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誰かのためになるなら、相手を選ぶ

不幸の連鎖が目立つと、わたしの携帯に
「メンタル、大丈夫?」連絡がある
わたしは、訃報に気の毒と感じていても
落ち込む方向へ引っ張られてない

連絡がある中で、考えさせられた内容があった

「誰かのためになりたい」
言っている気持ちは分かるとして
既に原点がズレていると気づいた

「誰かのためになりたい」なら
相手のことを知り、理解するもんだよなって
余計なお世話率が減るような気がする

気がするのは、わたしは「失敗の女王」だから

たまに、わたしの状況を知りもしないで
「生きてりゃ良いことある」と、言われ
的外れで、独りよがりのアドバイスに感じた

人の気持ちは危うく、移ろいやすい
わたしのように多方向へ憂鬱を抱える人間は
「生きてりゃ良いことがある」
優しい言葉で有り難いけど、無責任に思う

誰かのためになりたいなら、相手を選んだ方が
「誰かに喜ばれる独善性」は
双方共に、満足が得られるんじゃないかって

たとえば、かまってちゃんは
自分を構ってくれるなら誰でもよく
運が良ければ、ワンナイトラブまで持ち込める

憂鬱の塊のわたしに独りよがりをぶつけても
「ウザい!」逃げてしまうだけ
こちらとしては
具体的な言動がないと、目先の利益が見えない

漠然とした励ましは、時間を取られるだけで
「いや、だから、それはアナタの自己満足」
余計なお世話だと思っちゃうのよ

「私のためにありがとう」って言われ
自分の存在価値を確かめたいなら、相手を選ぶ
効率よく、感謝されると思う

「キミのためになりたい」なら
キミを知り、理解を深めることをお勧めしますね