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友達に片思いの中途半端な脇役

脇役人生だなって、自分を思う

いつの友達も、皆が主役で人気者
端にいて、黒子がわたしの立ち位置
「ももまろっち、どうすればいい?」と聞かれる
「こうが、いいんじゃないかな」答える
友達はいつも注目を浴び、わたしは横から見ている

どういう訳か、昔から
大きなグループの中心にいたのが、わたし達で
友達はコアな存在
スクールカーストの頂点から見る景色は綺麗かな

友達が「互いに必要とし合えるのが貴重で
私も孤独を抱え、誰かを求めていたんだよ」
なんて言う筈もなく
今朝は5時のLINEで目を覚ました

道路に落ちている、片方だけの汚れた軍手
誰かに使われたり、優しく労ってもらった時があり
わたしは、そんな軍手みたいな存在だな

文章を書く中で、一人称を使っている時間は
わたしが主役になるときなんだと、感じる

映画でいえば、エンドロールにも出ない役
普段はそれぐらいが丁度いいのかもしれない

「知らない人から親切にしてもらった」

喜びは「知らない人」から「もらった親切」
世の中、捨てたもんじゃないって場面
通りすがりからの優しさは有り難い

年中、友達に片思いの中途半端な脇役でいるより
何も期待しない、させない端役が
名脇役や名前がある脇役とは異なるけど必要よね

だけど、人気者から名前を呼んでもらう方が
急場で困ったときの親切より記憶に残るんだよ
どうしてなんだろうね…