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学校教育に決定的に欠けているものの一つ ① 自分で学習する時間・その方策

「勉強」「学習」と頻繁にこの言葉を使うが、一日の、いや一年の莫大な時間を割くその言葉の指すものは、「座学」であって、「自学」ではない。

しかし、どう考えたって「人が人生の中で学力を身に付ける勉強・学習」は後者。

その後者である「自学」は、「宿題」「課題」として、一日の大半を使い果たした夜間にゆだねられている。
当然、モチベーションは低いし、その方策もわからない。丸投げなのである。

従って、定着も無いまま、同じような「座学」が来る日も来る日も延々と繰り返される。

わからないし、興味も無い「座学」の為に、わずか6歳から9年間も一日中席に座っていなければならないとしたら、その苦痛の度合いは想像に難くないだろう。

すべての学校教育がその状態だと決めつけるわけではないが、そういった視点を持たなければ、そういう状態に児童・生徒を追いやることになってしまう恐れが多分にある。


「座学」は長くても、一日のうち半分まででよいと考える。

後は、本分とも言うべき「自学をどうマネージメントするか」を学校での時間の中で身につけさせるべきである。


ただ座学だけを強いて、理解(咀嚼)を本人に丸投げをするだけであるのならば、極端に言うと、それは「魚類の名前と道具の名前」だけを試験で暗記させ、あと「実際の魚の釣り方は、自分でやっておけ!」ということになってしまう。


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