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イラン大統領選挙:ペゼシュキアンとは何者か?—予想外な選挙の以外な結果 8号.2024/06/30


予期せぬ事態が起こるイラン大統領選挙

 現地時間2024年6月28日、約1年早いイラン大統領選挙が行われた。この選挙は、5月にヘリコプターが墜落し、搭乗していたライシ大統領が亡くなったことに伴う代わりの大統領を選出する選挙である。

 イランでは、一応「民主的」な選挙が行われている。民主主義国のように客観的に判断可能な出馬条件を満たすだけでなく、一般に公開されることのない「監督者評議会」と呼ばれる組織による事前資格審査を通過しなければ、出馬することができない。監督者評議会が選定した候補者の中から国民の投票によって大統領が決められる。

 2021年の前回選挙では、トランプ前大統領が全加盟国の反対を押し切って、「イラン核合意(Joint Comprehensive Plan of Action)」から一方的に脱退したことによる煽りを受け、「改革派」は愚か、「保守穏健派」の候補は軒並み監督者評議会の篩に落とされ、「保守強硬派」と呼ばれる候補者による選挙となった。

 今回の選挙は80名(男性76名、女性4名)が立候補の登録を行ったが、最終的に監督者評議会の資格審査を経て、絞り込まれたのは6名だった(Kenta, 2024)。

 今回の選挙でも、未だ欧米との軋轢を抱える国際情勢化で、監督者評議会の事前資格を通過して、どのような候補者が選ばれるのかが注目された。候補者6人のうち5人は「保守強硬派」、マスード・ペゼシュキアン氏が唯一「改革派」としてリストに載った。

監督者評議会の事前資格審査を通じて候補者となった6名(Al-jazeera. 2024)

 特に、ガーリー・バーフ国会議長・元テヘラン市長やサイード・ジャリーリー元国家最高安全保障評議会(SNSC)書記・元核交渉責任者は国民的知名度がある候補で有力候補者であった。事前の世論調査でも両候補は、他候補と比べると高い票の獲得が予想されており、改革派のマスード・ペゼシュキアン候補と合わせて三つ巴の戦いになるとされていた。

 選挙中2名が辞退を表明し、4者に絞られて28日の投票日を迎えた。ペゼシュキアン候補が40%を超え首位、その後にジャリーリー候補、バーフ候補が続く結果となった。いずれの候補も過半数を獲得することができなかったため、上位2名のペゼシュキアン候補とジャリーリー候補による決戦投票が7月5日に行われる。

4候補者の得票数比較(Al-jazeera. 2024)

 いずれも知名度の高い「保守強硬派」の候補が乱立したことにより票が割れたことに加え、「保守強硬派」に批判的な人々の受け皿となったことで、時の人となっているペゼシュキアン候補だが、経歴や知名度を鑑みると今回の選挙結果は「ミニサプライズ」ではないだろうか。これだけの支持を集めたのは、上記の理由に加え欧米との対立でイラン経済が困窮し市民の暮らしが厳しくなる中で、保守強硬派のこれまでの政権運営に対する不満の表れでもあると考えている。

マスード・ペゼシュキアンとは何者か?

 マスード・ペゼシュキアン氏は、1954年9月29日生まれの70歳で、イランの西アゼルバイジャン州生まれである。

マスード・ペゼシュキアン氏のX(旧Twitter)アカウント

 19歳で兵役に就いた後、イランの東アゼルバイジャン州の州都タブリーズにある、Tabriz University of Medical Sciencesを卒業し医学学位を取得。イラン・イラク戦争では、医療チームを現場に派遣する側、兵士としても前線で戦っている。終戦後も同大学で勉強を続け、心臓外科医を専門とする医師となった。

 両親共に、イランで多数派を占める民族のペルジャ人ではなく、父親はイラン系アゼルバイジャン人、母親はイラン系クルド人である。私生活では妻をと子どもを交通事故で亡くし、その後は再婚することなく一人で残された子ども2人を育てている。エリート階級ではない、マイノリティである彼の出自も有権者の共感を呼んでいる側面があると指摘されている(The Guradian, 2024)。

 2001年から2005年まで「改革派」として知られるハタミ元大統領の元で、健康大臣として政府の職に就いた。その前の1997年には副健康大臣も務めている。また、2016年から2020年には国会副議長にも就いている。

 ペゼシュキアン氏が「改革派」として言われる所以は、その発言や政策である。「保守強行派」のアフマディ・ネジャードと「改革派」のミールホセイン・ムーサヴィーの対決となった2009年の大統領選挙で、アフマディ・ネジャード側が不正を行った疑いが発覚した。ムーサヴィーの支持者たちは講義デモを行い、治安当局と激しくぶつかった。ペゼシュキアン氏は、治安当局の暴力的な収め方を批判している。

 2015年にハッサン・ローハニー元大統領が結んだJCPOAを評価しており、また、ヒジャブの使用方法が適切でないとして、治安当局に拘束されそのまま死亡したマサ・アミーニ氏の事件に端を発するイラン全土でのデモが発生した際も、国営テレビのインタビューに答え、アミーニー氏の死に関する政府の説明に異議を唱え、イラン政府による公式の説明に疑問を呈した。ペゼシュキアン氏は、事件の独立評価チームの設置を求めた。これらの国際社会との協調や、当局による非暴力的な透明性のある説明責任の追及が「改革派」と評される理由であろう(Jafari, 2024)。

 一方「改革派」的な思想や政策を持っているペゼシュキアン氏であるが、最高指導者ハメネイ師への忠誠は揺るがないともされている。今回、「改革派」ながら監督者評議会の資格審査を通過することができたのは、体制への忠誠心も関係しているだろう。

7月5日の決戦投票とその後のイラン

 バーフ国会議長などの「保守強硬派」は、7月5日の決戦投票ではジャリーリー候補に投票するよう有権者に促している。単純計算で、1次ラウンドで敗退した他2名の候補者の獲得票をジャリーリー氏に加えると、ペゼシュキアンが獲得した票を超えることになる。

 一方、ハタミ元大統領が支援を表明したり、JCPOAを結ぶにあたって、当事国と直接交渉に当たったザリフ前外相がペゼシュキアン候補の支援を表明し、選挙キャンペーンに自ら参加するなど、知名度のある人物からの支援を得ている(Jafari, 2024)。キングメーカーとされる無党派層の動向次第では、どちらの候補にも勝利の可能性はあるため、現段階で優劣をつけるのは難しいだろう。

 しかしながら、いずれのどちらの候補が勝ったとしても現在のイランの体制に大きな変化を起こすことはないだろうと考えている。特に、米国との関係においては、「もしトラ」のリスクが懸念される中で、米国との関係を改善しても、再び一方的に制裁をかけられるのがイランにとっての最悪のシナリオである。外交政策においては米国次第と言えるのではないだろうか。

 もう一点、イランの選挙において重要なことは投票率であると言われている。高い投票率を背景に、体制が民衆から支持されている根拠としてきた。しかしながら、前回の2021年の選挙は、過去最低となる48%の投票率であった。この理由には、経済制裁やインフレによる民衆の経済的困窮、世俗化を求める市民に対する厳しい規制などの不満があるにも関わらず、その路線を踏襲するような候補者しか出馬させず、市民が支持する候補者に投票できない不満が数字になって現れたと指摘されている。

 7月28日の投票率は、38%と過去最低を大きく更新した。決戦投票の投票率も注目である。

[参考文献]

Kenta, A.(2024). "№29 イラン:6月28日実施予定の大統領選挙に向けた立候補者登録受付が終了". 中東調査会. Available at https://www.meij.or.jp/kawara/2024_029.html

Jafari,S. (2024). "Masoud Pezeshkian is a possible game changer in the upcoming Iranian presidential election", Atlantic Council. Available at https://www.atlanticcouncil.org/blogs/iransource/masoud-pezeshkian-reformist-game-changer-election-president/

The Guardian. (2024). "The Guardian view on Iran’s presidential election: more choice, but little real hope of change". Available at 

Al-Jazeera. (2024). "Iran presidency still up for grabs as conservatives negotiate pre-election" Available at https://www.aljazeera.com/news/2024/6/27/iran-presidency-still-up-for-grabs-as-conservatives-negotiate-pre-election

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