ショート: 銀色の膜、清らかな魂
渡された青いカプセルは、2つ。
小指の先ほどのカプセルを、
「12時間空けて飲んで」 彼から渡された。
先日、来るものが来ず、
3日待ってドラッグストアで妊娠検査薬を買い
コンビニのトイレで試してみると、
瞬きするのを忘れ、試薬に出た赤い線を見入る。
「いや、でも…」だけど、心当たりはある。
コンビニを出た脇で彼に電話すると、
「はあ? それ間違いじゃね?」
私たちは誰にも言えない関係。
彼には新婚の奥さんと産まれたばかりの子がいる。
「そんな、間違いじゃないから!無責任だよ」
人なんか構わず大声を出し、
電話の向こうから舌打ち1つ、聞こえてきた。
「んと、木曜日まで待って」
彼はまた連絡すると、一方的に電話は切れた。
◇◇
明日からゴールデンウィーク。
金曜の晩、
彼が私に指定したのは、ビルの駐車場。
エレベーターを降りた、右奥の端で待っていると、
彼はネクタイを緩めながら、こちらに寄って来た。
「中絶には同意書が要るから。俺、署名しないよ」
まるで他人事な彼の言葉は、抑揚がない。
私の意志を問うことはなく、
彼は背負うリュックから、封筒を取り出す。
「これ、何?」渡された封筒には、
PTP包装に入った青いカプセルが2つ、
「お前、人に迷惑かけんじゃねぇよ」
私の前にいる彼は、私が知る人じゃない。
…人に迷惑かける? それはあなたもじゃないの。
◇◇
帰宅したアパートは、街灯と月明かりが差し込み、
テレビやベッドなど、浮かび上がって見える。
私はバッグから封筒を取り出し、握り締めた。
『お前、人に迷惑かけんじゃねぇよ』頭を巡る。
私だけが迷惑をかけたのだろうか。
青いカプセルの入ったPTP包装を手のひらに乗せ、
「そうか、死ねってことね」
24年間の長短を振り返っても、
これといった思い出はない。
友達がおらず、親に書く遺書も浮かばない。
◇◇
青いカプセルを飲んで2日経過した、朝。
「お腹が痛い…」
子宮をスコップで掻き混ぜられたような激痛と、
下半身に魚が滑る感触。 そして鈍痛。
(私、死ぬんだ) 身を捩り、腹をかばう。
薄目を開け、上半身を起こすとベッドの下には
血溜まりができ、布団をはぐる。
鉄分と生臭い匂いが鼻を突いた。
鮮血と銀色の膜に包まれた「ナマモノ」が、
これまでの人生で見たことない
内臓を解体した様態がそこにあった。
◇◇
ゴールデンウィークの間、寝たきりだった私。
彼がくれたカプセルは、人工中絶薬。
ネットで検索すると、私も母体保護法で取締られ、
救急車は呼べず、警察にも通報できなかった。
私は被害者だけど、被害に遭った証拠がない。
何もかもが同意の上で共犯になってしまう。
ゴールデンウィーク、彼に連絡しても、
全く既読がつかず苦痛や責任を私ひとりが背負う。
「彼は手慣れてる」そう気づくのが遅かった。
なんの罪もない、
生温かい魂は、銀色の膜に包まれたまま
私の手で、トイレに葬られた。
清らかな魂を私は…
民事で裁かれる不倫以外に、
私はそれ以上のことを。
窓を開けると、新緑が跳ね返す新鮮な金色。
アスファルトと土が溶ける薫風が部屋に流れる。
今年、初めての蚊を耳元で感じ、
だが、それを叩く気がどうしても起きなかった。
リライト2023.04.29 「うめこ」から「ももまろ」