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【物理】味の無い 授業を変える? 調味料

 「いいか、爆発させるんだよ。俺達はこの会社の“核”になるんだ。既成概念を全て焼き尽くし、新しいビジネスの創始者になろうじゃないか。」――4月1日の本部長の訓示は原子力の如きエネルギーに満ち溢れたものだった。
 「来年の3月31日には絶対に100億を達成する!中途半端な売上はこの事業本部には求められていない!繰り返す!我が部の存在意義は100億!無駄を省きながら、石に齧り付いてでも達成するんだ。過去の成功事例は『何となく出来てしまったもの』に過ぎないと思え。前例なんて全く役に立たないのが調味料業界であり、外食業界であり、総菜業界であるんだ。彼らはいつも悩んでいる。味に妥協するのは相手に失礼。既存の商品をひっくり返すのが我々の仕事。消費者に直接届く市販品と違って、オンリーワンしか入れない世界。外食・中食の人々というのは、最低10年くらいは地道に続けてようやく自分の味というか商売の土台を築くことの出来たプロ。そのプロに対して、調理効果のデータを出すことは簡単。俺達だって160年間も調味料を売ってきたんだからな。しかし、相手としっかり話し合って方向性を示せるのが、データだけではない『セールス力』であり『表現力』であり『キャッチボール能力』であるんだ。折角いい線までいっているのに足りない部分、それが何かを分析しろ。この不足した部分をもっと鋭角的に攻めろ。『便利屋』になるな。今の俺達は『便利屋』だ。無難な商談に終わるばかりで、アプローチが下手!はっきり言って、スーパーに行って、『こいつは美味い』って総菜に出会ったことあるか?レストランに行って、『忘れられない旨さ』に出会ったことあるか?真剣に味を語れば、真剣に物足りなさにメスを入れたら、必ず諸君の顧客は振り向く。太ってなお食いしん坊になるくらいの貪欲さと知識を持って欲しい。
 いいか、『こうしたらどうか』っていう仮説づくりが大切なんだよ。『あなた、歯が痛いから我々歯医者に来たんでしょ?』と言ってみたところで、相手が『いやあ、何となく総合病院のカウンターに来てみただけなんだけど』くらいの感覚のままだから便利屋に終わるんだよ。『いやいや、とりあえず御口を見せてください。あなたと一緒に、どう丈夫な歯を作っていこうかを考えますよ。』ともう一歩踏み込んで、患者が頼りにしてくれるような関係を築かないと、加工業務用の調味料ってのは、そりゃあスーパーに並んでいる市販品の調味料のようには売れない。原因が歯かどうか分からない場合は『何が痛みを引き起こしているんでしょうねえ。一緒に特定していきましょう。』って寄り添ってだな、お客から仮説を引き出せばいいんだよ。いいか、とにかく『痛み止めを処方しておきます。』とか何とか言って商談が終わっちゃう便利屋にだけはなるなよ!
 それとな、食品調味料の新規取引を開始することを目標のように掲げているけどな、これがゴールでは無いんだぞ。我々は酒メーカーなのである。食品を叩き台にして酒類調味料を導入する。ここが命綱なんだ。代表選手を送り込んで、ようやく仕事は完結する!仮に居酒屋チェーンの本部にアプローチしたかったら『ドリンクだけじゃなくてフードのメニューも提案させて下さい』って、酒の営業担当者に同行してもいい。知名度を活かしてキッチンに踏み込んで欲しいんだ。ウチの酒類調味料の既存品は知名度もあるし利益も出るけど、それだけじゃ専門家のハートには突っ込めない。食品調味料はまず提案を聞いてもらい信頼を勝ち得るためのツール。かと言って、食品調味料ばかりに注力するような商売では、初めから醬油屋やソース屋やドレッシング屋には敵わないってことは分かり切っている。だから、酒類に辿り着くために食品を利用するの!どんどん恥かいて、冷や汗かいて、自分の知識を深めて欲しいし、酒にはない難しさを体感して欲しい。
 醤油屋の売り方は勉強になるぞ。例えばだな、当たり前のようにケッコーマンを使用している工場に対して、ニシマルのセールスは必ずこう訊ねる。『日本で一番売れている薄口醬油はニシマルですが、どうして御社は最も支持されている当社製品を使わないのでしょうか?その理由を教えて下さい。こだわりをお持ちなら、私はそのオンリーワンのこだわりにお応えできます。何故なら手前どもにはナンバーワンメーカーとしてのスキルがあるからです。』ってな。どうだ、なかなか根性据わっているじゃないか。偉そうに聞こえるけど、的を射た問い掛けじゃないか。ウチの酒類調味料の市場シェアは?そうだ、五割以上だ!『どうしてウチじゃないのでしょうか?』って、俺達こそがこの台詞を言わずして何を言えというんだ。
 でも、この決め台詞を発する手前に『メニュー決定権のある調理責任者に直接会う』というハードルが立ち塞がる。そこでだ。『敵の敵は味方なんだ』って精神も養ってほしいんだよな。ニシマルもウチも、ケッコーマンを敵視している点では味方同士なんだ。それにウチは酒屋には詳しいが、厨房を主戦場とする得意先のことについては、そりゃあ醬油屋のほうがよく知っている。味方同士が協力するのも戦略の1つってこと。場合によってはライバルでもある醤油屋とも手を組むくらいの泥臭さが欲しい。
 そうやって客に入り込む。取れる要望は何でも引き受けて、信頼を掴む。総菜にしても外食にしても給食にしても『52週の中で季節感を出したい』とか『高齢化や食育の対応で野菜や魚介を上手に取り入れたい』とか、それでいて『作業工程を簡素化したい』とか『人件費を抑制したい』とか、諸君の目の前に居る得意先は絶えず悩みを抱えているんだぜ。そんな所へ訪問してだな、『お邪魔します。本日は当社のオススメ商品のご案内です。』って、いくら繰り返してもだな、そりゃ無視されるだけよ。単品の売り込みでは儲からない!全体の味づくりに参画するんだ。その点、我が社の研究所の技術力と工場の品質力は評価が高く、他を圧するだけの材料は持っているんだ。無限の可能性を秘めたこの業界で発展を手助けするのが俺達の仕事。会社ではなく仕事に忠誠を尽くしたまえ。さすれば個々の成長で利益が生まれる。さすれば我が事業本部は右肩上がりで自走し始めることだろう。もう一度告ぐ。持っている力を最大限に爆発させるんだよ。俺達はこの会社の“核”になるんだ。」
 私は「発展!成長!右肩上がり!」と豪語するこの経済と文明の熱を帯びたエネルギー、それでいて、何が彼をここまで熱くさせるのか、その原動力については今ひとつ私の理解範囲を超えた、まるで「原子力」の如きエネルギーが正直苦手だった。が、たとえ苦手であっても、本部長の訓示を拝聴するのは好きだった。それは何故か――1つ確実な答えがあるとすれば、たとえ「苦手」でも、話が「分かりやすかった」からだ。これは「苦手」で且つ「分かりにくい」話を散々聴いてきた過去の訓練の賜物と言えるかもしれない。
 
 「原子の質量数Aは、陽子数これ原子番号Z+中性子数Nで表され、炭素を例にとると、12が質量数、6が原子番号となり、A-Zが中性子数となる。陽子と中性子の数は同数というわけだな。が、中性子が陽子数より数個多いものがある。原子番号が同じで、質量数が異なるものを同位体と呼ぶ。まあ、ここまでが原子核の基本中の基本だな。
 次に原子量だが、これは炭素を基準として原子質量単位1uを定めている。炭素は1molで12〔g〕あり、アボガドロ数は6.02×10²³個/mol、質量数は12である故、こうなるんだな。」と一気に喋り終えて、先生は「1u=12/6×10²³×1/12=1.66×10⁻²⁷〔㎏〕」という式を板書する。「また、原子核の大きさはラザフォードの実験から、この式が見出された」と先生は続けて「r≒1.4×10⁻¹⁵ ³√A〔m〕」と板書する。「教科書にも解説が載っているけどな、実際にこうやってノートに書き写してみると頭に入ってくるから、まず手を動かしてみろ。だって、教科書に『ティーショットは頭を動かさないでスイングせよ』って載っていてもだよ、実際にドライバーを振ってみなければ感覚が掴めないだろ?そう、物理、これ則ちゴルフに相通ず。」
 ――いやいや、手が痛くなる程ノートを取っても、全くと言っていい程、頭に入ってこない。もはやこの時点で“呪文”。僅かに記憶に残存したのは「アボガドロ」という森のバターに似た言葉の響きのみ。あの発音はアボガドでは無く「Avocado(アボカド)」が正解らしいが、まあそんなことはどうでもいい上、私にとってはわざわざ買ってまで食べたくなるような馴染みのある果実では無い。大人になってゴルフを覚えた私だが、これがまた一向に上達しないのは、もしかしたら物理嫌いのせいかもしれない。一度ふざけて「原子核」とボールに書いてスイングしてみたが、結果は池ポチャだった。
 「ウランやラジウムは高エネルギーの放射能を発生する。これは原子核内から粒子あるいは高エネルギーの電磁波が飛び出すことによって起きるんだな。この崩壊には3種類あって、α、β、γ崩壊と呼ぶ。α崩壊はHeが原子核から飛び出すので、質量数が4、原子番号が2減少して別の物質となる。β崩壊は電子が1個飛び出す。この電子は中性子から飛び出すので中性子が陽に変わる。従って原子番号が1増えるというわけだな。γ崩壊は高エネルギーのγ線を出すが、質量数、原子番号は変化しない。崩壊過程で発生するα、β線は電荷をもっているので、ガイガーカウンター、シンチレーションカウンター等で崩壊個数を測定できるんだ。原子番号93以上は人工の放射性元素、超ウラン元素だ。ここまでが放射性原子の基本中の基本だな。」
 ――ダメだ。まだハーフラウンド辺りなのだろうけど、ギブアップに近い。サラリーマンの嗜みとしてゴルフを覚えた私だが、調子が良ければ100を切ることがあるくらいのレベル。スコア92なんて夢のまた夢。93打以上、つまり「人工」の超ウラン元素が大前提のプレーなものだから、「自然」を相手にしたスポーツに馴染める筈がない。ガイガーとかシンチレーションとか、そんなにカッコイイ代物では無いけれど、自分が何打叩いたのか忘れてしまわないよう手袋に挟めるタイプのスコアカウンターを常時携帯している始末である。
 「放射能と放射線には様々な単位がある。原子核から1個の崩壊をしたときの放射能の強さを1 Bq(ベクレル)と呼ぶ。ラジウムは1gあたり3.7×10¹⁰Bqの放射能があり、これを1キューリーと呼ぶ。1レントゲンは放射線量を表し、1kgあたり2.58×10⁻⁴〔c〕のイオン対をつくる量というわけだな。」――この後に続く話は、もう炎天下の18ホールに疲れ切った状態で漬かった風呂が偶々ラジウム温泉で、イオン化作用に脳も躰も蕩けてしまったような状態で聴いていた。アインシュタインは相対性原理によって質量とエネルギーは等価であると唱えたらしい。結合エネルギーの小さい物質から結合エネルギーの大きい物質に核反応が起こると、質量欠損が生じ、△mc²分のエネルギーが放出されるらしい。核分裂も核融合もその大きいやつで、核分裂は原爆や原発、核融合は水爆に用いられるらしい。
 少なくとも「科学者が戦争に加担すると恐ろしい事態となる」と皆が謂っていることは恐らく正しいのだろうという点は聢と了知した。それに比べたら、人口減少著しい国内の消費市場で限られたパイを奪い合う競争なんて平和的なもんだ。特別な才能や根性に恵まれない凡人は「企業戦士」に志願するという民主的な体裁を保った徴兵制度から逃れられず、これを拒むと安定的な生活はほぼ不可能となる。おまけに徴兵にも拘らず不景気で検査の合格ラインが厳しいと来たもんだ。高校生の私に待ち構えていたのは、そんな踏んだり蹴ったりの将来だった。
 
 ――物理という科目に対し、学問としての興味を全くもって抱けない私が、物理の勉強を強いられる意味って一体何なのだろう。物理の苦手な高校生なら誰しも一度は持つ不満の入り混じった疑問である。当時から私は「学問としての興味を全くもって抱けないかどうかも、まずは授業を聴いてみないと分からない」「実際に聴いてみて、つまらなかったとしても、卒業後、サラリーマンのつまらない役目に耐えられるようになるための訓練として意味を持つ」という答えを出していた。この答えによって当時の退屈が解消されるわけではなかった。が、すでに飽和状態にある資本主義市場において民間企業のサラリーマンが無理にでも利潤を追求する任務に邁進せねばならないという予想通りの“退屈”については、高校時分の経験のおかげでかなり緩和された。
 貧乏家庭で育ったものだから、カネが欲しかったし、就職後は四の五の言わず懸命に稼いだ。或る意味「社畜」そのものだった。その癖、どうやら私という人間は、一定の生活レベルに達すれば、もうそれ以上の贅沢は望まない気質のようであり、母を亡くして自分独りの人生となった途端、労働意欲を失った。立場上、退職願を提出したとて決して簡単には受理されないであろう面倒臭さも相俟って、惰性で会社員なるものを続けている。こうなったら本当に平日は退屈だ。けれど、職場へ行く足取りの重たい朝、私は大切に保管しておいた高校当時の物理の教科書やノートを身支度前に3分だけ読むことにしている。3分も読めば、自ずと「十代のオマエって、こんなに歯を食いしばって生きていたんだ。その歯、四十代の今も丈夫だし、十代のオマエほど歯を食いしばらなくても、とりあえず会社には行けるわ。だがら、オマエのその努力と忍耐って、無駄じゃなかったんだな。」といった心持ちになる。そうやって、玄関の扉を開けるや否や射し込んでくる苦手な眩しい光の中に、過去と現在に共通した暗い退屈の影を溶かし込みつつ、物理の先生に感謝するのであった。
 
 「何って言ったらいいんだろうなあ。社長の年頭挨拶にもあったように、成長市場においてはだな、既存の国内酒類市場の攻め方とは異なる戦法をとらないといけないんだよね。過去の成果が参考にならないのだから、商売の発想を変えてみる。出来ないことをボヤくより、出来ない代わりに何をするかって、楽しくトライアルする気持ちを維持して欲しいんだよな。『お客様のニーズを常に意識する』って安直に言うけど、他人の心の内なんて読めないんだからさあ、まずは自分の食べたいもんを想像してみたらいいんじゃねえの。例えばだな、オレな、正月にウチの料理用清酒と味醂、それと何処のスーパーでも売っているような市販品の『たれ』、これだけで鴨を煮てみたんだ。仕上げに山椒。山椒は清酒や味醂と一緒で、日本にしか無い調味料だよな。西洋由来の胡椒とも違うし、中国の花椒とも違う独特の風味。英語でも『Japanese pepper』だ。手間暇かけたらダメ。『作業工程を簡素化して、尚且つ季節感を出す』って課題を解決するんだから。手間暇かけた料理が美味いのは当然のこと。そうじゃなくて、調味料を鍋に入れて火にかけるだけ。なのに正月の食卓がちょっと華やかになる。ああ、この味わいを日本人全てに再認識してもらいたいし、世界にもアピールしてみたらどうだろうって思ったよ。こういう感覚を大切にして欲しいんだよな。プライドに固執したら失敗する。でも日本食を守るっていうウチの得意分野でもある使命を気負わずに背負っていこうぜ。」
 ――やはり本部長の訓示のほうが物理の授業より何倍も好きだった。苦手な内容でも分かりやすいから耳を傾けてしまう。蛇足ながら本部長との信頼関係もあったからかもしれない。きっと勢いだけで中途半端な仕事ぶりに違いなかった私。そんな私を二十代の頃から可愛がって下さった。「キミはねえ、育ちが良い。見てりゃあ分かる。カネの無い家で『雑草』みたいに育っているが、愛情を注がれて育っているから『雑な草』では無い。商談にそれが表れている。注がれた愛情を惜しみなく得意先に注いでいる。キミんとこの御両親に感謝せねばならないな。」――お客様も同席する接待の最中、こうも堂々と褒められてしまうと、冷めていたはずのサラリーマン生活に、暫定的ではあるにせよ不可思議なエネルギーが発生する。それは私にとって未だ理解不能な原子力に似た仕組みを有するのかもしれぬエネルギーだった。
 
 あれから20年後の正月。私はウチの料理用清酒と味醂、それと何処のスーパーでも売っているような市販品の「キムチ鍋の出汁」、これだけでお雑煮を作ってみた。巷には「調味料=後から注ぎ足すような使い方をするもの」という先入観が意外にも根強いみたいだが、アルコールの最大の調理効果の1つは「味を染み込みやすくすること」であるが故、酒類調味料は最初に入れなければならない。そのほうが楽だし、アルコールもすぐに蒸発する。具材は大根と豚肉少々と餅のみ。初めから全部を鍋に入れて火にかけるだけ。仕上げは青海苔。青海苔というやつも――韓国では野菜としてナムルとかに使う場面は一部にあるようだけど――ほぼ日本独特のものらしい。完成の味はある程度予想できていたつもりだったが、パンチの効いた朝鮮漬の恩恵に与りつつも、予想以上に「和風」だった。その証拠に、傍らの冷酒が進んだ。
 清酒というのも和風の代表格だ。ワインは単発酵。ビールは単行複発酵。清酒だけが並行複発酵という他のアルコールドリンクには無い醸造技術を用いる。上撰のパック酒を空けながら、私は「海外のことも勉強して、日本のことも勉強しましょう。そうすると、君達は日本に土着する人達ですから、『西洋風』『東洋風』ということを完全には理解できなかったとしても、少なくとも『和風』というのが一体どういうことなのかについては、それ相応にハイレベルな知識に達します。」と豪語する業平先生の授業を思い出していた・・・つづく

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