見出し画像

苦しんでいる人の声を阻む、昨今

こんばんは! よく吠える負け犬です
今夜も棚上げ発言、連発していく所存です

自分が傷ついても、声に出すのを躊躇います
先日、ようやくtwitterにて吐き出しました

励ましのお言葉を賜り、ありがとうございます

なぜ、SOSを躊躇うのでしょう?
例えば、こういうケースがあります

嫌いな人を攻撃して、相手に反論されると
「自分は攻撃された被害者」

意味が通じるかな?

攻撃した人は、被害者意識が強いので
自分が嫌がらせしているのは
自分が持つ当然の権利と見做し
嫌がらせされた人の反論や
第三者の公平な言葉も、過剰防衛が発令し
「絶対的な被害者」として、事実が歪曲される

自己にある潜在的な攻撃性を持つ人が
自分から相手を攻撃しているにも関わらず
相手が自分を攻撃していると錯覚しているような

なんていうか
自分の攻撃性を相手に投影しているのかな

それで「自分は傷ついた被害者」と
自らが攻撃したにも関わらず、被害者になり
相手を攻撃する権利があると、攻撃を止めない

周りはどんなに言葉を選んでも
攻撃した人は曲解するので、会話が成立しない

そういうこともあってか
誰かが精神的に追い込まれているとき
「傷つけられた」と訴えるのが
悪者であるかのように扱われ
「傷つけられた」と言わせない現象が起きる

傷つける側の行為によって
本当に傷つけられて
苦しんでいる人の声を阻む、昨今

他人を傷つける権利だけを叫んで
「義務は?」
そっとツッコミたくなる、負け犬です