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母の日まで3か月

高校受験のとき、学年集会でこんな話を聴いた。

この時期、3年生の欠席者は他学年と比べて少ない。
受験に向けて必死だから、気が引き締まっているからだと思う。

今思えば、「科学的にどうなの?」と疑問符がついてしまう。
だけど、当時は「そうなのか!」と妙に納得していた。

実際、その後の受験期も風邪にかかったことは無かった。
僕に関して言えば、大正解だったかもしれない。



母は風邪をひいていた。

今まで、そんな姿を見たことがなかった。

大学に入ってから、僕は一人暮らし。
だから、ある意味では子育ても一段落だ。

それまでの18年の時間が長かったのか、短かったのか。
それは母にしか分からない。

ただ、気を張っていたのは間違いないと思う。


朝早く起きて作る弁当。
学校までの送り迎え。
仕事から帰って夕食づくり。


一人暮らしを始めて、三年経つ。
自炊とか家事は続いてるけど、怠けることも多くなった。

ご飯は炊くけど、おかずはスーパーで。
掃除機はかけるけど、頻度少なめ。


母の背中は、遠い。




思い返せば、思春期の頃は家族と話すのが難しかった。
家族に限らず、あまり本音の会話ができなかった。

正体のよく分からない胸のざわつきが、僕を困らせていた。

勉強とか部活、色恋沙汰が心を揺らす。
きっとすべての思いを話せれば、楽だったんだと思う。

だけど、言葉にできないことの方が多かった。
頭が追い付かないのか、人間としてまだ発達途中だったのか。
それはよく分からない。
ただ、上手く言えないと気づいた僕には、"黙る"しか方法がなかったのかもしれない。


モヤモヤを抱える日々。
ある曲の歌詞が心に引っ掛かった。

隠し事のすべてに声を与えたら
ざらついた優しさに気づくはずだよ

もし、自分の"隠し事"が滞りなく全部伝わったならどうなっただろう。


「そんな気にしなくてもいいじゃない」
「頑張ってればうまくいくよ」


そんな言葉がかけられただろうか。
ただ、それが"温もり"とか"励まし"の類いかどうか、確信が持てなかった。

表面をさらっていくような言葉には、妙に敏感だったから。


今でこそ、そこそこ話をするようにはなった。
だけど、あのときの感情が無くなったわけではない。
ただ、人生経験を重ね、自分の中で割り切る術を覚えていったからだと思う。
言ってしまえば、思春期が終わったのだ。

だけど、どこか他人行儀なとこは残っている。
いつかは取っ払わないといけない。
壁は徐々に薄くなっているけど、もっとダイナミックに飛び越えないといけない。

もう、思春期は終わったのだから。

きっと単純な方法でいいのだ。
中学当時も好きだった、あの曲の続きのように。

愚かになれ、もっと



「人は三か月で変わる!」

たしか、無事受かった高校で聴いた。
今思えば、胡散くさいセリフ。
だけど、当時は「そうなのか!」と妙にハッとしていた。

実際、今まで生きてきて、あながち間違っているとは言えなかった。
人が変わろうと何日も思い続ければ、実現することがある。
そう言いたかったんだと思うけど。


……母の日まで、あと3か月。


ベビーフェイス/スピッツ)

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