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正論が嫌われるのではなく

正義と共に苦手意識が高い部類に『正論』

正論が嫌われるのではなく
正論を言うタイミングと言い方なんだと思う

愚痴を言って、正論を簡単に返されたら
「この人、私の話に興味ないんだ」

今は辛くて、とやかく言ってほしくない
「自分の話を聞いてくださいよ」
建前で「共感」ってワンクッションを置き
会話を成立させた後に
慰めるように正論を言いたいなら、言う

相手がしんどいときは
別に言わなくてもいいと思うけど
再三に渡る失敗続きだから、正論を言うのだろう
同じ愚痴は聞きたくないよね

相手は間違っていたかもしれない
しかし、今の解決策を考えてるのに
過ぎてしまって、もう変えられないことを
相手だって分かっているのに
正論を言うことで、更に相手を追い詰めなくても

「嫌なら見なきゃいい」
「嫌なら付き合いやめたらいい」

SNSに悪口を書かれて酷く落ち込んでいる様子に
「今、戦争で苦しんでいる人や病気の人がいるのを考えてごらん?あなたの悩みは小さい」

自分の悪口を書いた人のSNSを見て愚痴を言うと
「相手の幸せ喜べないと自分も幸せになれない」
…以上は、偏差値20の手本です

わたしはヒヤヒヤしながら
「これは相手のためではなく
自分の脳内ホルモンが出まくって
気持ち良いから言ってるんだ」と、聞いている

今だけは、共感しよう?話を聞こう?
足元の問題点にだけ目を向けよう?
そんな気分になって、悲しくなってくる

幼なじみが、正論を言われていたわ

前に、駅構内で故意にぶつかってくる男がおり
幼なじみも、その餌食になった
それを話したときのこと

ボサッと歩いているから、標的になるんだと言われ「はあ?なんで私が怒られてるの!」
お前は、空気が読めないヤツだと言わんばかり
モラハラモンスターの頭を押さえつけていた

幼なじみが感謝をしたり、素直に聞き入れたり
発言者の様子から
それらを望んでいるのは、火を見るより明らか

しんどさや苦しみは主観でしかない
あえて聞き役が、周りと比べる必要もない
病的に人から認められたがり屋で
誰かに勝ちたい精神を持っているので
アイツらは、正論を言うのだ

なんて、後から幼なじみが解説していた