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クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書【第1回】

『うらおもて人生録』


「生きにくくて悩むくらいでちょうどいい」


 すべての若きクソ野郎どもへささぐ、とどこかのパンクバンドが叫んでいたが、そんなこと言うまでもなく、パンクというのはクソ野郎どもが奏でるクソ野郎どもへささげられた音楽だ。

 親父がアル中で家に居場所がないクソ野郎。学校を退学になって社会に居場所のないクソ野郎。中産階級の家庭で育ちながらも社会にうまく適合できないクソ野郎。就職できないクソ野郎。就職してもノーフューチャーなクソ野郎。

 クソ野郎といえども、十人十色。パンクを聴きパンクを奏でる人間には、筋金入りのクソ野郎もいれば、温室育ちクソ野郎もいる。育ってきた環境が違えば、見た目の雰囲気も違う。しかし、クソ野郎どもに共通しているのは、心の中に劣等感をいだき、どうしようもない欠点や怒り、生きづらさを抱えているというメンタリティーだ

 劣等感、疎外感、生きづらさ、怒り、不満。
 クソ野郎が抱くクソみたいな感情を、クソみたいな演奏にのせて吐き出すパンクバンドの姿に、クソ野郎だった私は随分と救われた。

 そして、パンクがクソ野郎によるクソ野郎へささげられた音楽である様に、『うらおもて人生録』(新潮文庫刊)もまた、クソ野郎によるクソ野郎へささげられた読み物だ。

 著者である色川武大は、幼少の頃から劣等感を抱きまくっていて、社会になじめず、学校を無期停学になり、行き着いた果ては裏社会で生きるギャンブラーだった。まだ十代の若さで家に帰らず路上で寝泊まりし、ひたすらギャンブルに明け暮れた。筋金入りのクソ野郎だ。

 そんな彼の劣等感の最たる要因は、頭が絶壁だったことだという。
 え、そんなことで?絶壁が原因でクソ野郎になったの?バカじゃん?
と思うかもしれないが、身体的なコンプレックスは小学生や中学生にとっては、自分の人生を左右する大きな問題だと思う。

 私も、十代の頃はクセ毛と抜け毛のせいで、劣等感の塊となっていた。今となってはどうでも良い事だが、当時の私にとっては重大な問題で、そのせいで厭世的な性格となり、若き青春時代を楽しめず、かといって不良になることもできず、温室育ちクソ野郎に成り果てて、部屋で一人パンクを聴くようになった。

 大人になると、幼少期に抱えていたような身体的なコンプレックスは無くなる傾向にあるが、じゃあそれで全てオッケー、問題なく人生を楽しめるかというとそうではなくて、大人になっても何かしら自分の中に欠点を感じ、生きづらさを感じるている人は多いと思う。

 色川武大は本書の中でこう言う。

「ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくいという部分を守り育てていく。欠点も生かしていくんだ。生きにくくて悩むくらいでちょうどいい。欠点はまた裏を返せば武器にもなる。ただし、その欠点をきちんと自分でつかんで飼っていないとね」


 色川武大が様々な経験の中で培ってきたセオリーは、「九勝六敗を狙うこと」だという。ギャンブルだけでなく、人生においても全勝なんて無理なんだから、どこで勝つのかと同じ様に、どこで負けるかということも意識しなくてはいけない、という理論だ。

 欠点を自覚し、それを守り育てて、武器にして生きる

 この理論に基づいて、この本には生きずらさを抱える全てのクソ野郎どもが生きていくための様々なセオリーが書かれているが、いわゆる自己啓発本みたいな感じで、これを読めばクソ野郎の人生が必ず輝く!みたいなことにはならない。

 なぜなら、この本にはたくさんのヒントは書かれているが、答えは一切書かれていないからだ。

 それ故に、クソ野郎どもは事あるごとにこの本を読み返し、自分で自分の答えを考えなければいけない。それでも、どんな欠点を抱えたクソ野郎でも、その欠点を武器にして切り開ける未来は絶対にあるのだと感じさせてくれる

 私は、十代後半でパンクと出会って救われた様に、二十代後半でこの本に出会って救われた。

 欠点だらけのパンクスが日の当たらない地下のライブハウスでひかり輝く様に、この社会で、クソ野郎にはクソ野郎なりの生き方、輝き方があるのだ。


今日の一冊「うらおもて人生録」
著:色川武大
出版社:新潮文庫 刊
発行年月:1987年11月


※本コラムは2018年10月発売予定の『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』(地下BOOKS刊)の掲載内容からの抜粋です。


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