noteには語彙や表現力は不要
先般、あるTwitterスペースに参加し、聴き直して
自分の話し方が
「不貞腐れたテンションの低い人」
楽しくて、嬉しくてたまらないのに
どれだけ自分に表現力がないのか思い知った
少なくともブログを発信する人間がこれで良いのか
この辺りを前提に、文章を読むと
語彙の豊富さと表現力が文章を上手く魅せる
たとえば
「彼女は明るい人だ」より
「彼女は明朗な人だ」
「彼女」の特徴を伝えて、字面だけでも賢く見える
「あなたが好きだ」は、平易で
あなたが好きだけでは「ああ、そうですか」
「桜の花びらさえ胸を叩くあなたへの想い」
恐怖に溢れた一文から醸し出す、恋心
誰かに読ませる文章なら
多少の語彙不足でも、表現力が補う
般若心経の一節にある「色即是空、空即是色」 は
語彙と表現力の合わせ技
量子力学を思わせ
神聖さと科学の線上にある、思想っぽい
理想を言えば、本音を言えば
わたしは、自分の内側にある澱を知ってほしい
頑張って行動に移すから
わたしを好きになってほしい
わたしの言動に心を動かされる人がいて
もっと耳を傾けてくれて
誰かの感情を揺らす書き手になりたい
他人の心へストレートに影響をもたらす
文章を書きたいから、文章を分析し研究している
何を伝えるか必須で
どう伝えるかは、もっと重要
そのための語彙や表現力
悲しいかな、noteには、読まれる期待ができない
全てはスキの多さや肩書きで判断されている
「この人、本当に凄い文章」へ、スキは少ない
本当なら、無名人が書く文章と著名人が書く文章は
誰が書いてるか知らないと、同じように伝わるはず
ところが無名人という、ちっぽけな人間が
正しい日本語の構成で書いている場合
正しい日本語の構成であるから
似たことを書いた著名人と差別化されないのに
noteは、文章より人間関係重視
どんなに語彙や表現力に力を入れたところで
素人の文章は、交流に力を入れないと読まれない
交流は広報活動の一環だとしても
コンテストや公募で入選する、アプローチを変える
どれを頑張っても
noteでは、自分の持ち味を発揮する前に
人間関係でつまずく、元も子もない様相
だから、語彙も表現力も要らない