社交辞令と貴重なチャンス
褒められたり、誘われたり
「ありがとうございます」
「いつかご一緒したいです」は
本音で答えて、あとは相手の反応待ち
「どうせ社交辞令だろう」は
わたしが勝手に決めているだけ
「褒め言葉はウソだ」
「行く行かないを決めているのはわたし自身」で
あり「相手ではない」
10代の頃だった
「どうせお世辞なら言わなきゃいいじゃん」
友人からの褒め言葉を、母に言うと
「建前や社交辞令は必要ない人に言うもの?」
母から直球ストレートな疑問符が飛んできた
言葉を額面通りに受け取る人がいる
それを
「あの人はお世辞を理解してない」など
何様のつもりで批難するんだろうね
自分のお世辞に合わせろと考えるのではなく
自分を相手に合わせればいいのに
自分が思ってないことは
相手へ進んで言わなきゃいいのよ
母らしい、ごもっともな考えだった
△
「社交辞令と分からないバカがいる」
陰口を聞いたとき
表向きは「そうなんだね」に留め
「影では、わたしのこともそう言っているかも」
昔、なにかと誰かをヨイショの乱発をしすぎて
影では悪口を言う人がいた
次第にわたしはその人を信用しなくなった
社交辞令を言わなくても、関係は維持できるし
会話だって成立する
時々思い出しては猛省する、わたしがいる
本心から思ったら言うと、心がける
△△
わたしは苦手な人へ
「いつか遊びに行きたいね」「会いたい」は
口が裂けても言わない
『いつか』が、明日か数年先になっても
一緒に遊びたいや会いたいは、本心であり
苦手な人へ社交辞令を言って
本気にされたら、自業自得だもん
△△△
「どうせ」なんて決めつけせずに
「ありがとう」と受け取る
他人と自分が出会った偶然は
意外な展開の始まりも充分あり得る
最初から腐るより、傷んでから腐っても
人生のどこかで、取り返しが効く
貴重なチャンスを自分の思い込みでイライラせず
まずは素直な気持ちで、騙されても痛くない範囲で心に留めておくのも知恵かもしれない
備忘録2023.04.05