テクノロジーは使わせる側の武器(ダン・アリエリー『無料より安いものもある〜お金の行動経済学〜』を読んで)
2008年、経済学者のマッテオ・モッテルリーニさんによる『経済は感情で動く〜はじめての行動経済学〜』を読んだとき、かなり衝撃だった。
需要と供給など、市場の合理的なメカニズムによって決定づけられていると思っていた経済だったが、実は、人間の心的な不合理性によって左右することもあるという。
行動経済学の本を読むたび、知らず知らず散財し、限りある手持ちの「お金」が失われていないかを強く注意するようになった。(これも読書の効用と言えるだろう)
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ダン・アリエリーさんの新著で得たのは、「心の会計」という人間心理だ。
例えば、朝のコーヒー代を払うか / 払わないか。スターバックスでも300円は払う必要があり、僕は「今日は頑張るぞ!」というときや、カフェで仕事をするとき以外は購入しないようにしている。
多くの人はそんな感覚をお持ちだろう。それはギャンブラーと呼ばれる人であっても同じで、普段は、日々の散財には気を遣っているのだという。
しかしながらギャンブラーの多くは、カジノなどに行くと金銭感覚が麻痺してしまう。あっという間に数万円がなくなることも多いと聞く。
なぜ、そんなことが起こるのか。
それは、ギャンブルが、通常コストとは別の「心の勘定科目」に仕訳されていることにあることだという。
要するに、普段飲むコーヒーと、特別なときだけに許されたギャンブルは「別腹」なのだ。
たまに楽しむためには、多少のお金ならば散財を許してしまう。自分のルールの中で収まれば良いけれど、散財の度合いが高くなっていくと、自分のルールを歪曲してどんどん散財してしまう。自らの手持ちのお金を脅かすほどに。
ギャンブルは恐ろしいという人がいるけれど、どちらかと言えば、上記のように、支払う費用を都合良く解釈してしまう自分自身に過失があるのでは?と思ってしまう。
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ギャンブルをやらない人も、クレジットカードで「脇が甘い」行動をとる人は少なくない。
買い物をするとき、現金支払い、交通ICカードでの支払い、クレジットカードでの支払いは、「お金を使った」感覚が全然異なっているように錯覚する。現金で払うと喪失感を大きく感じるが、クレジットカードでの支払いは痛みをあまり感じない。同じ「出ていく」お金なのに……これも行動経済学が理由を証明している。
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他にもアンカリングや所有物の過大評価など、人間が陥りそうになっている「罠」について、本書は丁寧に解説している。
訳者の櫻井祐子さんが、あとがきでアリエリー教授の言葉を紹介している。これは僕たちにとって金言であり、最低限のリテラシーを高める必要性を訴えている。
本書でとくに重点を置いているのが、昨今のスマートマネーなど、テクノロジーを利用した決済方法だ。私たちは新しい方法が出るとただ「便利だから」という理由で、大して考えずにとり入れてしまう。だが便利さと引き替えに、なにを失っているのだろう?アリエリー教授は別のインタビューで、「テクノロジーは必ずしも悪いとはいわないが、これまでは使う側よりも使わせる側に圧倒的にためになるかたちで利用されてきた」と警告している。今後ますます高度な技術が開発されるなか、私たちも行動経済学の理論で自衛して臨む必要があるだろう。
(ダン・アリエリー(2021)『無料より安いものもある〜お金の行動経済学〜』、早川書房、P396より引用、太字は私)
技術の進化により、決済手段はどんどん「ラクに」なっていく。
だけど使用者にとって「ラクに」なっているように見えるが、浪費などのコストおよびリスクは高まるばかりだ。
使わせる側が散財を促すことに成功すれば、企業が儲かるという仕組み。散財は企業にとってプラスになるが、当然のことながら散財のし過ぎで立ち行かなくなるのは消費者だ。
散財して人生を無駄にする──そんな恐ろしいことにならないよう、最低限のリテラシーは身につけておきたい。
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*おまけ*
ダン・アリエリー『無料より安いものもある〜お金の行動経済学〜』の感想を、読書ラジオ「本屋になれなかった僕が」で配信しています。お時間あれば聴いてみてください。
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