一元観エピソード20〜Minminさん編〜
心に余裕がある時とない時では自分の行動、反応、考え方が変わってくることはよくあることだ。
同じことをされたり、言われても心に余裕があれば笑って過ごせることも心に余裕がない場合、必要以上にカチンときて、イライラしてしまうこともある。
何かの決断を迫られた時も時間的にも心理的にも余裕があれば落ち着いて考えて判断できることも時間も心も余裕がなければアワアワして自分がこっちだ‼️と思う心の判断は出来ず、間違った選択をしがちだと思う。
そんな余裕がある時とない時の話を用いて一元観エピソードを書いてくださったのはMinminさん。
一元観を考えた時にフラットにもの事を見る、と捉えたMinminさん。
『自由』という言葉が浮かんできたと言います。
人の固定観念に囚われず、柔らかな受け止め方と緩やかな考えをを持てないと、もの事を歪めて考えたりしまいやすくなりがちだと書かれていて、とても共感しました。
親は時に子に対して不自由な考え方をさせてしまうことがある。
親の偏った考え方による偏見や固定概念を子どもに与えてしまうことも。
例えば「男子厨房に入るべからず」みたいな。
いやいや、今どきないっしょって思うかもしれませんが、そこまで極端ではないにしろ「男たるもの」だとか、「女の子なんだからね」なんていう古い考え方を押し付けることは未だ根強く残っている世代や地域もあったりする。
その親からの受けてきた考え方というのは、無意識のうちに自分の脳内や細胞の中に入り込み、刷り込まれている。
その呪縛を解くことはなかなか簡単ではない。
そんな呪縛があると、心に不自由さが生まれ、判断を鈍らせることがあるのかもしれない。
親からの呪縛を解いた時に、自分の心の声を聞く自由がやっと手に入るのかもしれない。
一元観で考える時、心に余裕を💕
心に自由を💕
Minminさんの記事を読み、そんなことを考えるきっかけをいただけました。
もし、嫌なことをしてきた相手がいたとしても相手をジャッジするのではなく、自分の心に正直になる。
こんなひどいことをするなんて‼️と相手を非難したり責めたりすることにエネルギーを使うのではなく、自分の心を見つめる。
なんで私は、こんな風に感じたのだろう?
なんで私は、悲しいのだろう?
なんで私は、怒りが湧いたのだろう?
その問いを、深く、何度も自分に問いかけて行く。
相手への非難ではなく自分への否定でもなく、感情を味わう。
自分の感情に素直になる。
同じ出来事があったとしても感じ方受け取り方は人それぞれ。
自分にとっては許せないことでも人によってはスルーすることかもしれない。
ということは、反応しているのは、自分。
その感情で反応しているのは、自分自身なのだから。
なぜ反応するのかをとことん掘り下げる。
その先にきっと呪縛からも逃れられ、自由を手に入れられるのだと思いました。
こちらもとても大切な気づき。
一元観エピソードだと感じました。
自分が母親になって初めてわかる気持ち、初めて味わう気持ちというものはあるものです。
勇気を出して頭を下げる。
勇気を出して助けを求める。
そこに感謝の気持ちが生まれた時、自分のことも相手のこともジャッジすることなく、まるっと受け入れることが出来るのかもしれないですね。
こちらの記事は
創作かな?
現実かな?
内容は、辛さを抱えながらも前向きになった時の記事
いつも聴いていた時には気づかないことも少しアレンジを変えたら印象が変わった曲。
物事の捉え方もそうなのかもしれない。
いつもの日常、いつもなんとも思わない出来事が、急にありがたく感じたり、急に意味のあるものに感じたり…。
ちょっとアレンジして考えたら嫌な出来事さえ感謝に変わる時もある。
そんなことを考えさせられました。
泣くことは浄化だ。
泣いた後の景色はいつもよりキラキラと輝きを増す。
泣くことは悪ではない。
辛い出来事があっても泣くくらい苦しいことがあっても見方を変えたら見える景色がある。
気づかなかった景色が見える。
ずっと幸せなら気づかない感情を味わえる。
「前を向く」
それは後ろも見てきたから決意して進めることでもある。
一元観で捉えたら、後ろを向くこともきっと悪ではない。
Minminさん、企画にご参加してくださりありがとうございました😊
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