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見返りと現実、殺伐としてゆく

優しくされたら、今は余裕がなくとも
優しくしてくれた人がピンチのとき
役に立てる自分でありたい

「見返りを求めるな」「無償の愛」は
恩知らずを量産していくだけで
些細なことでも礼が言えない人
たったひと言の「ありがとう」がない

だからと言って
優しくしたからと、即座に恩返しを求めるのは
確信犯のような、えげつなさを感じる
礼を言ってくれたなら、良いのではないか

見返りで思い出すのが
中学生の頃に読んだ、向田邦子さんのエッセイで
こんな話が紹介された

向田さんの男友達によると
飲み屋のママが自分だけに大福を出し
それが優越感だったという
ところが
何かの機会で他の客にも大福を出していたのを知る

また、別の話では
新人店員が、お客様を平等に扱ったばかりに
常連客が面白くなかったのか
「あの店も落ちたね」

人は、誰かに贔屓してもらうと
贔屓してくれた人を大事にしようとする
しかし、一旦ハシゴを外されると
見向きもしなくなる

商才がないのに、如才ない自分と自惚れたばかりに
太客を逃してしまう

わたしには、贔屓も見返りに思える
「これだけ通っているのだから
他と違う扱いにされたい」

見返りを求めるな、ではなく
自分を大事にしてくれる人には、誠実でありたい
大事にしてくれた人が満身創痍のとき
そっと絆創膏を渡せるような、声がかけれるような

悲しいかな
満身創痍の人は、自分が傷だらけでも
苦しい立場の人へ寄り添おうと、愛を渡す

しかし、愛を渡された人は
傷だらけで不恰好な人に
「見返りを求めるな」と
自分の名前が汚れるからと、切り捨てる

これが現実であり、殺伐としてゆく