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芸は、極めるもの(映画「浅草キッド」を観て)

高校生のとき「お笑い」にハマった。

NHKで「爆笑オンエアバトル」が放送されていた頃だ。今でこそゴールデンタイムに漫才やコントを観る機会も少なくないが、当時お笑いと言えばバラエティ番組のことで、「ネタを見せる」というのは一般的ではなかった。

だが言うまでもなく、まだ世の中に認知されていない芸人にとって、ネタというのが唯一の武器になる。その芸を極め、世の中に広く知れ渡ったときに初めて芸人として様々な機会が与えられるのだ。

ただ、その機会は、一部の芸人にしか与えられない。テレビをはじめ、一般的に広く知られている芸人というのは僅かなわけで、それ以外の大多数は「有名になりたい」「芸だけで飯が食えるようになりたい」と願いながら、せっせと芸を磨いていくしかない。

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12月9日、Netflixで公開された「浅草キッド」は、ビートたけしさんの小説を原作とした作品だ。

主人公はふたり。大泉洋さん演じる深見千三郎、柳楽優弥さん演じるビートたけしだ。二人は師弟関係であり、深見は、ビートたけしの下積み時代を支え「芸とは何か」を教えた師である。

(原作はどんな描かれ方をしているか分からないが)ビートたけしは、お笑いに関して天性の才能を持っていた。それを見込んだ深見は、芸のいろはを教えていく。テクニックだけでなく、芸人としての覚悟も伝える。

客に対して

「そんなことで笑ってくれるな。こいつが調子に乗ってしまうだろう」

と言い放つ。「俺たちは、お前たちを笑わせてやってるんだ」という台詞からも、芸人であることのプライドを高く持っている。

ビートたけしはやがて深見のもとを去るのだが、飛躍を遂げるにあたってのターニングポイントでは深見の言動が頭を掠めていた。それはコントだろうが漫才だろうが関係なく、「芸人とは笑われる存在でなく、笑わせる存在なのだ」という強烈な自尊心に基づいていた。

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この作品から何か学べるとしたら、「芸は、極めるもの」ということではないだろうか。

どんなに篤い師弟関係で結ばれていたとしても、それぞれが芸を極めていなければ、客を唸らせることはできない。門脇麦さんが演じる踊り子の千春は魅力的な歌い手だったが、世の中に名前を馳せることが叶わなかった。いくつも原因はあると思うが、結局のところ芸を極められなかったということだろう。

だいたいのビジネスパーソンも、千春と同じではないだろうか。

おそらく、だいたいのことは80点くらいでアウトプットできる。それなりに評価され、それなりに感謝される。

もちろん誰しも世の中に名を馳せたいと思っていないだろうけど、及第点ではダメなのだ。

「こいつに任せてみたい」
「こいつの企画が面白い」
「この人以外へのキャスティングは思い浮かばない」

圧倒的な信頼を生み出すもとは、それぞれの仕事(=芸)がどれだけ極められているものかどうかだ。中にはネームバリューと実力が乖離しているケースもあるが、そんなことを外野が気にする必要はない。

芸は、極めるもの。

僕は何かを極めているだろうか。あるいは極めるために、日々、芸事を磨こうとしているだろうか。

そんな覚悟が、問われている作品だと僕は解釈している。

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