#54共感とは「相手に向けている指を自分自身に向けること」~馬との交流から学んだこと~
こんにちは、人馬交流分析士のりょーじ(@Horse Value)です。人馬交流分析って何?りょーじって誰?それをやって何になるの?という疑問への答えは#1をお読みください!
さて、#40ではH.O.R.S.E.理論と交流分析の関係のお話をしてきました。大まかにお話しすると、僕が馬との交流で得た気づきである「人間は本来H.O.R.S.E.だよね」という理論と交流分析の人間観がすごく似ているよ、というお話をしました。
※H.O.R.S.E.理論について詳しく知りたい方は、#7や#28、#29を読んでください!※交流分析って何?という人は#30~#39を読んでください!
とはいえ具体例を交えていかないと中々分からないと思いますので今回から、僕が学びを得た馬と人との交流を、交流分析を用いてより分かりやすく説明していきます。
今日のラインナップはこちら!
・やる気がない人を見てイライラする(#22)という悩み
・いかにまっさらな視点で観察できるか
・共感とは自分自身に指を向けること
今回は、#22でお話しした僕と馬との心理的交流を取り上げていきたいと思います。これによって「体験→気づき」のプロセスがより鮮明になり、その時に僕が感じたことをより皆さんに分かりやすい形で説明できると思います!
早速行きましょう!
やる気がない人を見てイライラする
仕事においても、遊びにおいても「あの人なんであんなにやる気がないんだろう?」と思った経験はお持ちだと思います。
そんな姿を見てイライラする、そんな人に対して強く当たってしまう。そんなこともあると思います。
やる気がない人からやる気を引き出すのはとても難しいことです。交流分析という学問を使ってもやる気がない人にどうやる気を出させるのか、ということについて何か適切で簡単な方法があるわけではありません。
というのも、やる気がないように見える、というだけではその人がどのような自我状態かを知ることはできないからです。
ただ、その人をどのように変えるかはわからなくてもその人に共感することはできます。その共感こそが適切な方法への第一歩です。
いかにまっさらなな視点で観察できるか
ここでも、前回お話ししたように大切なことは相手を観察することです。前回は自分を理解してもらうためには、相手をまず理解すること、というお話をしましたが、今日はさらにその相手を理解するという部分を細かく見ていきます。
前回もお話ししたように、自分自身が望むように相手を変えるためにはまず相手を観察することが大切です。
とはいえ漠然と観察していると、やる気がない人のことはやる気がないところだけが際立って見えてきてその印象が強化されるだけになってしまいます。
相手を理解するためには、できるだけまっさらな視点で観察することが不可欠なのです。
このnoteでは何度も人間はレッテルを貼ってしまう生き物だ、というお話をしました。他者を観察しようとしてもそれを取り外すことは簡単ではありません。
人は誰しも自分の過去から学んだことを価値観として持っていて、その価値観という色眼鏡を持って生きています。
#22でお話しした馬との交流の例でも僕はそんな状態でした。自分の思った通りに動かない馬を「やる気がない馬」とレッテルを貼っていました。
そしてそんなレッテルを貼った状態で見ることでよりそんなやる気がない部分だけを見て厳しく接していたので、その馬はどんどんやる気をなくしていきました。
この例で分かるようにまっさらな観察をすることは難しいです。そしてこの例から解るように、引き寄せの法則というものによって大概思い込んでいることが事実になってしまうということも事態をより厄介にします。
やる気がないやつという視点で見て接していると相手が本当にそうなってしまうということです。
では、このまっさらな観察はどのように考えれば可能になるのでしょうか?
共感とは自分自身に指を向けること
そのヒントは、#22でお話しした時の例にあります。先ほどお話しした例には続きがありました。僕がやる気ない状態になっていた時にその馬と接する機会があって馬と僕との間に共感が生まれたというお話でした。
そこで僕が学んだことは「やる気のある僕」と「やる気のないその馬」という関係は固定されるべきではないということです。
いつも固定化されていた関係がその時に崩れたからこそ、相手を見る自分の視点が変化して相手に共感することができたのです。
この例では、たまたま自分の状態が変化した時に馬と接したことで偶発的に関係性が崩れたのですが、ヒントはここにあると思います。
その後のストーリーでそれは明らかになります。僕はその体験の後面白くなってその馬といるときは「やる気のない自分」を意識して接していました。その方がお互い居心地が良い気がしたからです。
そんな風に接していると「何だこいつやる気あるんじゃん」と思うことがたくさん起きるようになってきました。面白いことにやる気がないそいつというレッテルはいつのまにか外れていました。
やる気がある自分とやる気のないあいつ、という固定化された関係性ではなくなって、自分の在り方を「その馬と近い自分」に変化させたことによって、その馬への見方が変わったわけです。
わざわざ在り方を変えなくても、自分もそういうことあるよね、と自分の認識を変えれば十分共感できることは多くなります。つまり、自分の視点を変えてみよう、ということです。それが頭の中でなかなか出来ないときは、自分の在り方も変えて相手になりきってみればよいのです。
誰かを理解できないと思った時は…。自分もそんな状態になるよね、ということについて考えてみてほしいのです。
例えば誰かがものすごく怒鳴り散らしているのを見たとき、自分もそうなることってあるよね、という風に自分の見えている相手の姿を自分に当てはめてみてほしいのです。
それが、自分自身に指を向けてみる、ということです。怒っている人、やる気のない人…そのどんな一面もあなたは人生の中で持ったことがあるはずなんです。必ずあなたには共感できる体験があるはずです。
そしてその人と自分って同じだなあ、と思うことができたらあなたはすでにその人にイライラすることはなくなるし、なんとなく理解することができると思います。
観察をして自分に当てはめる(自分自身に指を向ける)ということをする時に、交流分析というのは非常に良い手段です。
今その人がどの自我状態なのかな、と観察することで、ただ何が起こっているのか(行動)を見るかより正確にその人を観ることになるからです。
交流分析では、人は誰しも5つの自我状態を持っているとしていますが、同じ自我状態の時に同じ行動をする、というお話はしていません。同じ怒鳴っているのでも、誰かのために(P:親)かもしれませんし、ただ感情のまま叫んでいる(C:子ども)かもしれません。
行動を観てその行動をする時の自分ってどんな風だっけという共感をすると、個人個人の特性が出てしまって共感がズレてしまうことになります。その行動を深く観察してその人の状態まで観ていくことによって、より深い共感に繋がっていくのです。
行動だけではなくその奥にある状態までしっかり観てください。
(この奥にある在り方、理由を見るための素晴らしい方法があるのですがそれはまた紹介しますね)
【今日のまとめ】自分が理解することができないという人を観たら、その人をよく観察してどのような在り方なのかを感じるようにしましょう。そして自分がそんな在り方になる時のことを考えてみましょう。自分も同じだな、と思えたらそこで共感が生まれています。
明日も一日頑張りましょう!
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