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表現の自由があって、ない国の今

たまにレオ氏と時間を合わせ、同じ放送を見ている
遠距離になるとこういうもの
放送後のツイートを見ながら、わたし達は語る

「いつの間にか、この国は幼稚になった」

批判は代替案が必要なものと、そうじゃないもの
無視して良いものがある
論拠の乏しい感情的な批判に、代案はない
だから一概に「批判→代替案」ではないと思う

そして、批判=敵・反対・誹謗中傷ばかりではない
昨今はネットの影響なのか
「一連の流れ」が出来ており、モノが言いづらい 

批判は、相手が憎いからする行為ではなく
相対的、比較と判断での精査なのだから
建設的な批判なら、敵や反対、中傷と看做さない
問題を解決したいと、同じ目的なのだから

誰もが納得できる答えがあればいいけど
時に複雑な難題を目指す議論のとき
より多くが納得できる妥協を目標にする中で
最適解の選択なのに、批判があるのは当然で

気に食わないと、敵とか反対とか中傷とか
ときに差別などを生んでいる

悪意のある批判を見かける
著名人が寄付やボランティアをしたとき
「売名」だの「偽善」だの

カッとなって反論すると、相手は揚げ足を取り
論点のすり替えや無根拠の個人攻撃をしている

twitterなどネットは
反論しなくても、他の人は理解しているもの
だからさ、悪意を無視していいんだよ

ああ、あのドラマも今週で最終回か…