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世の中に「打ち出の小槌」はない。(岸本聡子『水道、再び公営化!』を読んで)

政治家は「嘘」ばかりついている。

なんてことは言わないけれど、政治家の発言を鵜呑みにする人は少ないだろう。「国民の生活を良くします!」なんて言うけれど、そんなに簡単に生活が良くなるわけがない。話半分に聞いておいた方が良いだろう。(もしかしたら話半分でさえ怪しいかもしれない)

ただ「慣れ」というのは恐ろしいもので、何度も繰り返し語られることが、さも本当のことのような印象を受けることがある。

岸本聡子さんの近著『水道、再び公営化!〜欧州・水の闘いから日本が学ぶこと〜』で語られているのは、政治家が打ち出の小槌のように伝え続けている物事の「危うさ」だ。

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民営化という「打ち出の小槌」

僕が大学生の頃、日本の首相は小泉純一郎さんだった。

彼が言い続けてきた「痛みを伴う構造改革」、最も有名なのは郵政民営化だ。事業を民間に任せ、政府が行なう公的サービスは小さくしていく。欧米が端を発した新自由主義を追随した。その成果は当然あるものの、20年近くが経ち、あらゆる歪みが問題視されている。

民営化のメリットのひとつは、市場競争にさらされることによりサービスの質が改善されるというもの。

行政が担っていた仕事は、勤務意欲の低い公務員によって行なわれる。行政による独占事業とも言えるわけで、競争がないことによりサービスがブラッシュアップされないのでは?ということが自明のごとく報道され続けてきた。

だから僕も「もっともだ」と思っていた。今でも半分くらいは理にかなっているとも感じている。

ただその感覚そのものを、疑ってこなかったのも事実だ。

民営化は多くの人々にとってプラスである、なのでできるだけ民間に任せた方が良い。本当に、この思い込みは正しいのだろうか?

時代の潮流は、公営化である理由

しかし岸本さんは、本書で真逆の事実を伝えている。

欧州の水道事業は、民営化によって問題が山積している。料金の高騰によって、水を飲んだり、使ったりすることを躊躇せざるを得ない「水貧困」世帯も増加してきた。
そうした状況に直面した欧州の市民は、民営化以降の問題を解決するために、再び公営化することを求めて声をあげるようになってきた。そうした運動のなかで人々が気づいていったのは、国民の財産である水道を投資家に売り飛ばすことの愚かしさだった。

(岸本聡子(2020)『水道、再び公営化!〜欧州・水の闘いから日本が学ぶこと〜』集英社新書、P4より引用、太字は私)

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内閣府はコンセッション事業の重要分野として空港、道路、水道、文教施設、公営住宅などを掲げているが、有名なのは、関西国際空港と大阪(伊丹)国際空港だろう。(中略)
年間四九〇億円、全契約期間の総額で二兆二〇〇〇億円の運営権料。当時、〇兆三〇〇〇億円もの負債を抱えていた関空にすれば、コンセッション方式を導入するだけで、巨額の負債を解消してお釣りがくる計算だ。まさに「打ち出の小槌」にみえた。
ただ、この「打ち出の小槌」には危うさがつきまとう。災害対策がなおざりになるのだ。たとえば二〇一八年九月の台風二一号だ。関西空港が冠水や連絡網の破損により、およそ八〇〇〇名の乗客が空港から外に出られず、施設内で孤立したのは記憶に新しい。(中略)
その後の復旧も遅れに遅れ、ついには業を煮やした国交省が緊急タスクフォースを発足させ、復旧プランの策定に乗り出さざるを得なかった。

(岸本聡子(2020)『水道、再び公営化!〜欧州・水の闘いから日本が学ぶこと〜』集英社新書、P25より引用、太字は私)

一部の例だけを取り出して、公営化という結論に誘導しているのでは?と思われるかもしれない。しかし少なくとも水道事業においては、民営化の問題点が各所で指摘されているようだ。

例えばパリ。

1985年に民営化されてから、水道料金は265%も値上がりしているという。その間の物価上昇率は70.5%なので、住民にとってはかなりの痛手だろう。

これらの契約は、会社側が「得」をするような内容で締結されている。適切な情報開示をしなくて良かったり、価格を自由に設定できたり、補修や保全へのコストは最小限で良かったり……。

民営化にはそういった問題点を多く孕んでいるようだ。そのため欧州を中心に、水道の再公営化が加速しているのだという。

ミュニシパリズムという考え方

「ミュニシパリズム」とは地方自治体を意味する「municipality」に由来することばである。選挙による間接民主主義だけを政治参加とみなさずに、地域に根づいた自治的な合意形成をめざす地域主権的な立場だ。もちろん、市民の直接的な政治参加を歓迎する。(中略)
言い換えれば、「利潤や市場のルールよりも、市民の社会的権利の実現」をめざして、政治課題の優先順位を決めることでもある。つまり、「ミュニシパリズム」とは、新自由主義を脱却して、公益と<コモン>の価値を中心に置くことだ。

(岸本聡子(2020)『水道、再び公営化!〜欧州・水の闘いから日本が学ぶこと〜』集英社新書、P133〜134より引用、太字は私)

コモンとは、民主的に共有され、管理されるべき社会的な富のことだ。水道、鉄道、公園などの社会インフラや、報道、教育、病院などの制度、森林、大気、地球全体の環境などが該当する。

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栃木県立足利高等学校設置計画の例

例えば学校教育。少子化により近隣にあるいくつかの公立高校の統合が決まったとして。新校の教育理念、制度、校歌、制服などは誰によって決定されるべきだろうか。

僕の地元の栃木県にある、足利高校を例に考えてみたい。男子校である足利高校と、女子校である足利女子高校は、2022年度に統合、共学化されるらしい。

その設置計画のPDFを読んでみる。驚くことに、極めてクローズドな中で新校のあれこれが決まっているようだ。(P11〜12の設立準備委員会の項目をみると、ほとんど教育関係者または県および市役所の関係者で埋められていることが分かる)

そこには地域に住む人たちの声はないように思えるし、主役である生徒の意向はハナから無視されているように感じた。

もしかしたら部分的には関与しているのかもしれない。けれど最終的な設置計画を読む限り、多様な関係者による意思決定だとは到底思えない。子どもを持つ親の立場で、全くワクワクしない内容なのだ。(2020年代に学ラン、セーラー服を制服として規定する意義がどれくらいあるのだろうか

今こそ、地方自治の意識を高めたい

これって、ふつうのことなのだろうか?

教育は、地方自治にとって根幹を担う役割を持つ。だからこそ、もっと多くの住民が参加すべきではないだろうか?

実際、国政選挙に比べて、多くの地域において投票率は低い。20〜30%に止まるところも少なくない。けれど自分たちの生活が直結する地方選挙は、本来であれば、より関わりを持つべき点でもあるはずだ。

岸本さんは地域における社会インフラを考えれば、自然と地方自治への関わりを強めていくのではと期待している。そりゃそうだろう。生活や命に直結する「水」が、今後日本では、民間会社に運営権が移譲されそうになっているのだ。水質が悪化したり、水道料金が異様に高くなってしまえば、「水貧困」が広範囲で発生してしまう。それはすなわち、その地域に住めなくなることを意味する。

国の政策というのは、関係者も多く、意思決定のプロセスは複雑なものだ。

だが、自らの生活圏である市区町村であれば、住民が連帯をして地方自治に携わることが可能だ。住民の声を多く集めれば、影響力も持てるだろう。

*

不確実な時代だ。

高齢になったとき、地域は自分の面倒を見てくれるのか?
病気や怪我で仕事ができなくなったとき、地域は助けてくれるのか?
双子を出産したとき、地元の公共交通機関でベビーカーを伴っての移動は可能か?希望の保育園に入ることはできるのか?
人口減少が続いているが、ごみ収集のサービスは引き続きやってくれるのか?回収頻度は低くなってしまわないか?

パッと挙げるだけでも、コモンをめぐる心配ごとは少なさそうだ

正しく情報を収集し、適切な意思決定を促せるよう準備はしておきたい。そのために本書は、僕たちを良き方向へ導く羅針盤になってくれるだろう。

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*おまけ*

岸本聡子『水道、再び公営化!〜欧州・水の闘いから日本が学ぶこと〜』の感想を、読書ラジオ「本屋になれなかった僕が」で配信しています。お時間あれば聴いてみてください。

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