褒めについて、何回目?笑
18日、有明アリーナで行われた
ボクシング・フェザー級の試合で
那須川天心選手へのコメントを読んで感じた
那須川選手はご覧になっていないだろうが
ファンとしては、嫌味に見えて不快だ
具体的に自分が励んでいる事、心掛けが
他人から認められると嬉しいが、そうじゃないと
褒められても不愉快になるか、下心に捉えてしまう
わたしの学生時代は、会社訪問した後
ドスケベおやじが誘いをかけてくるなど
平成の時代で、セクハラという言葉があっても
存在した悪しき習慣
教授から「天才」と褒められ、恥ずかしかったのは
人前で下心が露呈された気がしたから
謙遜でもなんでもない
実際のわたしは、時刻表と地図帳が好きでも
現地入りしてないので、机上の空論
東京ドームを知らないのに
東京ドーム1個分に納得するのは釈然としない
ツアーのプランも、下見や“るるぶ”などを使い
この場所なら何分くらいで回れると計算する
当時、時刻表だけで
最終到着時間から逆算し
要の観光地と出発時刻からの思いつきを
褒められたところで、板についてないものは
ただのお遊びにしかならない
ツアープランも、ゼミナールに2年強在籍して
あの1回きりしかやってない
もとより、研究テーマが違う
褒めは、何を言ったか <<< 誰が言ったか
こちらが重視されやすい
好きな人が「可愛い」と言ってくれたから
自分に気があるなど、首を傾げる
わたしが可愛くなるよう、メイクや食事
ボディメイクや服のセンスに努力しているなら
有り難く頂戴する言葉
「あなたは、わたしの変化を見てくれている」
ここを評価する
世の中は「社長!」と言われて
気分が良くなる人がいる
「じゃない」と、皮肉に受けとる人もいる
何気ないときの、さりげない褒め言葉は
今の自分への活力になるのにね