『僕は自分が見たことしか信じない』、内田篤人さん引退に寄せて
ファンでもないし、
サッカーに詳しいわけでもない。
それなのに、今日noteに書いてみたいと思った「ひと」がいる。
2020年8月23日のガンバ大阪戦を最後に現役引退する、鹿島アントラーズの内田篤人さんだ。
先週、弟の本棚より内田篤人さんの著書『僕は自分が見たことしか信じない』を偶然見つけた。何となしに本を手に取り、ページを繰っていたタイミングで飛び込んできた現役引退のニュース。
何かの縁かもしれない。内田さんの現役引退の前に、つれづれと思いを馳せて記してみたい。
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静岡県出身の内田篤人さんは、高校卒業後に鹿島アントラーズに入団する。入団後の開幕戦でスタメン出場を果たすなど、デビュー時から華々しく活躍を果たし、2007〜2009年のリーグ三連覇の立役者になる。2年目から日本代表に選出されるほどの実力に加え、涼しげなルックスが重なり、日本を代表するサッカー選手として名を馳せた。2010年からはドイツ・ブンデスリーガに活躍の場を移し、日本人で初めてチャンピオンズリーグのベスト4の舞台で出場する。海外で成功を収めたサッカー選手の一人として挙げても差し支えないだろう。
だがキャリア後半は怪我との戦いだった。2015-16シーズンは公式戦への出場が叶わず、以降のシーズンも本調子とは言えなかった。2018年に鹿島アントラーズに復帰したが、シーズンあたり10試合前後の出場に止まり、遂に2020年8月末の契約満了をもって現役引退を決断する。
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僕はサッカーを観ていて、とりわけ右サイドバックに注目したことがない。
スコアを動かせるストライカーや、ゲームを支配する司令塔は否応なしに目立つ。また守備の要として、幾度となく相手攻撃陣を跳ね返すセンターバックも頼もしい存在に映る。
だが「サイドバックってどんな役割なの?」と問われると、途端に言葉に詰まる。(すみません、サッカー素人の一意見です)
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サッカーに詳しい人に話を聞くと「サイドバックはゲームメイクする」ポジションだという。高度な組織化が前提となる現代サッカーでは、サイドバックがオフェンスの起点となることが多い。サイドから相手に対して揺さぶりをかけることができれば、中央へのスペースが空き、攻撃の幅が広がるというわけだ。
しかし当然のことながら、ディフェンスに穴を開けることは許されない。ボールを奪われたら、速やかにディフェンスに意識を切り替える必要がある。技術はもちろん、サッカーの特性を熟知しつつ繊細なバランス感覚が必要なポジションというわけだ。
さらにサイドバックの選手生命はそれほど長くない。30歳を過ぎると誰しも運動量やスピードが落ちてくる。攻守にわたりハードワークするサイドバックは、心身を激しく摩耗するポジション。毎年のように世代の新旧交代がなされる中で、容易に生き残ることはできない。
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僕がこれまで内田さんに抱いていたイメージは「ちょっと斜に構えた、クールで茶目っ気溢れる青年」だ。
比較するのはナンセンスだが、日本代表で長くキャプテンを務めた中澤選手や長谷部選手とは異なるタイプ。誤解を招く言い方かもしれないが、今時の若者像を反映したようで、好きか嫌いかと言われれば「苦手かも」という感じ。
著書を読んだ後で、25歳で考えている内田さんの考えに共感できるところもあれば、「これはちょっとな……」と首を傾げるところもある。
一般的なアスリートの書籍は「メディアを通じてみると●●なイメージだったけれど、本を読んで○○なイメージに変わりました」ということが多いし、実際にアスリートのブランディング(リブランディング)を目的としているものがある。
この本はあくまで内田篤人という人間の、当時の等身大を知るためのものだ。読者に忖度することなく、率直な意見を内田さん自身の言葉で語っている。その分、非アスリートが読むと「さすがにストイック過ぎやしないか」「少し視野が狭いのではないか」と思うところも少なくない。
ただ共感する / しないというのは、彼の書籍を読むにあたって重要なことではなさそうだ。理解できたのは、彼が「自ら考え、正しく行動する人間」であるということ。そして「変化することを厭わない」価値観を持っているということ。
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人格形成にあたり、彼が周囲の人の支えを受けてきたことも丁寧に書かれている。それも内田さんが自ら考え、正しく行動してきた結果なわけだが、著書に書かれていたエピソードを1つだけ紹介したい。
サッカーの遠征で忙しかった内田さんは、高校卒業にあたり、授業の出席日数が足りなくなる懸念があったそうだ。そこで学校の先生に頼み(顧問の先生が事前に根回ししてくれたという話も紹介されていた)、課題やレポートを提出することで留年を免れたそうだ。
もしかしたら、そうしなくても卒業はできたかもしれないです。
けれど、自分から言い出すことが大事だと思ったのです。授業に出られなかったことを謝る気持ち。卒業したい気持ち。それを先生方に伝えたかった。
(内田篤人『僕は自分が見たことしか信じない』P286より引用、太字は私)
「人生において一番の失敗は何か?」という質問に対して「打席に立たないこと(=チャレンジしないこと)」という回答を、時折目にする。
考えてみれば、サイドバックの攻撃参加はリスクが付きものの行為だ。サッカーは激しくスコアが動くスポーツではないから(90分間でスコアレスドローという試合も頻繁にある)、動いたことで報われない / スコアに繋がらないということがほとんどだ。
だけど彼はチャレンジをする。
そして、それは決して利己的なものではなく、正しく生きる(哲学用語でいうと「善く生きる」)ことが軸にあるチャレンジなのだ。チャレンジした結果、自分の評価が一時的に下がることは彼にとってはどうでも良い。
間違っていたら自分の行動を変える。
指摘を受けたら自分の言動を省みる。
それができる人間が、内田篤人である。
批判耐性が著しく低くくなっている時代において、彼の美意識はとても尊い。だからこそ、彼が選ぶ道を、多くの人が優しく見守るのではないだろうか。
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ここに書いたことは、もしかしたら見当違いのこともあるかもしれない。鹿島アントラーズのファンや、内田篤人さんを深く知る人が読んだら気を悪くさせてしまうかもしれない。
あくまで本を読んだ「感想」だ。
感じて、想像したこと。
本日のラストゲーム。常勝を宿命づけられた鹿島アントラーズで出場が約束されるとは限らない(しかも対戦相手は強豪のガンバ大阪だ)。
ファンには怒られるかもしれないが、出場する / しないはさして重要なことではない気がしている。内田さん自身も出場へのこだわりはないのではないか。チームの勝利のためにどんな立場でも最善を尽くすことを考えている彼だから、サバサバと現実を踏まえながら、最後まで前を見据えるのではないだろうか。
そんなアスリートを、信頼できない理由はない。
お疲れ様でした。これからの活躍を心より期待しています。
本稿で紹介した内田篤人『僕は自分が見たことしか信じない』は、僕が配信している読書ラジオでも紹介していますので、もし良ければご視聴ください。
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