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短編ホラー:禁断の檻に流れた水 ②

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第3章 絶対に書くもんか

「『スーパーみその』に財布を落とされましたよ」

盆休みにハムスターのキンクマと山間のコテージへ来る途中で寄ったスーパーに俺は財布を落とした。

ご連絡をいただくなど、親切な人がいるもんだ。

スーパーまでは10キロ程度の近い場所にあり、
キンクマだけを留守番させてもすぐに戻れる。

落胆する前に拾って電話をくれた人へ、スーパーのスイカをお礼に渡そうなどと考え、
「ちょっと行ってくるわ」

相手方は待ち合わせに、スーパーの斜向かいにある
『オンスイノイエ』を指定した。

こんな山間でコテージに露天風呂がある。
言われた場所も銭湯だと思い、早く行って早く帰ろうしか考えてなかった。

到着してみると『オンスイノイエ』は銭湯ではなく、外観からは何か分からない古いビルで、
『御水の家』と2メートルほどの大きな板に行書で記した表札がヒビが入ったビルのコンクリートに似つかわしくない、付け焼き刃の印象だ。

それにしてもなんだろう。

ただの古いビルだが真夏に寒気を覚える外観や雰囲気。どう形容していいか。

窓は全て真っ黒で覆われて中が見えなく、生えた蔦は窓を遠慮なく潰して窓が窓の機能してない。

大小不揃いのベニヤ板は黒地に黄色のペンキで乱暴に書かれた何かを批判する文言が乱雑に貼ってあったり、ビルにぶら下げてあったり。

誰かに何かを訴えているのだが、俺には不気味な人の独り言に映り、ビルを見ただけで気分が滅入ってくる。

そんなことはどうでもいい…とはならなかった。
ビルの入り口で俺は尻込みした。

ビルの入り口にある受付がある。ビル内部も何かが不自然なのだ。

普通、壁と床の角に雑草が生えているか?そして、所々が苔で深緑が点々としている。

置いてある消化器の上には幼児の靴が片方だけ置いてあり、目だけが大きいロボットのイラストが
『受付』の札の上に並んで、夜中に来たら心臓が止まるんじゃないかとヒヤヒヤする。

受付の小窓のガラスは割れてセロテープで修繕してあるが、かなり過去に直したのだろう。

セロテープは黄ばんで端っこがめくれており、本当にこのビルは人を歓迎しているのか。
それとも俺の財布を届けるため、たった今開けたのかのような、カビと樟脳が混ざった臭いが不定期に流れてくる。

「あの、すみません」
声をかけると部屋には座っている男性がいる。

50代くらいだろうか。やや小柄で細身の右肩は下がり、左肩は上がっている体つき。
細身でありながら、首には犬の鎖を金色にしたようなゴツいネックレスと指にはカレッジリング。

「すみません、電話をいただいた者です。
財布を拾っていただいたとの連絡を受けました。
この度は本当にありがとうございました」

「ああ、財布が見つかって良かったですね」
笑顔の男性は答える。
まあまあ感じの良い人に拾ってもらえて本当にラッキーだ。

財布を受け取り、お礼のスイカを渡す。
さて帰ろうと「失礼します」までいい、
暑いから麦茶でも飲んで行かれませんかの流れになった。

コテージはエアコンをつけて、俺お手製のキンクマ用給水器を置いてきている。
無下にも断れないので、麦茶をいただくことにした。

「あなたさんは東京の方ですか?」
「そうです」

「普段は何をしている人ですか?」
「会社員ですよ」

「そうなんですね。私は俳句や朗読会をやってまして。東京からも会員さんがお見えになります」

「遠くから来られる会員がいらっしゃるんですね」

「昔は国語が大嫌いで、学校も行ってないヤンキーだったんですけどね。恩師に出会って俳句を始めてから人生が変わりましてね。
こう見えても俳号を持つ、ちょっとばかり界隈では有名人なんですよ」

「本当ですか、それは凄いですね」

「どうしてここまで上達したって言いますと、毎日恩師のお言葉を欠かさなかったからなんですよ」

「ほう、言葉ですか?」

「そうなんです。お陰様で大検に合格し、妹は結婚して娘が生まれました。
めきめき俳句が上手くなり、雑誌で表彰されて、
伯母の糖尿病が治ったりと良いことずくめなんでね」

「はぁ、そうなんですか」

「あなたさん、ご結婚は?」
それを俺に聞くか。
「現在、独身です」

「ご家族に病気や悩み事のある人は?」
「おりません」

なんだ、このオッサン。やけに深掘りしてきて。
それに、俳句までは分かったが、糖尿病が治るか?

俺は何か胡散臭い人と話をしているのではないかと
早く帰りたい気持ちに襲われた。

「あなたさん、どんなお言葉か知りたくないですか?あなたさんも良いことづくめで幸せになれますよ」男は早口で捲し立てた。

ひょっとして、俺はマズい展開へ嵌められたか?

「わたくしは結構でございます」

「どうしてですか!今、大切な財布があなたさんの元へ戻ったもお言葉の力なんですよ」

優しい笑顔だった男の目つきが変わった。
企みがありそうな口角の上がり方に人へ強制させるような口ぶり。
元ヤンキーの風格がこんなところへ出ている。

俳句や朗読を嗜むので表情は穏やかだが、目の奥から野生の荒々しさが宿っているようにも見える。

(もしかして怪しい宗教の勧誘じゃないか)

「おっちゃん、あの……」

帰るタイミングを見ていた頃、受付室に少女が入ってきた。
よく動画に出てくるアイドルの奥田ゆきのに似た、その子は小柄で俺がいるせいなのか目が怯えて、声が小さい。

「あなたさんに紹介しますね。
うちの姪っ子で美穂と言います。小学6年生でこの間、オトナになったんですよ、オトナ」

急に手を叩いて大声で笑い出し、怪しさ99%アップになる。

財布を拾ってもらった引け目があり黙って話を聞いていたが、誰がそんな情報いるかよ。

「今日なんだけど。やっぱり私は行きたくない。怖い」

「美穂、何言うてんのか。お前はこの会社の後継で、お母さんも昔はやって来たことなんだべ?」

「でも、なんかイヤじゃし」

「お前が大人になるまでに避けられない道もあるんや」

おいおい、身内の言い合いは俺のいないところでやれよ。というか、帰りたいんだが。

「だって、女の人が活躍すると変なことをされるって中級クラスの皆森さんが言いよった」

(変なことをされる?)

俺の耳は単純にキンクマへの話のネタになると思い、帰りたい意思を見せずに様子を伺うことにした。

「変なことはしゃーせんけん。要らんことを言う人がおるかもしれんが、それは美穂が羨ましくて嘘をついとるんや」

「分かったよ。本当やな?
じゃあ、どんなことをするんか教えてよ」

「ここではできなんじゃろが。まぁザッと言うと、号令に従ってスムーズに身体が動く練習をするんじゃ。本番は号令がないんど」

(オッサン、お言葉はどうした)

ここじゃあ、アレじゃし移動しようか。
あなたさんもせっかくじゃけぇ、見て行きんさい。

はぁ?どこへ移動するのか。
「別の場所に行くんですか?」
「いやいや、美穂に教えるだけじゃし、2階の小会議室ですよ」
俺の肩をバシバシ叩くと大声で笑い出す。

変なオッサンの観察になるかと小さな期待でエレベーターに乗る。
それにしても樟脳の匂いが充満して、婆ちゃん家のタンスを煮詰めた臭さ。

(バブル期のポスターかな)
今は往年の女優が若く、ユリの花を持ち
『火は消しても 貴方の心の火は消さないで』

どっかの会社のビルが買えるだけの資産があるんだなと思わせるぐらい、企業が入っていたような館内だ。

2階の小会議室へ到着すると
「おい、美穂。身長は?」
「146センチ」「体重は?」
「36キロ」

男は俺がいる前で少女の身体を聞いてくる。
瞬間、男は腰だけ屈んで少女の両足首を掴むと少女を逆さまにし上下させる。

「すみません、やめてあげてください」
少女は逆さまにされたからか、羞恥心か、真っ赤な顔で泣き出した。

男は俺の耳元へ息を吹きかけながら
「体育で逆立ちしませんでしたか?
逆立ちは脳へ血が回り、思考力が上がるんですわ」

そりゃ逆立ちは体育じゃなくてもやるが、
今、やらなくても。

小会議室を見渡すと俳句の片鱗もない、スローガンのようなビラが壁一面に貼り出されている。
ここは何かの啓蒙をしているのか?

心理的に危ない電波が俺の心へ避難命令を出していて、どうやって逃げようか算段を始めた。

「さて、あなたさん。ここまでお見せしたんじゃし、今から出す書類に名前や住所を書いてちょ」

なんだ、この強引な勧誘は。
財布を拾ったもらったのと勧誘は別じゃないか。
小会議室のテーブルに書類とボールペンが置かれた。これに本物の個人情報なんか書けるか。

「はい、こちらですね」

俺の本名バレはしてない。
財布には昔作ったSNS用の
「タツジュン」の名刺を入れて、
免許証やカードは別のケースに納めている。

これでも俺は元営業畑、演技はできる。

立田純平 昭和57年1月1日(満42)
東京都足立区大塚6ー3ー22
ダイヤモンドダスト306
090ー1234ー9876

男は俺が書類に記入している横で自分のスマホをいじる。
実在する場所か検索しているのか?

俺が流暢に個人情報を書くので何の疑いもなく、ツッコミすらない。
当たり前だ。
ここは元カノのマンションで元カノは国際結婚し、日本にいない。

(早いところ、ここから退散せねば)

「立田さんでしたか。今日から入会、おめでとうございます」

「えっ? 俳句をするつもりはありませんが」

「またまた〜。こうして立田さんと私が出会えたのはお言葉のお陰、何かのご縁。
さあさあ、今、1階の大会議室で皆が俳句を勉強しています」

これは早く脱出せねば。

遠くから忙しい足音がしてくる。
こんなビルでは、普通が普通に感じない。

「先生、助けてください。うちの甥っ子が」

小会議室へ中年女性が飛び込んで来て、男のことを先生と呼んでいる。
「どうしましたか、田中さん」

田中さん、ナイスタイミング!

「大変すみませんが、俺、予定があるんで。
これで失礼します。
財布、ありがとうございました」

男は田中さんに親切な笑顔を見せていた表情が急変し、
「今日勉強せんかったら、アンタ不吉なことが起こるで。ええんか?」

オッサン、それは脅迫のつもりかよ。

やっと出られたものの、尾行されては堪らない。
コテージから逆の、来た道を引き返した。

ひとまず安堵したが、この先スマホの番号から個人情報がバレても困ると不安が広がる。
とりあえず、さっきの番号を着信拒否してスマホの電源を落とし、コテージへ戻った。

キンクマはお腹を空かせてご立腹だろう。
コンビニへ寄り、ドライフルーツとナッツ類を購入する。
気のせいか、盆の日暮れは早く感じた。

コテージに到着すると、キンクマがいない。
「キンクマ!お〜い、キンクマ!」

可愛らしいベッドをはぐり、暖炉の中まで見てみたがどこにもいない。

地下室で遊んでいるのだろうか。キッチン横から階段を降りるが地下室はただの空洞で何もありゃしない。

コテージの鍵は閉めて出掛けたし、キンクマが外へ出たなどないはずだ。
「どこへ行っちまったんだ」
時刻は19時を少し過ぎた。
このぐらいの明るさなら懐中電灯を持たずに外に出られる。

庭にはベンチやブランコがあり、バーベキューができる仕様になっている。
右手奥には花畑が見え、山間は静けさが増す。
こんな時にキンクマのヤツはどこで遊んでいるんだ。

どこを見てもキンクマはいないし、キンクマを置いて帰る訳にはいかない。

オッサンの脅迫が脳裏を掠める。

しかし冷静になって考えてみると、オッサンは俺がコテージにいるのを知らない。

この場は落ち着こう、落ち着いて行動すればキンクマは
「タツジュン、おかえり」

きっとこの部屋のどこかから、寝ていたんだよと出てくるに違いない。

時計は20時になった。
いくらなんでもこんな時間にキンクマの気配がないのはおかしい。
だからと言って警察に電話はできない。
一体、どこへ行っちまったんだ。

ベッドのマットレスの下で窒息、イヤそれはないだろう。またベッドの下を覗き込んでいるとき

パタッ パタッ パタッ パタッ 
タツジュン タツジュン

耳鳴りのような微音で俺は窓を見た。
窓枠に引っかかるように丸くっているのは明らかにキンクマだ。

「キンクマ!」
外を出て、キンクマを片手に乗せると死んだように動かなくなった。


真夜中0時。
オガクズを敷いてやった箱でキンクマは目を覚まし
全身の毛を逆立て、イカ耳なると
「タツジュン、怖かった」
俺の手首に掴まり離れようとしない。

家から持ってきたタオルでキンクマの全身を巻いてやり、人肌程度の白湯を指先につけ飲ませてみる。
「キンクマ、何があったか言ってみろ」

キンクマは震えて何も話さない。
だからといって俺が昼間の話をしても、
キンクマとまともな会話ができると思ってない。