オランダ人に理解しがたい哀れな日本国

米国、欧州、エジプト等、海外で生まれ育った私にとって日本人ほど独特な国民なかった。

これは良い意味でも、悪い意味でもある。

非常に素晴らしく、恐ろしく愚かな性格を持っている。




 オランダ人は日本人を憎む

ヨーロッパの学校でオランダ人と仲良くなるチャンスがあった。

その彼が大学生の頃、このような手紙をくれた。

「裸で大声で叫びながら神輿を担ぐ日本の男たちの姿がテレビ放映された。そしたら、両親が思わず顔をしかめた」と書いてきた。

なぜその時に両親が顔をしかめたのか?すぐに理解できなかった。


1900年代後半のオランダは、まだ、戦争の記憶を持つ人々が社会で活躍していた時期。

戦時中に双子の弟と両親を奪われたユダヤ人ジャーナリスト、ルー・デ・ヨングが、

第二次世界大戦中オランダでは何が起きていたのかを詳しく記録するために、歴史書を何巻も出版し続けた。

戦争を体験した世代、中流以上の家庭には、数ヶ月ごとに新刊が発売されたシリーズ本が棚に並べられ、ニュースの話題になったらしい。


オランダは、第二次世界大戦中、ヒトラー・ナチスのドイツの占領下に入った。

しかし、オランダ人の大半がナチスドイツを受け入れ、そうでなかった人々(つまり反対勢力)を、ユダヤ人とともに強制収容所に送られた。

自国の黒歴史を記録として残そうとしたこのシリーズは、やがて、ドイツとの関係だけではなく、当時オランダ領であった現インドネシアの話題も出る。


いうまでもなく、インドネシアはオランダの植民地で、オランダ人は、時には現地人と結婚するなどして暮らしてきた一般市民が、日本軍によってどれほど人権侵害を受けたか、という記録だ。


オランダのテレビで、日本の男たちの祭りの姿が放映されたのは、そういう日本軍の黒歴史と関係があったからだ。


オランダ人と深く関係を持つにつれて、オランダには戦争中の日本軍の行為によって強い反日感情を抱く人々がいることを知った。


しかし、能天気な日本人は知るはずもない。無理もない。そういう教育をちゃんと受けてないからだ。

せいぜい「オランダとは、江戸時代に唯一一つながりのあった国だー」くらいのレベルの低い話だ。


しかし、多くの日本人は、彼らが日本を恨んでいることの背景にある「歴史」を具体的に理解できない。

おそらくほとんどの人間は興味さえないだろう。日本人とはそういうものだ。

長いものに巻かれ、過去を水に流し、新しいことに適応していく。

これは良いことでもある。

元号もそうだし、それがお祭り好きの日本人の性格に合っているということだ。




日本人は腐っている

オランダの友人が、学校でこのように教わった、と言ってきた。

「今日歴史の時間に、戦時中に旧オランダ領インド
ネシアで、日本軍の強制収容所に収容されていた人の息子さんが話をした。」

その人はいきなり『日本人は腐っていた、、、日本人は今も腐っている、、』と話し始めたんだ。

でも、その友人がその人に『僕は日本に住んでいる友人(私のこと)がいる』というと、

少し落ち着いた、と。


その話をきっかけに、私の中で一つの決意ができた。歴史と向き合い、日本人になった私が、オランダの人を少しでも理解しようと。


そして、国際交流会の中で、

日本軍の犠牲となって親を奪われたり、大切な人を奪われたり、苦しい思いをした人々の中でも、その苦しみを乗り越えて、あえて日本人と対話をしたいと心を開いてくれるオランダ人と話してみた。

もちろん、その中には、日本人と聞くだけで、吐き気がしたり、胸が苦しくなるという…人たちもいる。


オランダ人の中には、収容所で亡くなる前に、

「日本人を理解するために一生懸命に日本文化の本を読んでいた」母親や、

「日本人を憎んではいけない、あの人たちは自分がしていることがわからないのだから」と熱心なキリ
スト教の聖書の言葉を子どもに聞かせた母親などもいたと聞く。


同時に、あまりに悲惨な収容所生活や、幼い子や夫との別れ、売春婦として日本男性の性欲満たすための仕事をするために連れ去られることへの恐怖で、心を病んだ女性も少なくなかった。


そういう母親の元で育った子ども達は、今でも精神的に不安な状態になることが多いことも聞いた。


この方達の話を聞きながら、私は、日本人のヒューマニズムはどこにあったのだ、と聞かれているような気がした。


人間愛。


オランダは、死刑のない国だ。

殺人を犯した犯罪人ですら、一定の期間を過ぎると社会復帰をする。

そして、自分がなぜ罪を犯したのか。

それがどんな意味のものだったのか、

小学生を相手に心の声を語るチャンスを持てる国でもある。

誰もが、人間が侵してしまう失敗は、それなりの理由があることで、つまり、失敗を受け入れる国だ。


それは、日本みたいに、単に「謝れば良い」のではなく、何に失敗し、どうすれば未来の平和な発展できるかをみんなで議論すること。

議論するためには歴史をちゃんと勉強する。


日本軍の犠牲になった人と何人かとお会いしたり、交流会に参加したり、本を読んだりしてきたが、


ヒューマニズムを持たない日本人が、犠牲になった人、とりわけ紹介したオランダ人よりも、不幸な存在だったのではないのか、と思うようになった。


そう思えば思うほど、不幸な日本人の姿は、戦後の今も続いており、

その不幸に気づかず、汗水垂らして必死で働き続ける日本人。

幸福度調査も低く、

自分に自信がなく、

自殺率は先進国一位。

賃金の安さも最下位といったレベルまできて、

何かとても大切なものに忘れてしまっていることを悟った。


日本の政治家らが国外の日本軍の犠牲者に対して心から謝れないのは、

実際は、国内にいる人々に対しても、彼らは愛を感じてないからだ。

民主国家とは名ばかり、何と情けないことかと。

自国の人の人権を尊重することもない国の指導者。


ただただ、やれ日本文化だ、やれ美しき日本だ、日本は治安がいい、恵まれている、平和だ、とマスターベーションしてるだけで、

深く歴史を反省することもなく、

ただわっしょいわっしょいと人に同調を強制して、

周りに必死に合わせてるだけの日本は、本当に美しい国なのかどうか。




なぜ日本だけが責められるのか、という人はいる。

特に、個人的に、大人しい日本人女性につけ込んで、何千人、何万人と強姦したソ連、米兵を絶対許すことができない。

もちろん、世界には、悲惨な人権侵害が今も続いている。

ヨーロッパもアメリカも皆黒歴史を抱えている。


だからこそ、自分から、自分の国、社会を変えようとする人が一人でも増えない限り、世界はいつもジャングルように生きづらい場であり続けることだろう。

それは自分の意識を変えることでもいい。

1人の1人の力がそうやって世の中を変えていく。

そう信じてる!

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