています。神武天皇の母・玉依姫(タマヨリヒメ)は、黄船(貴船)に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川を逆上ってここに上陸し、祠を作って水神を祀ったといわれています。

 その逸話から、奥宮に御船形石があります。タマヨリヒメ御科料の黄船を人目に触れないよう岩を石垣のように集めて囲ったものだそうです。このうちの小石を携帯すると海上の安全祈願にもなったそうです。

貴船神社・結いの社に奉納された天乃磐船(同日撮影)

 この神話に倣い造園業者の久保篤三氏より1996年に奉納された自然石が「天乃磐船」。貴船山中で出土したものだそうです。船は他所との文化交流を促すものとして「結ぶ」意味合いも込めたそうです。

富士の樹海と風穴巡り

富士の樹海の溶岩棚(2012年6月2日撮影)

 さて、ニニギと結ばれた妹のコノハナですが、こちらも順風満帆とはいかなかったようです。コノハナはニニギの子を身ごもるのですが、ニニギはそれをわが子かどうか疑います。コノハナは「高天原の御子なので、必ず無事に産まれる」といい、産屋に火を放ち、そこで出産しました。産まれた3人の子は無傷だったため、天孫の子であることが証明されたとのことです。すごいですね~。ちなみに、そのうちの一人の孫が初代・神武天皇です。

富士の樹海散策コースにて(同日撮影)

 コノハナを祀るのが富士山ゆかりの浅間神社というのは前回お話ししました。富士山といえば、コノハナの業火の出産よろしく、過去何度も噴火した活火山であり、登山人気もさることながら、山麓の散策も人気です。私は富士山に登ったことはありませんが、潜ったことならあります。行ってみましょう樹海と風穴巡りへ。

富士の樹海の中、風穴に向かう道中(同日撮影)

 「富士の樹海」といえば、色々と想像してしまいますが、散策コースが整備されています。そういうの無視して入っていけば、とんでもないことになりそうですが、こうして安全に楽しむこともできます。ちなみに、コンパスがグルグルして方向が分からなくなる・・・ということはなかったですね。コンパスを持って行きましたが正常でした。

富士の風穴「竜宮洞窟」の入り口。崩落で入れず(同日撮影)

 富士の風穴は、私が訪れた時には「竜宮洞窟」「コウモリ穴」「富岳風穴」「鳴沢洞窟」がありました。「竜宮洞窟」は訪問の数年前に崩落して進入不可となっていました。その後のことは分かりませんが。

風穴の一つ「コウモリ穴」。身をかがめて進む(同日撮影)

 「コウモリ穴」はその名の通り、コウモリが沢山生息している風穴だそうです。この時、それほど見た記憶はありませんが・・・。身をかがめて進む場所もあったりと、中々の冒険感がありました。ヘルメットは受付で貸してくれました。必須ですね。

「コウモリ穴」の開けた所(同日撮影)

 とはいえ、ある程度進むと開けた場所に出ました。遊歩道に電灯も設置されているので、特に懐中電灯などはいりませんでした。写真の友人は何の説明看板を眺めていたのかな?そこの記憶は定かじゃありません。

富岳風穴の氷柱(同日撮影)

 続いて「富岳風穴」。こちらには氷柱があります。猛暑酷暑の昨今ですが、ここは洞窟の中ということもあり、気温がひんやり年中一定です。3度とか5度くらいだったかな?写真では大袈裟に寒そうに写っていますが、ふざけているだけです。この服装で十分です。蚕の繭玉や植物の種子の保管庫代わりにもなっていました。

富岳風穴の出入口。ハート形のよう?(同日撮影)

 「富岳風穴」は縦穴を降りて後、横穴を進む感じ。氷柱も見事で天然の冷蔵庫。これもまた冒険心をそそられましたね。もう一つの「鳴沢風穴」も氷柱が見事で有名なんだそうですが、歩くには少し遠かったのと、時間の都合で行けませんでした。いつか行ってみたいですね。

富士山の宗教的な魅力

富士山登山道に位置する北口本宮富士山浅間神社の参道(2014年5月24日撮影)
北口本宮富士山浅間神社の本殿(同日撮影)

 富士登山については、江戸時代に「富士講」という信仰組織がつくられ、登山が盛んに行われたそうです。「講」については伊勢参りでも紹介しました。同じ信仰心を持つ人が寄り合い、登山については信者はもちろん、講の代表者が行うこともあったそうです。山麓の浅間神社にはその名残りが多くみられます。

新倉富士浅間神社の社殿(同日撮影)

 そして、現在も富士山観光は人気ですよね。登山や樹海トレッキングはもちろん。写真映えを目的に国内外から人が集まります。表紙の写真の新倉山浅間公園(山梨県富士吉田市)の「富士山と五重塔」の写真は定番となりました。

 私が初めて新倉山浅間公園を訪れた時は、桜の季節でもなかったので観光客の数はまばらでした。桜の季節は昔からカメラマンに人気でした。2024年現在は見学用テラスが設けられ、混雑状況によっては滞在時間制限もあるとTV番組で紹介されていました。すごいですね~。まさに宗教の聖地的な賑わいです。来訪者の心の内も宗教的な熱狂を感じますよ。こわいくらいにw

富士吉田市の中曽根交差点から眺める富士山と商店街(2014年5月24日撮影)

 富士山の名所は、カメラマンや地元住民ごとに「私だけの場所」や「得意な絵の構図」があると思います。葛飾北斎の「富岳三十六景」もしかり。私のお気に入りはこちらの、富士吉田市の中曽根交差点から見える景色ですね。もう有名になった場所だと思います。もう少しズームと圧縮効果を効かせて、商店街をアップにすればよかったと思います。っていうか、この写真、信号待ち中の車内からの撮影なんですけどね・・・。なんか「富士山でかっ!」って思ってね。

恋人たちの聖地と甘酸っぱい青春の風

邇邇芸命と木花咲耶姫が出会ったとされる候補地のひとつ「笠沙山」の異名を持つ宮崎県延岡市の愛宕山公園の恋愛の鍵のモニュメント(2013年12月31日撮影)

 さて、ようやく話は戻ってニニギとコノハナの結婚話。ニニギにイワナガを送り返された父神オオヤマツミは「イワナガと結ばれれば命は岩のように永遠に、コノハナとは命が木の花のように美しく咲き繁栄したものを」と怒り嘆きます。これで人の命は燃えるように一瞬で儚く、やがて枯れ落ちる運命になってしまったそうです・・・やってくれましたねニニギ・・・。

 ニニギとコノハナの鍵のモニュメントがある愛宕山の展望台には、高校生らしき男女数人のグループがいました。なにやら、進路について話してましたね。

 「●●は福岡の大学に行くみたいだよ」「俺は地元に残りたいな」などなど

 これから巣立ちの時を迎える若者の、何ともいえない甘酸っぱい雰囲気。かけがえのない青春時代を行く若者よ、仲間たちとの黄金時代を存分に楽しめ。離れ離れになろうとも、よき仲間であれ!

  誰にでも、そういう時はあったと思います。私も中学から高校、高校から大学、大学から就職、挙句の果てに海外でも暮らして帰国して転職。その時々の仲間たちとの出会いと別れを繰り返したものです。

 出会いあれば別れあり、木の花のごとく、咲いては枯れるも、春が来てまた咲くのです。枯れて落ちて終わりではないのです。何かを始めるのに遅すぎることはなく、来年また咲くことを忘れることなかれ・・・

 ニニギとコノハナのごとく男女の出会いも、仲間との別れも人を成長させますし、かけがえのない宝物となるのでしょうね。しみじみ・・・。

貴船神社・結いの社(中宮)↓

富士山「富岳風穴」↓

新倉山浅間公園↓

愛宕山ふれあい公園↓

表紙の写真=新倉山浅間公園の富士山と五重塔(2014年5月24日撮影)

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