ていねいな暮らし=?
よくインスタグラムに「#ていねいな暮らし」というハッシュタグ
正直、今まで好きになれませんでした。
だけど今はその言葉が身に染みて
「自分も”ていねいな生活”を心がけよう」と思うようになりました。
なので、今回はわたし自身が考える”ていねいな暮らし”について
記事を書いてみようと思います。
わたしみたいに「ていねいな暮らしってワード、あんまり好きじゃない」って人も もし良かったら見て欲しいです(笑)
ハッシュタグ上の”ていねいな暮らし”
このハッシュタグはInstagramでよく見かけます。
検索してみると
「できるだけ自然のものを取り入れている」とか
「シンプルである」とか
いろんな特徴がありますね。
また、シンプルでのいいものをピックアップした投稿とか
手間をかけた美味しそうな料理の投稿とかの
ハッシュタグ欄に「#ていねいな暮らし」とちょこんと載っています。
そんな光景を目にすることが多かったからこそ
「モノがシンプルだから、自然、丁寧であるからということだけで”ていねいな暮らし”と言えるのか」といったような少々捻くれたような考えを持っていました。(笑)
自分以外の人間も自分と同じだということに気づく
実は最近2週間休みをいただいたので、
ここ最近は心を休めることに徹しました。
起床時間は特に決めず、起きたい時に起きて
食べたいものを考えながら買い物をしてご飯作り
もし昼寝がしたくなったらその気持ちに従って
夜ご飯をいつもより早く食べて
夜は散歩という名のドラクエウォーク
年末まで疲弊していた心が癒されたような気がします。
そんな中で
「休みがあるのであれば学びの時間も欲しい」と思い
以前読んでいた「ヨーガ・スートラ」を再度読み始めました。
そこである文章がありました。
内容は割愛しますが
結局自分も周りにいる人、動物、モノ全て皆「同じ」である
そう書かれていました。
ここから先は私がその文章を読んでからの考え、となりますが
例えば自分と他人を見分ける場合 性別や名前といった「外見」、仕事や能力といった「付け加えられたもの」を無意識で感じとり、見分けると思うのです。
しかし、そのような「外見」や「付け加えられたもの」をなくしたとき
きっと自分や他人、動物、モノという区別はできない
=全ての存在しているものは皆同じである
ということは
一緒に時間を共にしている彼や職場の人たちも、
記事を書くために触っているPCも、
実家で飼っている犬も、
みんな私自身であると思うと
なんだか愛着が湧く、というか
「より”ていねいに扱いたい”」と気づきました。
本当のていねいな暮らしって•••
最初に戻りますが
元々は「ていねいな暮らし」というワードを聞くだけでも
体がむずむずした私でしたが
「すべてのものは自分自身である」ように置き換えて考えることで
「ていねいな暮らし=自分の周りへ優しく、ていねいに関わること」が
本来の意味合いにとれるのかな、というところに行きつきました。
「ていねいな暮らし」というワードは私人生のテーマにもなるんじゃないかな、と考えています。
自分自身も優しく扱われたいな、と思っているので
これから「物を扱うとき、人と接するとき」は
より「ていねいな暮らし」を心がけていきたいな。
今日もみていただき、ありがとうございました。
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