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優しい放置国家の言い訳「関係性」

年末に友達から課題が出た
「優しいって?」
ま〜た難しいことを

「優しい」これという決め手がない
優しいに種類があるとしたら
上辺だけの優しいか、真心の優しいか

誰かがケガをして「大丈夫?」
声かけだけでも優しいと見做され
絆創膏を渡すと余計なお世話となる場合
見て見るふりをすると、思いやり

どれも上辺で、どれも真心で
一見冷たいものもあり、受け手や関係性次第
優しいに定義付けがしにくい

同一の行為を見返りなしで
好意を持つAさんがやれば「優しい」
苦手なBさんがやれば「お節介・重い・冷たい」

ヤンキーがやれば「優しい」
真面目さんがやれば「当たり前」

結局のところ「道徳的、倫理に反しない事項」の
優しいは、行為ではなく「誰」で決定されてしまう

皆に思いやりがあっても、皆とは関係性が異なり
根拠があれ、思いやりが思いやりではなくなる

数年前、2歳児が行方不明になり
スーパーボランティアと言われた男性が救助した際
当初は男性への賞賛ではなく、ネット民の中傷
優しいは「好きや愛している」の付録じゃない

わたしは何回も言うが
殺伐とした世の中は
物事を「善悪」ではなく「好き嫌い」で決定する
未熟な大人達の声が大きいので荒んでしまう 

打算抜きで優しくしても
何故、困っている人の方が人を選ぶのだろう
そして
優しさを示した方がボロクソに言われるのだろう

答えは
困っているのではなく「気に留めて欲しい」
そして
優しいを値踏みして、人を選んでいる

タイトルに惹かれ
『嫌われる勇気』って本が売れたのが分かる
優しいの限界で人間関係が立ち行かなくなる

嫌われていい、周囲に囚われない生き方がしたい

殺風景な世情は自業自得の末になったもの
咄嗟に優しくしたら
ヘタすりゃ犯罪者にされてしまう

「優しいとは何か」聞かれて答えに詰まる
現代では
「その人にとって好む人がやる都合の良い行為」

被害者が瀕死の重体にいても、スマホを向ける
それは薄情や非常識ではなく
「誰の優しい」を選別した当然の結果であり
「他者を尊重する」範囲が狭まったからだと思う

良心や情を無下にした無能なわたし達が招いただけ

わたしは他者からの「優しい」を素直に
有り難いと受け入れる人間になりたい