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練習曲たち

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マガジン「いつもそばに」マガジン「ずっと待つよ」のどちらにも入れがたいタイプの小説を入れていくマガジンです。
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記事一覧

【短編】朝、一緒にヨーグルトを

【短編】朝、一緒にヨーグルトを

お互いの家具を持ち寄って二人で暮らしはじめた僕らは、あの頃とても若かった。僕は社会人になりたてだったし、彼女はまだ大学生だった。彼女の実家が渋い顔をするのに、頭を下げながらの同棲だった。

引っ越した日の夕方、二人で近所のスーパーへ買い出しに行った。食パン、ベーコン、卵、野菜に、特売の肉、と買い進んだところで、メモを見ながら買い物カートを押していた彼女がつぶやいた。

「あと、ヨーグルト」
「ヨー

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【短編】初恋

【短編】初恋

くしで髪を後頭部の中心に集めると、ヘアゴムできゅっとしばってポニーテールをつくる。少しくせのある私の髪は、結ばないと広がってしまうから、小学五年生のときからずっと、髪を結うのは私の朝の日課だ。

高等学校の卒業式まであと一週間を切り、この頃登校前は毎日、ほんの少し胸が痛い。もうすぐ、仲良しの友達とも、優しかった先生とも、簡単には会えなくなってしまうから。でも友達より先生より誰より、私には会えなくな

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【短編】ミニチュアの女の子

【短編】ミニチュアの女の子

中学校一年生の春。入学したばかりの中学校で、私は吹奏楽部の体験入部に参加していた。もともと運動は苦手だし、入るなら文化系の部活と決めていた。幸い、小さい頃からピアノを母に習わされていたから楽譜は読めたし、そう苦労することはないだろう、と思っていた。

文化系の部活の中でも、ゆるい茶道部や手芸部、ボランティア部などにしなかったわけは、私自身が、自分のことを小学校の六年間で「それほど人間関係が上手くな

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【短編】心の内を知りたいの

【短編】心の内を知りたいの

職場の女子トイレの中で、私はスマートフォンを取り出し画面をスクロールする。一日前に渋井くんに送った「今度いつ会える?」というLINEに既読マークがまだつかないことを確認すると、絶望的な気分で大きくため息をついた。

トイレの外の洗面所から、同僚の若手社員二人の声が、耳をすまさずとも聞こえてくる。

「あー、今月お金なーい。なんでこんなお給料少ないんだろうっていつも思わない?」
「思う、思う。ほ

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【短編】夢を見たあとに

【短編】夢を見たあとに

線を2Bの鉛筆でぐっと引く。目の前の花瓶に生けてある花の形を、葉の形を、線を使ってかたちどっていく。でも、まだ少ししか描いていないのに気に入らない。思い通りに、絵が描けない。

私は深く長いため息をついた。大きく期待されるのが、期待されないよりもずっと怖いだなんて、知らなかった。

結婚したとき、夫は言った。

「ずっと絵本を描きたかったんでしょう。今は転勤してこの町に引っ越してきたばかりだし、し

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【プロット】受け継がれたレシピ帖

【プロット】受け継がれたレシピ帖

※覆面編集者大賞に応募用のプロット原稿(本文996文字)です。私のTwitterにシェアしていますので(トップに固定表示しています)このnoteを読んで「いいじゃん、この作品読みたい!」と思ってくださったら、ぜひtwitterのほうで、リツイートをお願いします。

私のTwitter
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覆面編集者大賞詳細
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【短編】兄の婚約

【短編】兄の婚約

兄が婚約者だという人を、実家に連れてきたのは、炎暑のさなかのことだった。ことのはじまりは、一週間前、兄から電話が母へとかかってきたのだった。妹の私は、風呂上りに棒アイスを食べながら、事の次第に聞き耳をたてていた。

「え、7月の三連休に帰って来る?……結婚したい子を連れて?」

私たちの実家がある北陸の小さな町から、兄は大学進学と同時に上京し、そのまま東京で就職した。IT企業のエンジニアとなって。

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【短編】大人になれば

【短編】大人になれば

大人の習い事というやつをしてみたい。そう思って、ペン習字の教室に通いはじめることにした。家から近いほうがいいな、と思ってインターネットで検索し、今住んでいるマンションから歩いて十五分くらいの場所に、小さな看板をかかげている先生を見つけた。

電話で体験申し込みをして、初めて教室に出向いたのは、あいにく大雨の日だった。車を持っていない私は、徒歩で教室に向かうしかなかった。雨がやんでからにしたいなどと

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【短編】アジ釣りの日

【短編】アジ釣りの日

中学校を休んで、もう10日になる。もとはと言えば、僕の内履きズックの中に、ゴミが詰め込まれていたことが始まりだった。女子のいじめも陰湿だというけど、男子の中で覇気のない僕はまわりからこぞって見下され、からかわれ、悪意を持っていじりまくられた。その攻撃に僕はほとほと疲れてしまった。

今日は日曜日。明日になったら、また学校に行くか行かないかを決めなきゃならない。僕はこのまま、駄目な奴として、落ちこぼ

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【掌編】出張餃子

【掌編】出張餃子

餃子は、たまに手作りしたものが食べたくなる。キャベツや白菜をいちから刻んで、ニラ、にんにく、しょうが、豚ひき肉とあわせ、味をつけてよく練って、皮に包んでいくもの。手作りしたときの、あの野菜たっぷりで肉汁がじゅわっと口に広がる、あのヘルシーな味が、今日も無性に食べたくなった。

実家にいたころは、父がよく餃子をつくってくれたから、ホットプレートに何十個も並べて焼いて、ふたをとると大量の湯気、その中か

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【掌編】ほろ苦アイスコーヒー

【掌編】ほろ苦アイスコーヒー

気のない相手を、深追いするほど馬鹿なことはない。真山忠典はさっきから、友人である原田章介の愚痴と弱音を聞きながら、腹の底で意地悪く思った。原田は、この間から、同じバイト先の女の子に熱心にアプローチをかけているらしいが、ことごとくかわされ続けているらしい。

氷のとけてうすくなったアイスコーヒーを、あまりもう美味しくない、と思いつつすすりながら、真山は原田に訊く。

「なんで、相手が迷惑そうに思って

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【掌編】私たちにふさわしい夕食

【掌編】私たちにふさわしい夕食

ばたばたと玄関で黒いパンプスを脱いだ。そのとき、足先が何かにひっかかったような気がして、よくよく見ると、黒いストッキングのつま先部分が破れていた。斎場では気付かなかった。きっと今破ったのだ、と思いながら、私は先に居間のほうへと入っていった夫の啓を追いかけた。啓は黒のネクタイをゆるめながら、居間へと入ってきた私を見ると、少し疲れの残る口調で言った。

「奈々恵、ありがとな。奈々恵にも参列してもらって

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