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サラ金会社の面接に行ったら日本社会のジェンダー観を見せつけられた話。

横浜地裁で、女性であることを理由に総合職への転換を認めないのは男女差別だとの判決が出たらしい。こんな当たり前のはずのことが、ニュースになる。さすがはジェンダーギャップ指数2020で121位の「美しい国」だ。ともあれ、この判決については素直に喜びたい。

総合職と一般職、そして男と女という4つのファクターの関係性については、僕も一つ強烈な思い出があるので、ご紹介する。

今から20年近く前、大学時代からずっと付き合ってる彼女の就職先が青森市内に決まったので、彼女が引っ越したあと半年くらいしてから僕もあとを追いかけて東京から青森に移住した。

東京でバイトしていた会社がつぶれることになったので、ちょうど良かった。でも、青森市に越して来た時は失業状態だった。それまでバイトでしか働いたことがなかった三十路越え男子の、苦難の職探しがはじまった。

思えばこの頃が人生でいちばん自分に自信がなかった時期かもしれない。それはもう、書類審査も面接も落ちまくった。50社くらいは落ちたんじゃなかろうか。今から見ると、甘い考えで就職先を選んでもいたし、面接スキルも拙かった。それをさしおいても、あれほどに自分という人間が必要とされていない現実を見せつけられると、つらかった。

警備会社や工場にはじまり、いろんなところを受けたが、その中にサラ金業者があった。ハローワークで求職情報を見た時は書き方があいまいでピンと来ていなかったが、面接に来いと言われて実際に店舗の前に立った時、さすがに察した。

記憶はおぼろげなのだが、募集要項には男女の区別なく、一般職にも総合職にも応募できると書いてあったのは間違いない。給与や休日設定も大事だけれど、彼女を追ってきた僕にとっては「転勤がない」ということが何よりも重要な条件だったからだ。せっかく頑張って青森市に引っ越してきたのに、別の場所に飛ばされちゃたまったもんじゃない。

応募条件には総合職は東北内支店に転勤ありだが、一般職の場合はないと明記してあり、僕はそのことをしっかりと確認してから面接の手続きをとったのだ。そこだけはどうしても譲れないのだから。

指定時間に店内に入ると、そこはいきなりカウンターのようなものがあり、その向こうにデスクがいくつか並んでいて、何人かが電話をかけていた。僕と同じ年代くらいの男性が近寄ってきたので面接をお願いしていた○○ですと名乗ると、利用客と同じようにカウンターに座らされて、その男性による面接がはじまった。どうやら支店長らしい。

最初はかんたんな筆記テストのようなものをやらされた。今の総理大臣のフルネームは、とかどうでもいいような「一般常識」的な設問が並んでいた。いちおう全部答えられたと記憶している。内心「サラ金業者か、困ったな。ここに勤めることになるのだろうか? でも背に腹は代えられないし」などと考えていた。

ボールペンを紙に走らせていると、社員が電話で話している声が聞こえてくる。「たった○○円じゃないですか。お友達に借りてうちに返してもらうとか、できないんですか?」と言っている。なんだそれ。気が重くなる。

筆記が終わると、僕の履歴書やテストの前に記入した希望事項の用紙を眺めていた支店長が、こう言った。

「えーと、男性では一般職はできないんですよ」

それは困る。僕はまず、ハローワークに出されていた募集要項に男女の区別なく応募に応じると書かれていたと伝えた。すると、

「どうして男性なのに一般職希望なのですか」

と訊いてくる。僕は、付き合っている彼女を追って青森市に来たこと、だから他の場所では働けないのだと説明した。仕事の内容や労働時間は百歩でも千歩でも譲れても、そこだけは絶対に無理だ。

実はこの話は、青森市内の企業で披露するとけっこう受けが良いのを面接を重ねてきた経験上知っていた。女性が男性のライフプランに合わせることが多いこの世の中、その逆なのはけっこう「誠実さ」の証明になるらしく、しかも地元の人からすると東京から青森に来てくれた感もあるらしい。都会から地方への移住者があまり目立たなかった時代の視点だ。だから今回も理解してくれるのではと期待した。

ところが反応は予想外の方向から返された。

「うーん、その女性とは結婚しないのですか」

は? 言ってることがわからない。転勤はできない、ということが、どうして結婚の予定の話になるのだろう。

「わが社ではですね、お客様に社員の家庭円満をアピールしているんですよ。なので男性は総合職に就いていただくし、転勤もしていただく。それに奥様にはお仕事を辞めていただいて、旦那さんについて行って、家庭を守っていただく。そうやってしっかりした家庭に支えられた社員ばかりがいることで、お客様に信用と安心を感じていただくというモットーがあるんです」

面接を重ねてきた中で、応募先の男女差別めいた考え方がちらつくことは何度もあった。例えば、ある学術機関でデスクワークの仕事に応募したら「あなたのような立派な学歴をお持ちの方にお茶くみとかさせられない」と言われたこととか。「お茶は普段からいれていますし、私で良ければいくらでもお茶くみします」と返したのだが、やはり落ちた。

しかし、ここまでむきだしのジェンダー観を見せつけられたのはさすがにはじめてだった。

そもそも、なぜ社員の家庭環境が顧客につまびらかにされているのだ。そのこと自体がまず信じられない。金融業なんて顧客の個人情報を守ることに何よりも敏感でなければいけないのに、社員の個人情報がおろそかにされていたら信用も安心もないだろうが。

それに、旦那の仕事の都合で職を辞めさせられた配偶者がいて、何が「円満」なんだ。女性が働くことをなんだと思ってるのか。いつでも辞められるし、特にやりがいもないとでも思っているのか。夫の都合に合わせて、不満がないとでも思っているのか。

僕の彼女は人生の中で仕事が一番大事で、究極の選択をさせられたら僕より仕事を選ぶと明言している人だ。僕は自分の考えと人生設計がはっきりしている彼女をカッコいいと思っているし、その考え方をちゃんと僕に伝えてくれた彼女がほんとうに好きだ。

支店長の物言いは、働くことに「自分の人生」を感じている僕の彼女のような女性を、そしてそういう女性が現実にいるというこの社会を、この上なく貶めるものだと感じた。こんなことを「社風」だと謳う企業が、いまだにあるのか。

彼の言葉を聞いて、僕の心の中でどす黒い怒りがわいたし、実際に目つきも尖ったと思う。

「そうですか。それでは仕方ないです。辞退させていただきます。ご説明では、男性の私が一般職に就けない意味がよくわかりませんでした。どちらにせよ、条件が合わないようですね。あと、これから応募してくる人たちが勘違いするので、ハローワークに出している募集要項を訂正してください」

僕がそう言うと、支店長はちょっとバカにしたような笑みを浮かべて、わかりましたと答えた。

面接に行くのだって、タダじゃない。交通費や履歴書にお金がかかっている。時間だってかかっている。だからまた失業期間が延びるとわかってしまう時は例外なくがっくり来るのだが、この時は「こんなクソ会社に間違って入ってしまわなくて良かった」と感じた。

店舗は繁華街のそのまた中心部にあったので、その後、前を通るたびに支店長の説明を思い出し苦い気分になっていたのだが、やがて店が消え「ざまあみろ」と思ったのだった。あんなジェンダー観を持つ企業が生き残っていいわけがない。

この世の中は、残念ながらまだまだ「女性だから」を理由に人生の選択を狭めたり不当に貶めたりという差別がなくならない。そしてその「仕組み」は裏返って男性に作用することもある。上で見るように、僕は仕事に就けなかったわけだからそれは一見「男性差別」であるように見えるけれど、これはあくまで女性差別の裏返しで生まれたものであることを忘れてはいけない。

同性婚の結婚についてもそうだけれど、あらゆる人が性の区別なくあらゆる選択肢を選ぶことができるべきだし、個人的にはそれをわざわざ禁じたり差別したりするほうが無駄な労力だと考えている。何も生まない差別を、時間やエネルギーを消費してせっせと行うことで、いったい何が良くなったと言うのか。差別がポジティヴに作用したことなど、一切ない。

あの面接は20年近く前のことだ。日本社会は、あれからどれだけ変わったのだろうか。変わって欲しいし、変えたい。いつもそう思っている。

(おわり)


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