8月最終日は生きるのを憂う
各自、価値観の尺を持って
残念ながら
尺は自分と他人では大きな差があったりして
理屈じゃ分かりそうなものを
気づくことができず
自分の価値観が基本だと
他人の価値観を許すことなくスルーさえもできない
人間を全て枠としてカテゴリー対応するのは
人を判断する上で、コスパがいいしさ
特有の特徴を基に推測をするようになっていて
「東大卒で家系がよく、情熱的だから」
だから何なんだって話なのに、プロパガンダがあり
セクハラ問題でガッカリしちゃって
他人の見た目や存在を肯定・否定するなんて
こんなにくだらない発露
ほんわかした空気を纏ってないわたしも
画像のプレーリードッグと変わらない
側溝の縁で人知れず咲く花を
愛おしいと眺める気持ちを持っている
人の一面は、全面ではなく
本当は自分が知らない側面だってあるって
自ら書きながら身についてない人が「綺麗事」
引用 :
https://travelask.ru/blog/posts/19022-chto-proishodit-v-prirode-kogda-nikto-ne-vidit-20-izumitelny