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あくまでも、わたしのケース

あえて、人間関係を比較するなら
新卒で入社した会社より、前職が気楽だった

前者は、日常から学閥が幅を利かせて
嫌でも脳内へ相関図が描けた
後者は、わたしが言ったことを確実にやってくれさえすれば、人間関係は気にしない

今は、私生活の雑用に追われて外出し
自宅にいても手足を動かしているので
ネットの滞在時間が随分と減った

ネットをやっても
友達が紹介してくれた猫ゲームか動画の閲覧
twitterへ主にいる
2月、3月よりかなり減っているのは
肌感覚ではなく、スマホが教えてくれるから

人間関係は、気にしないで生きるのが楽だと
つくづく感じる

だからと言って無頓着だと、独善的になり
いざとなれば、身勝手な自分が困ったときに
助けてくれる人がいなくなる

逆に、気にしすぎると悩んで精神が病んでしまい
20代でうつ病に罹ったときは
「他人は自分の思い通りにならない」
パワハラは悪いことだと誰しも判ることが
パワハラをする当事者には通用しない

前職で適応障害になった折は
内心、相手を「なんだ、コイツ」と流しても
一度苦手意識がついたら、相手を受け入れられない

だとしても、苦痛の中から得たものもあり
実際、こうして文章にして内観する材料に
できたのは、わたしにとって利益なのかもしれない

人間関係で「この人は好き」があっても
災いを引き寄せる場合がある
自分が動かなくとも、トラブルが飛んでくる
どんなに好きでも手離せば、一気に平穏が戻った

手離した理由は
「Aさんがももまろの悪口を言っていた」
そしてAさんは「ももまろから悪口を言われた」
わたしはAさんを悪く言ってない
なぜなら、Aさんのことが無関心で眼中になかった
もしかすると、Aさんも言ってなかったかもしれない

中間地にいた、“伝書鳩”を切ったら好転した

その反対もあり
「この人が存在している」だけで力が漲り
もう少し頑張ってみようと、自分を鼓舞できる
誰かを尊敬すると、自分のパワーとして返ってくる
無意識に、“誰か”のようになりたいのだと思う

引き寄せる人が、善人とか悪党など無関係で
相手がポジティブだから
自分に良い結果があるとはならない

あくまでも、わたしのケース